【旧道ロケーション】・北海道旧道保存会メンバーによる旧道歩きの記録です。
※ご注意・ここに紹介する旧道等は、実際に歩いたのが2000年から2010にかけてのものでかなり時間を経過しておりますので、現在ではほとんど消滅しているか、進入が困難であることが予想されます。「ツアーガイド」としてはまったく役に立ちませんので、あくまでも当時の記録としてお楽しみください。(本文は当時のHPに掲載していたものです)
旧国道243号線 美幌峠旧道
旧国道243号線 美幌峠旧道の沿革
内陸部にある湖としては北海道で最大規模となる屈斜路湖。そこに住むアイヌの娘と美幌アイヌの青年とが逢引を重ねたという伝説を残す、美幌峠。美幌側からのアクセスルートとなるこの峠は、大正9年10月、時の釧路土木事務所長 永山在兼(のちに摩周湖遊覧道路、阿寒横断道路を開削)の手によってわずか1年ほどの短期間で開通した。この当時、網走方面より屈斜路湖、弟子屈へ入るには、止別(ヤムベツ 小清水)から南下し、外輪山を越える小清水峠よりほかなく、弟子屈への入植者は生活物資を釧路から運び入れていた。だが、折りしもこの年の夏に大洪水がこの方面を襲い釧路側への道路が絶たれてしまう。そのことが、前年よりすでに開削中だった美幌峠全通を急がせたのだった。現在、屈斜路湖を一望できる道東屈指の観光地として有名なこの美幌峠も、そもそもは入植者の全滅の危機を救うための生命線だったのだ。
だが、その雄大な景観は今も昔も変わらず、昭和一ケタの観光ブームも手伝って一目見ようと訪れる客も次第に増えていった。それまでは馬車もままならない悪路だったが、昭和2年より準地方費道弟子屈美幌停車場線としての改良工事が始まり、昭和7年にはすでに美幌と弟子屈とを結ぶ定期バスが運行されていた。当時の時刻表によれば、午前9時35分弟子屈を出発したバスは、和琴半島停留所で10時15分に川湯温泉行きバスと連絡し、美幌峠を10時55分、美幌駅前に午後0時25分に到着。復路は、美幌駅前を1時30分に発車して美幌峠を2時45分、和琴半島に3時30分で終点弟子屈には午後4時20分着、という、1日1往復運行だった。
掲載の地形図は、”大日本帝国陸地測量部”発行5万分1地形図(昭和8年版)『屈斜路湖』を縮小したものです。
現在の道路状況を考慮しても所要時間が倍近くかかっていた時代であるが、この屈斜路湖を含めて阿寒国立公園として指定された昭和9年ともなると、ますますこの峠を越えていく観光客が増えていったという。 美幌峠はその後、第二次大戦中の被弾などで一時的に通行できなくなるものの、昭和23年には再び改修されバス運行が再開される。やがて復興とともに昭和28年には国道243号線に昇格、同じ年に『君の名は』映画化に際して、この美幌峠や屈斜路湖、摩周湖などがロケ地となり、全国的にその名が知れ渡ることとなった。まだこの旧道が現役だった頃のことである。
先の永山在兼は、釧路土木事務所長時代、「将来、来るべき自動車社会に対応した道路造り」を理念として職務を遂行したと伝えられるが、予想をはるかに超えたスピードで観光ブームも頂点に近づきつつあった。すでにキャパシティーに限界の見えたこの旧道に対し、緩曲線化と緩勾配化、道路拡幅を図った整備が昭和35年ごろから本格的に始まる。昭和46年までの約10年間をかけて、美幌峠弟子屈側は新しいルートに変更され、現在の国道の姿となって受け継がれたのである。最小半径、最大勾配ともに緩和された結果、大型バスや貨物トラック、自家用車が急増し、現在も観光のみならず産業道路としても重要な幹線道路となっている。
~2002年7月7日探索~
霧と小雨の美幌峠から、旧道へスタート・・・
当日はあいにくの雨模様。峠頂上付近は霧にも覆われ、好天ならば眼下に広がっていたはずの屈斜路湖も、乳白に溶け込んだまま姿を見せてくれなかった。
<PM1:21> 旧道への分岐点は現在の国道を下り、最初のヘアピンカーブを過ぎたあたり。標高は約400m。峠の頂上からは標高差にしておよそ90mほど降りたところとなる。そこはやや広い空き地となっていて、重機が数台置かれていた。よく見ると、旧道の先まで見通せる範囲は、林道同然のしっかりした”道”となっている。もしかすると旧道はそのまま造林作業のために整地されているのかも・・・と、期待を抱かせたものの・・・。
<PM1:22> 旧道は、その先ほんの10数mほどでいつもの見慣れたクマザサの藪へと変化してしまった。やはり今回も藪漕ぎの運命が?
