【旧道ロケーション】・北海道旧道保存会メンバーによる旧道歩きの記録です。

ご注意・ここに紹介する旧道等は、実際に歩いたのが2000年から2010にかけてのものでかなり時間を経過しておりますので、現在ではほとんど消滅しているか、進入が困難であることが予想されます。「ツアーガイド」としてはまったく役に立ちませんので、あくまでも当時の記録としてお楽しみください。(本文は当時のHPに掲載していたものです)

旧国道230号線 中山峠 喜茂別側の旧道  ページ2

 上記地図は、緑線が現在の国道230号線。赤線が旧国道を示しています。本文では中山峠駐車場出口から旧道に従い、約100m(最初の舗装区間は約200m)ごとに喜茂別方向の風景を捉えて順に掲載しています。

 また、この区間、途中に、明治30年代に設置された5個を含む一等水準点が、全部で7箇所、埋設されていることになっていますので、現在の状況も合わせて調べてみました。

 

撮影 2002/9/23

1 この旧道は、現役時代同様、雪の積もる冬季間は閉鎖される。

2 10月ともなると一斉に紅葉し、それも束の間、白一色の世界となるのだろう。

3 かなり下り勾配がかかっているのを実感する。この先、しばらく進むと、区間4つ目となる水準点がある場所を通過するはず。

4 水準点が隠れているのはこのあたり。

5 地点6にかけて大きくカーブする。

6 だらだらと蛇行。緩やかな下り。

7 急に空が開けてきた。尾根の上に差し掛かったのか。

水準点 (715.41m)~地点4

明治38年6月に埋設されたこの水準点は、地形図上の記録では715.5mと記されている。このあたりをくまなく探すものの、どこにも存在の形跡を見つけることはできなかった。

図面から推測すると、退避場のようなところに埋設されていたと読めるが、この付近で唯一道路が膨らんでいたのはこのあたり(上写真)。ここで思い浮かぶのは、側溝の存在。当時の図面にはもともと記載されていないものなので、もしかすると側溝を掘り下げた時に消えてしまった?

林道入り口~地点8

この写真を撮った直後、電力会社の札をつけた作業車が4台ほど下りてきた。道の向こうは一直線に山に登っていたが、この旧道が活かされているのは、こうした作業のアクセス用のためでもあるようだ。

 

8 地点7で見える右カーブの後、一転左へカーブするが、正面に送電線の鉄塔が見えはじめる。写真奥の左へ向かう道は、おそらく送電線のメンテナンスなどに使用している林道(右ページ)。旧道はこのまま右へカーブしている。

1 旧道は尾根の上を進むためか、周囲は思いのほか開けている。常に山の斜面が迫っていた道路左側も、林の向こうに空が見える。

2 前項の地点8で見えた送電線が、再び見え始めた。

3 次第に近づき、大きくカーブしながら電線の下をくぐる。

4 再び下り調子となり、次第に周囲の地形も険しくなる。

5 このあたりではまだ伐木がおこなわれているらしい。丸太をいくつも積み上げた狭い土場があった(右に詳細記事⇒)。

材木を下ろすための斜面~地点5

旧道を進むと路肩下に空間があり、丸太を積んだ山があった。その反対側の山の斜面は、いかにも伐採した木材を引き摺り下ろしたような痕跡が。トラックに積めるスペースはどこにもないので、木材はここから先へも斜面を落としていくのだろうか?

