【1967年 英国にて 4】Romney, Hythe and Dymchurch Light Railway.
「S君、元気かね。日本はそろそろ梅雨どきだね。こちらはついこの間まで雨がちでうすら寒かったが、やっと良い気候になってきて、おじさんもいよいよ張り切っているところだ。君は相変わらず切符の収集と鉄道模型に熱中していることだろう。今日はこの前の土曜日にその模型のような小さな汽車に乗りに行った話をしよう。」
手紙の宛先は堀先生の甥御さんでしょうか。あるいはごく親しい間柄の、鉄道という共通の趣味を持つ少年の友人かもしれません。「S君、元気かね。」という書き出しで始まる旅は、世界的にも非常に珍しいミニチュア鉄道であるイングランドの『ロムニー・ハイス・アンド・ダイムチャーチ鉄道』を訪ねたものです。1967年、この春から堀先生はロンドンの近くテディントンの英国国立物理学研究所の客員研究員として渡英しており、本業の傍ら、イギリスをはじめヨーロッパ各地の鉄道をめぐったのもこのころです。
フランスを望むドーバー海峡、その西部の港町フォークストーンの隣に位置するハイス。そこから海岸沿いに約22km、ダイムチャーチ、ニュー・ロムニーを経てダンジュネスまで延びる鉄道が、この『ロムニー・ハイス・アンド・ダイムチャーチ鉄道(Romney, Hythe and Dymchurch Light Railway.)』です。軌間15inch(およそ38cm)、車両も一般的な鉄道のおよそ1/3の大きさで、まさに「模型」そのもの。2026年現在においても現役で営業しており、まさに「世界で一番小さな公共鉄道」なのです。
ハイス駅にて発車を待つタイフーン号とダンジュネス行き列車
ハイス駅にて
「ハイス駅は大きくはないが、世界最小の公共鉄道(World's Smallest Public Railway)というキャッチフレーズを書いた大きな看板が目立ち、すぐ隣に”軽鉄道食堂”(Light Railway Restrant)というレストランがあるほど。PRにぬかりのないところを見せていた。終点タンジュネスまでの切符を買い、改札口を通り抜けたら、なるほどいたいた。大人の背より低い機関車が。ちゃんと一人前に煙を上げスチームを吐き、オモチャのような客車を10両も従えて出発を待っていた。屋根のついたホームがちゃんと2面もあるし、機関庫も転車台もそろっていて、本格的な鉄道並みの雰囲気だ。客車は幅1m、高さ1.5mぐらいかな。ちょうど普通の鉄道の客車の2人掛けのシート程度の断面積だ。」
ロンドンのチャリング・クロス駅を10時に出る快速電車に乗った堀先生は、各駅停車に乗り換えるためアシュフォードで下車。リフレッシュメント・ルームと呼ばれるセルフサービスの軽食堂にて、サンドイッチと紅茶で軽い昼食を済ませ、最終下車駅であるサンドリング・フォア・ハイスには11:41に到着します。1888年に開業したときは「サンドリング・ジャンクション」という駅名でしたが、この駅から分岐してハイスへ向かって支線が延びていたの支線が1951年に廃止され、「サンドリング・フォア・ハイス」と変更されました。現在は単に「サンドリング」駅と呼ばれているようです。また、廃止された支線の一部は「Big Train Little Train Country Walk」としてハイキングコースとなっています。
駅の近くの陸橋から廃線跡を眺めたあと、徒歩で約2km、ハイス駅まで徒歩移動です。駅で待っていたのはダークグリーンに塗られたタイフーン号という蒸気機関車がけん引する列車。「ちょうど普通の鉄道の客車の2人掛けのシート程度の断面積」は、街中でよく見かけるJPN TAXIの後席より幅が狭いイメージで、まさにどこかの遊園地にありそうな豆列車のシートのようですね。持参した”コウモリ傘”とカバンでその狭さが想像できます。