<PM1:23> おもしろいことに、そんなクマザサの藪もわすかに途切れ、草原のような背の低い雑草帯へと変わる。いつもの藪また藪、といった旧道歩きを体で覚えている身には、非常に歩きやすく、いつもよりも歩くペースが速くなる。
旧道はあまり荒廃が進んでいないようだ。最終的に幅4.8mに整備されたとあって、見た目にも広く感じる。部分的にはそれ以上の広さを感じる箇所もある。似たような時期に使われなくなった稲穂峠とはかなり様相が違う。
新道に切り替わって30年が過ぎ、今は草の生い茂った表面もこの雨にもかかわらずしっかり踏みしまったところが多く、草刈りしさえすれば今でも立派に道路として使えそうだ。
<PM1:24> ふと気づくと道路の路肩には側溝があり、長い年月ですっかり苔と雑草で覆われてしまっているが、コンクリート製のU字溝が使用されていることがわかる。稲穂峠では見られなかった”土木技術”だ。もしかして道路の荒廃ガ進んでいない理由のひとつに、この排水溝が今も機能しているとは考えられないだろうか。
<PM1:25> 短い間に道路表面の状況はめまぐるしく変わる。草原の道をさらに進むと、今度は一面苔に覆われた区間となった。一部路肩が崩れかかっているところもあり、この旧道も確実に自然に還りつつあるようだ。
足元をよく見ると、この崩れている部分に露出しているのはどうやらアスファルトらしい。細かい小石や砂利がびっしりと敷き詰められた、いわゆる”テンプラ”舗装のようだ。崩れていなければ気づかなかったが、舗装されているのはこの前後の限られた区間だけなので、路肩の補強などの目的があったのだろうか。いずれにせよ、30年以上放置されていながら、しっかり舗装路面が残されているのは意外だった。
<PM1:29> 最大勾配は13%だったらしいが、今のところは非常に歩きやすい緩やかな下り道が続く。先ほどまでの苔の”じゅうたん”状態から、唐突にクマザサ原へ突入。ただし、濃昼山道などで見慣れたチシマザサ、いわゆる”根曲がり竹”とは違い、茎が細く、背丈も腰ほどの高さしかないので容易に掻き分けられ、さほど苦にはならない。
<PM1:30> ほどなく最初のヘアピンカーブへ差し掛かる。写真のとおり、おもしろいことに道路のほぼ中心を境に谷側がクマザサ、山側が背の低い雑草と、きれいに分けられている。
山側には道を掘削した際に露出したと思われる、岩盤の露頭が見える。
<PM1:30> 旧道は、最小半径が11mだったということだが、地形図で見る限りここの箇所をおいて他に見当たらないので、おそらくこのカーブのことと思う。しかし、中山峠旧道であるとか稲穂峠などと比べ、あまり道路としての険しさを感じないのは、標高の割に傾斜が少なく、山岳というよりは丘陵に近い、この地方独特の地形環境によるところが多いのか。
<PM1:31> ヘアピンカーブを超えてすぐに、立木の間から霧のかかる屈斜路湖が見え始めた。晴れていればもっと違う印象となっただろう。
<PM1:31> 同じ位置から後ろを振り返る。クマザサが分かれ、道のように開けているのはこの旧道のファンが多いためか?結果から言えば、この先、林道に合流するまでの間、ほぼとぎれることなく踏み分け道がついていたので、意外に人の入り込みは多いのかもしれない。
<PM1:32>藪がいかに浅いかを、この写真が物語る。傘を差しても進んでもさほど苦にならないほどだ。濃昼山道ではこんなことは到底考えられない(!)。
<PM1:38> ふたつ目の、比較的直角に近い左カーブを過ぎると、等高線の間隔も割合広くなり、道路の勾配もさることながら左右の山の傾斜もそれほど感じなくなる。緩やかな尾根に沿って、しばらくはクマザサの海とところどころに伸びるカバノキを見ながら旧道は進む。
このあたりの標高は約330mほど。
<PM1:41> 他の峠道に比べて、標高の割に樹木が極端に少ないのもこの地域の特色かもしれない。旧道からはこのような屈斜路湖の眺望が随所で堪能できる。『旧道ほど絶景ポイントが多い=旧道格言』