6 いくつめのヘアピンカーブだろうか。次第に度合いがきつくなっているような気がしてくる。

7 そのヘアピンカーブを回り込むと、この区間で初めて眺望のきく場所に出会う。ちょうど中山峠の方向が望める(右に詳細記事⇒)。

峠の茶屋を望む~地点7

この喜茂別側旧道でもっとも景色がよく、広く見渡せる場所は、ここを置いて他にない。しかし、道路上には退避スペースがなく、見通しのきかないカーブの途中でもあるので、クルマで通った際にはあまり長居はできないかも・・・。

上写真で手前に見える赤いものは、現在の国道でシェルターになっている部分。その向こうに見える建物が峠の茶屋(道の駅・望洋中山)。

1 ”展望台”を過ぎた後は、再び見慣れた景色へ戻る。

3 この数100m区間は、だいたい同じ曲線半径を保ったまま進んでいて、見通しもよい。

4 このまま進むと、やけに明るい場所が・・・

5 定間隔できれいに伐採されている空間に遭遇する(右ページ)。日当たりがよいせいかクマザサの群生が太陽に反射してまぶしい。

1 下り勾配はその度合いを増し、”峠の下り”を感じる。頂上からだとおそらく10km近く下りてきているだろうか。

2 旧このカーブを過ぎたあたりに、区間5つ目の水準点が存在するはず(右に詳細記事⇒)。

3 かなりきついヘアピンカーブ。

6 旧国道時代の遺構が何も見つからないままここまで来たが、この先、初めて遺構らしい遺構を発見(右に詳細記事⇒)。

紅葉~地点1と2の間

この”旧道歩き”の2、3日後に、羊蹄山で初冠雪を記録した。大雪山では紅葉のピークが過ぎたという。北海道の冬はもうすぐそこまで来ている。この日、広葉樹の一部、早いものはすでに色づき始めているが、その中で一際異彩を放っていたのは、こうした大木にまとわりついて燃え上がるように真っ赤に紅葉したツタウルシ。ここまでの間にも、林の向こうにいくつも見つけることができる。

ちなみに、触るとかぶれるのはヤマウルシと同様だが、こちらの方が毒性が強いらしいので、少々離れて見るだけにしたほうが無難。

送電線跡~地点5

旧道と交差するその空間は、地形図上でも示されている送電線の跡だった。かつては存在していたようだが、現在は鉄塔や電線など跡形もない。写真上は山側、下は谷側。細心の地形図にも反映されていないので、比較的最近、撤去されたのだろうか。

この前後にいくつか見つけた、測量を行ったことを示す標識と作業道。送電線撤去に際したものだろうか?それとも今後の旧道に道路整備の手が加えられる前兆?

水準点 (655.12m)~地点2

水準点は現存した。意外とあっさり見つけることができたが、記録によると平成6年に調査が入っている。周囲も伐採されていたので、割と簡単に見つけることができたわけだ。

ただ、水準点としては最初の807.6mのものと同様に若く、昭和38年に埋標されている。形状も円柱型のものだ。この時すでに喜茂別側には新道が開通していたはずなのだが、もしかするとこの時からこの旧道は存続が決められていたのだろうか。

 壊れたカーブミラー~地点7

この道が現役の国道だったという証を、目を皿のようにして探しながら歩いていたが、結局それらしいものは見つけることはできなかった。そんな中で唯一それらしいと思えるのが、この壊れて支柱だけが残ったカーブミラーの残骸。”注意”の看板もむなしく、そのまま放置されている。

もちろん、現役時代からあったかどうかは定かではないが、サビ具合から長いこと放置されたままなのは確か。

 壊れたカーブミラーがあった箇所からしばらく進むと、次のカーブに今度は正真正銘、現役のミラーが出現。今度はあって当然のブラインドカーブ。

2 旧雪深いせいかひさしがひしゃげ、支柱も傾いている。

 この写真の大きさではわかりにくいが、正面にヘアピンカーブがある。木々に囲まれた緑のトンネルの向こうに忽然と現れるそれは、おそらくこの区間でもっとも急なカーブではないかと思う(右に詳細記事⇒)。

4 この区間の下り勾配はかなりのもので、おそらく最大斜度があるのではないだろうか。

5 旧ふと気付くと、遠くからエンジン音が聞こえてきていた。

逆光が絵になる風景~地点3

旧道を覆い隠すように続く緑のトンネル。道は下りながらトンネルの中を進む。正面に立ちはだかる山。その直前でカーブする道。数回にわたってこの道を通ったが、そのたびにここの景色がやはり印象に残った。紅葉の時期ならまた違った印象となるかもしれない。