壁にかかっているのは開通40周年のお知らせ
ニュー・ロムニー駅
ニュー・ロムニー駅構内
「まもなく定刻12:25となって、ピーッという甲高い汽笛で発車。すぐにロムニー・マッシュとよばれる海岸沿いの湿地帯に出て、右側には草地や牧場が続き、左側にはサマーハウスがずっと並んでいる間を走ってゆく。全線22kmを1時間と5分かかるのだから決して速くはないが、なにぶんにも15インチの超狭軌の上、線路の手入れがあまり行き届いていないらしく、ゴロゴロとゆれ、それが板張りのシートからそのまま体に伝わってくるから、結構猛スピードに感じられて、なかなかスリルがあったよ。ハイス―ニュー・ロムニー間がちゃんと複線になっているのはさすがイギリスの軽鉄道だけあると感心したが、途中対抗列車とすれ違う時の轟音は立派なもので、一人前の蒸気鉄道に負けない貫禄があった。途中ところどころに背は低いながら腕木式信号機も建っている(英国ではいまだに国鉄本線でも腕木式が圧倒的に多い)。ただ、道路をアンダークロスする手前に必ず”道路橋に注意”と書いた標識が立っているのは、この鉄道だけに見られることだ。というのは、運転士の首がカマの上につき出ているので、橋の下をくぐるときには首を縮めないと頭がぶつかるんだ。実際運転士がこの注意を怠って頭を橋で打って気を失い、列車が次の駅で止まらずに暴走した、という事故があったのだそうだ。」
他の鉄道では考えられないようなこの事故が起きたのは、1952年8月11日のことでした。人間以外のすべてはおよそ3分の1のスケールで作られているため、線路をまたぐ陸橋構造物もまた低く狭く作られていたのです。幸い、これ以降近年まで同様の事故は起きていないようですが、まさに「小さな鉄道ゆえに起きた事故」の典型的な事例だったわけですね。
「ニュー・ロムニーから先は単線で、信号はなくなり、ダンジュネス行きの列車はここでタブレットを受け取ってから出発する。線路はぐんと海岸に接近して、サマーハウスの列の間からドーバー海峡を望みながら走ってゆく。途中4つほどひっそりとした無人駅がある。無人駅といっても、どれもがっしりとした煉瓦づくりの駅舎がついていて、売店もあったが、まだシーズンには早いらしく、営業はしていなかった。この辺は砂利浜だが、よく見ると軌道敷にはその砂利がそのまま使ってあった。なるほど、これで建設費がずいぶん浮くわけだ。ところどころ平面交差があって、列車は自分よりも大きい乗用車を待たせながら悠然と通過してゆく。何となくユーモラスだ。上天気で、サマーハウスの裏庭、というのはつまり線路に面した側だが、裏庭では必ずといってよいほど水着姿の人たちが日光浴をしていた。汽車が子供たちの人気者であるのはここも同じで、列車が近づくと線路わきに小さい子供が駆けよってきてニコニコと手を振る。こちらも嬉しくなって手を振り返してやったものだが、中にはオヤッ見慣れない人間だな、とケゲンな顔で見送る子供もいたね。」
13:35に終点のダンジュネスに到着した堀先生は、折り返し14:00発の列車乗るまでのつかの間の休憩です。海岸に近いだけあってすぐ近くには灯台が立ち、ところどころに草が生えた一面の砂利浜のさほど遠くないところに、この景色に似つかわしくない大きな原子力発電所が異彩を放っています。同じ列車に乗ってきた中学生たちが、見学のためか発電所の方へ見えなくなると、聴こえるのは風の音と波の音。そんな情景が浮かんできます。