ちなみに、現在の国道上を走るクルマからは、意外とこういった湖を見るチャンスは少ない。
<PM1:42> 緩やかな尾根の上にさしかかる。標高が下がるにつれ笹薮と林が交互に出現する。比較的若い木が多いのは植林のためか。40年以上も前の、旧道が現役だった時代は、もっと視界が開けていたのかもしれない。
<PM1:46> 今回のツアーに参加したのは11名。先頭を進むのは大学生グループ。このあたりは景色に変化が少ないせいか立ち止まることも少なく、先へ進む。
やや遅れて、景色を確かめながら歩くのはコンターサークルを主宰する堀淳一氏(下)。
<PM1:51> 時折このような”並木”が出現する。この並木にはさまれたクマザサの空間が、旧国道243号線。昭和40年代のロードマップには「1.5車線の未舗装路」と紹介されていた。もっとも、幅4.8mあれば、クルマ同士のすれ違いはそれほど難しいとは思えないが・・・。
<PM1:55> あいかわらず、あまり勾配を感じない峠の下り道が続く。早々と、歩きながらも退屈しはじめていたのはこのあたりから。
雨や景色が単調なだけではなく、”国道の峠”でありながら、標識などの痕跡がない。水準点が置かれているわけでもない・・・などの、発見に乏しい”旧道歩き”となっているからだ。
<PM1:58> そんな折にやっと見つけた写真ネタ。いつのころか誰かが捨てた、錆びた古い空き缶は、その後生えてきたクマザサに貫かれ、宙に浮いていた。
<PM2:01> 標高が下がるに従い林の密度が濃くなってくるが、その中でしばしば見つかるのがこのマタタビの木。葉の一部が白いため、遠くからもよく目立つ。まるで白いチョウが集団で雨宿りしているようにも見える。
<PM2:04> 気が付くと、かなり長い距離にわたって”並木”が続いている。ダケカンバだろうか。幹の太さからまだ若く、新道切り替えのころに芽吹いたものかも・・・。
「ちょうど道路幅いっぱいに並んでいるようだが、これは路肩の土がやわらかいせいだろう」とは、フレーミング中の堀 淳一氏の言葉(右写真)。
<PM2:12> シカの食痕。かなり以前に食われたのだろう。すでにこの木は枯れてしまっている。こうした食痕やシカの糞が、道路上のところどころで目撃できる。が、”シカのいるところヒグマの影あり”とも言われ、ここ数年以内にこの周辺での目撃例もある。この美幌峠でも何頭かいるのだろう。
樹木の密度が低く開けて見通しが悪くないので、とても出そうな雰囲気は感じられなかったが、ヒグマに対する注意は怠らない方が良いだろう。
<PM2:14> 高度が下がるにつれ、次第に下草の生え具合が濃くなってくる。道路を横切る小さな沢もいくつか数え、その1箇所は旧道の半分を”川”に変えていた。厚みのあるビニールのようなパイプが落ちていて、その上を覆う成長した苔が、長い年月が経ていることを証明している。
透き通った浅い水の流れの中に落ちて、朽ちるに任せていた古い空き缶。水につかっていた部分はすでに腐食してぼろぼろになっていた。
<PM2:22> 割合急なヘアピンカーブに遭遇。このあたりからはクマザサに替わってシダ類が目立つようになる。だが、そのサイズはかなり大型。
いくつか渡る小さな沢は、見た限りではそのすべてが暗渠となって道路の下をくぐっている。この沢も同様で、よく見るとかなり年季の入った土管(セトモノかコンクリートか不明)らしきものが見える。道路は昭和30年代末期には現在の新道への切り替わりが始まっているので、国道指定で最後に改修された時のものか。
今回の行程のほぼ半分を消化。高度も、あまり勾配を感じない割には標高260mほどまで下ってきている。道路はあいかわらず歩きやすい。
<PM2:26> 緩いくだり道の先、真正面の木々の隙間から屈斜路湖と中島が見える。このあたりは下り勾配がやや増しているので、このまま湖まで一直線に落ちていくかのようだ。クルマで走っていたならば、結構スリルを感じる瞬間かもしれない。