対岸を見るとヘアピンカーブを越えた先の旧道が見通せる。ついつい、何かのロケーションに使えないかと考えてしまうほど、心に残る風景だった。

6 次第に現在の国道に近づきつつあったのだ。

7 木々が途切れ、前方が明るくなってきた。

 地形図上では、このあたりからしばらく、ほぼ現在の国道と並行に進んでいる。

2 はるか下のほうから車の走行音が響いてくる。まだ高低差はかなりあるようだ。

3 例によって尾根の先端部分は、左側の山の傾斜が緩くなり、太陽光が差し込んでくる。

4 旧尾根を回り込む。そこには、先ほどのものよりもかなり広範囲な土場ができていた。積まれた材木の数もかなりある(右に詳細記事⇒)。

土場~地点4

カーブの外側となる谷側は、かなり広い空間ができていた。トラックが入った跡もあるので、やはりこの道路を使って積み出ししているのだろう。この時は一度も遭遇しなかったが。

5 近づく、国道を走るクルマの音で、終点が近いことが感じられる。道は下る一方。

6 このカーブを越えた先、区間6つ目となる水準点が埋設されている箇所となるはず・・・。

7 水準点があったと思われる場所が、この付近(右に詳細記事⇒)。

右側はすぐに谷になっていて、部分的には斜面が切り立っているところもある。まさに”路肩注意”なところ。

8 谷に向かうだらだらした直線の後は、お決まりのヘアピンカーブ。

水準点 (564.07m)~地点7

この水準点が他の地点と違うのは、他のものが喜茂別向きに対して左側に埋設されているのに、ここだけ右側に埋設されていたらしいこと。おそらくは、結局それが行方不明となる要因だったのかもしれない。図面上では道路幅4.3mの端に埋標されたことになっているが、印の位置は路肩に面しており、おそらく何度となく行われたであろう、路肩改修工事の際に、行方がわからなくなってしまったのではないだろうか(図面上でも”不明”扱い)。あるいは地中に置き去りにされているのかもしれないが、いずれにせよ、ここも、発見できなかった。

1 カーブを折り返し。次の尾根の先端へ。

2 今まさに通ってきた尾根が右手、目の前にあった。尾根をまわり谷を回る。昔ながらの道路づくりの定番だった。

4 地点3のかなり急なカーブ(こういうところにこそカーブミラーが必要なのでは?)を回ると、また材木を積み上げた場所に遭遇(右に詳細記事⇒)。

再び、土場~地点4

道路の山側には切り出した材木を下ろす斜面。道路の反対側には切り出した材木の山。調整伐木だろうか。あるいは送電線敷設のため?

6 この先に続くカーブが、おそらく最後のヘアピンである。空がかなり開けてきた。合流地点まではもうまもなく。

8 下りながら小さく連続するカーブ。

1 考えてみれば、現在の国道が走る喜茂別川にそってではなく、このような山の中腹に道をつけたのは、何か理由があるのだろうか。

2 一見するとかなり無駄の多い道筋のように思えるところもあるのだが。

3 明治初期の道路選定のプロセスはいったいどんなものだったのだろう。平地では起終点となるところにそれぞれたいまつを炊いて目印にしたというが、山岳地帯ではそうも行かなかったはず。興味あるところである。

4 下の方では、国道の改良工事に伴う重機の音が一際響いている。この先の左カーブに差し掛かるあたりは、谷側に遮るものがなく眼下に現在の国道を見下ろすことができる。

6 このカーブを回りきると、あとは合流点へ向かって下るのみ。

眼下を走る現国道

地形図で見るとわかるとおり、北側から張り出す大きな尾根を迂回するように現在の国道は喜茂別川にそって大きく回りこんでいる。最近このあたりの工事車両の動きが活発なのだが、将来的にトンネルで直線化されるのであろうか?