このRH&DRの歴史は1927年にまでさかのぼります。純然たる営業用の鉄道会社として、というよりは、個人の鉄道趣味が高じて軌間わずか15インチ(およそ38cm)の「鉄道模型」を走らせたい、という「夢」からのスタートだったのです。その夢の持ち主がJ.E.Pホウェイー氏。当時億万長者の元陸軍将校、レーシングドライバー、そしてミニチュア鉄道の愛好家だったのです。1927年7月16日にハイスからニューロムニーまでの約13kmが開通。翌年にはダンジュネスまで延伸し全長約21.6kmの運行が始まったのです。その後、この「世界最小の公共鉄道」にたくさんの人が訪れ有名になりました。戦時中は陸軍に徴用されドイツ軍の空襲を受けたり、1960年代は創業者であったホウェイー氏の死からその後オーナーが転々とするなどの不幸な時期もありましたが、現在は、Sir.ウィリアム・マカルパイン氏(2018年没)のコンソーシアムが引き継ぎ、今でも鉄道は健在です。堀先生が訪ねた1967年は創業40周年にあたり、乗客への記念プレートもあったそうですが、2017年の創立90周年の際には、ブルーベル鉄道(『旅の記憶』第3話に登場の鉄道)において創業のころから走っているタイフーン号(堀先生が出会った蒸気機関車)の記念展示が行われました。
ダンジュネス駅
ダンジュネス駅と灯台。ハイスから到着し折り返しの出発を待つ列車
ダンジュネスのループ線を抜けてハイスへ向かう列車
「ひと息ついたあと、14:00発のハイス行きに乗り込んだ。ダンジュネスがループ式の終点になっていて、駅は直径300mほどの大きなループ線の中ほどにある。列車は方向転換をせず、着くとしばらく休んで、そのまままた出発してゆくわけだ。今度はガラあきで、1人で客車を1つ占領し、再び列車を見送る子供たちに手を振ってこたえながら14:30ニュー・ロムニー到着。ここで途中下車して駅構内にアルモデル・ランドを見たり、記念品売り場でエハガキやRHDRの解説書を買ったり、構内や周辺の写真を撮ったりして、次の列車が来るまでの時間をすごした。
ハイス行列車にはここから大勢の人が乗り込んで、座席は満杯だった。今度の客車はドアなしの吹きさらしのやつで、上天気とはいえまだ6月初旬、ドーバー海峡を吹き渡る風を切るのはやや寒かったが、家族連れの多い和やかな雰囲気にとり囲まれて、豆蒸気機関車の乗り心地を心ゆくまでエンジョイしつつ、16:25ハイスに着いた。帰りはバスでフォークストーンへ出て、17:20発のチャリング・クロス行きセミ快速電車でロンドンにもどった、という次第だ。
イギリスにはもっと小規模なミニチュア鉄道ならRHDRのほかにもたくさんあるし、鉄道博物館や路面電車の博物館などもあちこちにある。君が来たらさぞ喜ぶことだろうな。またお便りしよう。ではお元気で。 1967.6.9.」
途中下車したニューロムニー駅には、隣接してすでに廃止されていた国鉄の駅がありましたが、この時すでに「駅舎と線路が草に埋もれてうら寂しく残っている」状況でした。そこにあるのは標準軌の線路で、「目にふれたとたん、一瞬巨人国に迷い込んだのかな、と錯覚」したことを告白していますが、「もし、最初の鉄道が15インチ軌間で敷かれていたなら」と、まじめにその後の鉄道の歴史を案じているのはなかなか興味深いところです。
こうして、「S君」へ宛てた旅の記が終わります。果たしてS君はその後、この海岸を走る豆列車に乗る機会に恵まれたのでしょうか?それもまた興味深いですね。
ニュー・ロムニー駅での列車交換風景
「海岸を走る豆列車 -ロムニー・ハイス・アンド・ダイムチャーチ軽鉄道ー」より
※この項は『英国・北欧・ベネルックス 軽鉄道の旅』(堀淳一著 交友社刊)掲載の内容をベースに紹介しています。現在では入手困難な本ですが、手に取る機会があればぜひお読みいただくことをお勧めいたします。写真はオリジナルのモノクロフィルムを使用して画像処理。カラーは創作です。
※引用文と写真撮影 堀淳一
※解説文および画像処理 久保ヒデキ
※下にロムニー・ハイス・アンド・ダイムチャーチ鉄道のWEBページURLを記します。
※Bluebell Railway WEBSITE
https://www.rhdr.org.uk/©hiDeki@Photo-reena (hideki kubo) 2001