現在の国道からはこうした景色は望めない。ロケーション的にはやはり旧道の方がドラマチックである。
次第に視界が開け、湖の全容が見えてくるが、上の方ではさほど感じなかったクマザサが邪魔をして、湖を見下ろせない。ここから道は右方向へへアピンカーブののち、再び次の尾根に向かって折り返す。
<PM2:30> ”自然のブランコ”を発見。乗っても大丈夫?「久保さんはやめた方がいいよ」と、後ろからチェック(笑)。もちろん、乗るのはやめました。
<PM2:35> 遺構と呼べるのか、道路が現役だった頃のものと思われる看板を発見。営林署が付けた山火事注意の標識だが、表面はかなりさびが浮いていて年月を物語っている。一枚は、木の幹に飲み込まれようとしていた(!)。
見つけた”火”と”意”の間には”注”があるはず。付近をくまなく捜すが(写真下)、結局痕跡を見つけることはできなかった。看板ごと伐採されてしまったのか・・・。
<PM2:40> 注意看板のあった左カーブから湖側への折り返し。次第に雨も小降りになってきた。周囲も明るくなり、雨に濡れた草が鮮やかになる。
<PM2:45> 道中、しばしば見かけるトドマツの大木。倒れているものも多く、このように道をふさいでしまっているものもある。
また、直後に見つけたトドマツは、幹が途中からなくなり、その上に他の寄生植物が絡みつき、まるでカツラをかぶっているかのよう。
<PM2:47> 看板シリーズその2.国有林標識。しかしながら、道自体は非常に歩きやすいものの、なんと手応えのない旧道だろうか・・・。ここまで下る間、相当危険とも思えるほど、路肩ががけだったりする箇所もあるのに、ガードレールすらないとは・・・。
<PM2:51> 再び大木が行く手をふさぐ。かなりの太さだが、そばに残された太い根の方は大量の水分を含んで朽ちかけている。これらの倒木を寝床にして、新しい木が芽吹いていく。
<PM2:55> トドマツの倒木。気付くと、いつのものなのか道路にかかる部分がチェンソーで切り落とされた跡が残っている。営林署の処置だろうか。林道として整備する計画でもあるのだろうか。
<PM2:56> 旧美幌峠の下り部分もいよいよ大詰めである。あたりの林が厚くなり、先ほどまで見え隠れしていた湖はすっかり隠れてしまった。
この時は気付かずに通り過ぎてしまったが、かつてこの道が現役だった頃、この周辺のどこかに湖畔を巡る林道へ降りる分岐があったようだ。
<PM2:59> 湖の標高が120mぐらい。この付近で標高150mほど。しばらくは等高線沿いに進むために勾配が緩くなり、今まで”下り”を感じていた足が微妙に重くなる。ただ、藪は背が高くなってきてはいるもののそれほどひどくないので、歩くのに難儀するほどではない。
<PM3:09> 湖へ流れ落ちる沢を何本か通過したが、そのどれもが暗渠化されていたが、この沢も、道路の下は土管のようなもので通されていた。
上流側には天然の倒木によってできたと思われる、いくつもの”丸木橋”ができていた。
<PM3:11> 高度はおよそ200mほど。山側のヘアピンカーブの一角、土手の一部に土が露出しているところを発見。旧道保存会石川氏曰く「鹿が食べた後かもしれない」とのこと。土の上には無数の足跡と思われるくぼみがあり、ほとんど草が生えていない。根を掘り起こして食べた跡だろうか。
<PM3:15> クマザサに混じって、再び路肩に巨大なシダ類が姿を見せるようになる。周囲がほとんど高木になってきたために、日常的に日当たりが悪くなっているからだろう。足元も、頂上付近の歩き始めの頃同様に、”コケの絨毯”状になったところも見られる。足元がじめじめしているのは、この日の雨が原因ではないようだ。
<PM3:19> 木々の途切れた空が望めるところは、再びクマザサの原となる。かなり樹齢を重ねたと見える大木が目に付くようになるが、下写真のように路肩に沿ってマツの幼木が並んでいる場所もある。自然発芽にしては並びすぎているような気もするし、植樹したにしては、あまりに脈絡がないような気もする。なぜこの場所だけに?