(※注 トンネルではなく道路拡幅工事に伴うもの)

7 このあたりまでくると周辺の景色が開けてくる。

1 合流点まで残り1kmを切っているだろう。このあたりコンスタントに下っているが、逆に見れば喜茂別川を離れて一気に高度を稼いでいるとも言える。ここから登らなければならないほど、明治初期の喜茂別川は暴れ川だったのかもしれない。

2 クルマの音とともに、喜茂別川を流れる水の音が混じるようになる(右に詳細記事⇒)。

3 区間で7つ目となる水準点が眠っているのはこのあたり(右に詳細記事⇒)。

4 現国道にかなり近づいている。木々の切れ目から喜茂別川をはさんでその姿を確認できるほど。

5 下り勾配はこの先のカーブまで。

 唐突に道が平坦になると、短い直線の先に橋があらわれた(右に詳細記事⇒)。

 ”黒橋”は、かつてこのあたりの通称名にもなっていたようだ。見つからなかった水準点の地名表記に、”字黒橋”と記載されている。

8 その黒橋を渡って小さな山を迂回すると、ほんの数100mで合流点へと到達する。

9 終点である。およそ13kmにわたる旧国道230号線、喜茂別側旧道の旅は、ここまで。徒歩による所要時間はおよそ3時間半前後。今後もこのまま存続されることを祈って、紅葉の時期に再度訪れてみたい旧道である。

旧国道230号線 中山峠 喜茂別側の旧道  終わり

喜茂別川に近づく~地点2

シラカバの向こうに喜茂別川の流れが見えてきた。

この川は尻別川の支流で、町の名前ともなった”キム・オ・ペッ(山の奥にある川)”が語源。

水準点 (476.77m)~地点3

この旧道区間では最後の水準点だが、もっとも可能性は低いものと考えていた。なぜなら、現在の地形図にはその存在はすでに消滅していたから。記録上も”亡失扱い”となっているので、当然といえば当然。

結論から言うと、やはり見つけることはできなかった。水準点そのものは。そう断るのは、保護石らしきものが現場にあったからだ。上写真ではわかりにくいが、石の部分だけを表現したのが下の写真。通常の並びからすると少々いびつだが、真ん中に水準点が埋もれていてもよさそうな配置ではある。さて、この下に水準点は眠っているのだろうか?

というわけで宿題となった。

古くて新しい”黒橋”~地点6先

この橋のガードレールにすえつけられていた銘版によれば、この橋の名は”黒橋”である。しかし、現在の国道にも同じ”黒橋”がある。重複して問題がないのだろうか?

また、この”黒橋”は、昭和57年11月に完成している。つまり、現在の国道に主役の座を譲った、そのかなり後になって架け替えられたもの。もしかしたら、国道上の現在の”黒橋”よりも新しいのかもしれない。

現在の国道と合流~地点9先

ここが現在、新旧の分岐点となっているところ。普通に国道を走っていたらおそらく目に留まることはないだろう。それほど目立たない場所ではある。

ⒸhiDeki (hideki kubo) 2001           Contact ・ st-pad@digi-pad.jp

 

ご注意・この北海道旧道保存会ホームページ『裏サンドウ喫茶室』では、寄稿者の方々の研究成果を発表しています。掲載の文・カット・図版等はそれぞれ著作者の権利が保護されています。無断で他の媒体への引用、転載は堅くおことわりします。当ホームページ掲載の地図は、国土地理院長の承認を得て同院発行の当該地域を含む5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図、数値地図25000及び数値地図50mメッシュ(標高データ)を使用、複製したものです。<承認番号 平13総使、第520号><承認番号 平13総複、第390号>このホームページに掲載されている場所は、自然災害や経年変化などで取材時よりも状況が著しく変化している場合があります。