【旧道ロケーション】・北海道旧道保存会メンバーによる旧道歩きの記録です。
※ご注意・ここに紹介する旧道等は、実際に歩いたのが2000年から2010にかけてのものでかなり時間を経過しておりますので、現在ではほとんど消滅しているか、進入が困難であることが予想されます。「ツアーガイド」としてはまったく役に立ちませんので、あくまでも当時の記録としてお楽しみください。(本文は当時のHPに掲載していたものです)
旧釧北峠(阿寒湖温泉~北見相生)
道東の国道241号線を足寄から阿寒湖へ向かうと、湖畔より6キロほど手前でT字路となり国道240号線と合流します。右へ向かうと阿寒湖畔へ、左へは釧北峠を越えて相生へ抜ける道となります。「釧路國」と「北見國」とを分ける尾根を越える釧北峠は今でこそ曲線の少ない非常に快適な峠ですが、昭和44年ころにルートが付け替えられるまではこの東側に位置し、網走川に沿って登り山を越える標高621メートルの峠道となっていました。道路の歴史としては1807年(文化4年)にまでさかのぼる歴史のある路で、一説には網走と釧路とを往来するアイヌにとって重要な交通路であった、という言い伝えもあるそうです。
その 旧釧北峠を越える旧道を見る機会がありましたので、紹介させていただきます。当日は小雨模様で視界も悪く、以前に旧釧北峠を歩いたことのある北海道旧道保存会の石川氏曰く「~高圧線の所から見える阿寒湖は今の国道では味わえません」という情景は望むべくもありませんでした。晴れていれば、頂上付近からはもしかすると今の釧北峠よりもすばらしい眺望が望めたのかもしれません。
2001/10/11 調査
国土地理院発行2万5千分1『阿寒湖』(昭和59年発行)より抜粋。
上写真の2点は北見相生側の国道と旧道が別れる地点。向うが釧北峠方向。現在も林道として整備されておりクルマの走行に支障はない。
いかにもかつての”旧道”然とした雰囲気が残されている。林道のためゲートが設けられており当日は開いていたが、通常はチェーンがかけられているのかもしれない。
峠の上下でさほど標高差がないので勾配も緩く、いわゆる”山岳道”という感じではない。
だらだらとした登りが続く。北海道では10月ともなるとすでに紅葉のシーズンが終わり、雪を待つだけとなる。道端は降り積もった枯葉の山となる。
国道から分岐しておよそ3キロほど林の中を進むと、あたりが開けて峠の頂上となる。急なカーブもなく走りやすい道のり。頂上付近は、阿寒町と津別町の町境に並行に作られた林道と交差している。
左写真の赤い林道番号標識付近がおそらく頂上。その先はゆるく下り勾配となるが、かなり行き過ぎて初めて”頂上だったのか”と気づくほど、道はなだらかである。
左は、頂上を200メートルほどやり過ごして相生方向へ振り返ったもの。
右は、同地点から阿寒湖方向。右へカーブしながら下り、一転して勾配は急となる。整備されているのはこのあたりまでで、そのまましばらく下りて「七曲り」と呼ばれた連続ヘアピンカーブのあたりまで来ると、もうクルマでは進むことができないほどの荒地となる。急勾配なだけに、長年、雨水や土砂の流路となり、かなり侵食されている個所もあるようだ。
ちなみに阿寒湖が望めるこの付近には大きな木製看板があったらしい。この来訪の際には見つけることができなかった。
こちらは、阿寒町側の旧道三叉路。二又の右が阿寒湖畔方向で、左が旧釧北峠へ向かう旧道。阿寒湖方向へ進むと、かつての道路案内標識のものと思われる黄色い支柱が道路際に残っていた。
旧釧北峠は、阿寒側の一部が荒れていることを除いて、歩いて進む分には障害が少ないと思われる。観光遊歩道として整備できないものだろうか。このまま”忘れられた道”となるのは非常にもったいないような気がした。
写真 文 ・ 久保 ヒデキ
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