<PM3:24> 木々に飲み込まれ、どこが道路だか判別しない旧道が多い中、この旧美幌峠の旧道は比較的見通しの利くカーブが多く、道路の痕跡がわかりやすい。標高から見ても峠としてはさほど険しくない部類に入るのかもしれない。
<PM3:20> 落雷?または風倒木のため?
太い幹が真っ二つに割れ、他の木の幹が刺さりこんでいる。
<PM3:25> 薄暗い道路上にマゼンタに輝き、ひときわ目立つ植物を発見。撮影会となってしまった。
<PM3:29> 再び足を進めるとまもなく、まるでスパッと刃物で切り落としたような巨石を発見。切り落とされた方の”輪切り”状の石はそのままその場に倒れている。何が原因でこうなってしまったのか・・・。堀 淳一氏と常国女史が推理合戦を・・・。結論は出ないようだが。
<PM3:32> 歩き始めて2時間ちょっと。ゴールの林道分岐点まではもうすぐ。
激しい藪漕ぎもなく、峠の下りとあって、予想以上にスムーズな行程だった。(写真は美幌方向)
<PM3:36> この時点で標高はおよそ140mぐらい。この日、霧の中からのスタートだったが、ゴール間近で雨も小降りとなり次第に空に青い部分が見えてきた。普段の行いが悪いから?それとも・・・。
<PM3:43> 見事なシダの列に遭遇。その長さは100m以上はあるだろうか、この写真の1つ手前のカーブから、路肩を覆いつくすように続いている。
われわれが歩いているところは、旧道のほぼ中心付近。それを境に山側はクマザサ。谷側がシダ。なぜか住み分けている自然の不思議。おもしろいことに、この旧道ではそういうシーンによく出会う。
<PM3:39> 高道路をふさぐように倒れている朽木に不思議なものを発見。一見するとサルノコシカケだが、色鮮やかな焼き色が入っている。まるで焼きたての菓子パンのようだ。
「名づけて”サルノコシカ・ケーキ”?」
<PM3:49> ところが、この林道が見えはじめてからが長かった。ほぼ並行に進んではいるのだが、こちらの勾配があまりに緩やかなのでなかなか分岐点が近づかない。
ごく最近でも車の入り込みがあるのか、道路上にわだちがある。
<PM3:45> 唐突に下草が少なくなり、道が開け始める。ふと下を見下ろすと林道が見えた。これより少し手前から、林道と平行して進んでいたようだ。高低差は10mぐらいか。
この林道を反対方向へ進むと、そのまま屈斜路湖をぐるっと巡り、川湯方面へ出ることができる。
<PM3:52> 林道との分岐点が見えた。
<PM3:53> かつてはこちらが本線で、右への林道は存在していなかった。この部分だけを見ると、旧道側の方の道幅が広く見える。
正確には、現在の国道と林道とが合流する部分までが旧美幌峠の道スジとなる。
とりあえず峠下り部分の完歩を記して記念撮影。
<PM3:58> 林道は当たり前に通行可能なので、当然ながら通行車両があり、何台かとすれ違う。単調な景色とあいまって、旧道は旧道でも少々つまらない道ではある。
下は、今回参加した、「終わっても元気いっぱい」の大学生組と、常連の「なんとなく疲労の色が隠せない」”大人”組(?)。なんと対照的・・・(^_^;)。
<PM4:23> もしかしたら、今日の旧道歩きで唯一の遺構発見?”しげるばし”という名の橋。昭和29年11月に架けられたらしいので、まだ旧道が現役の時代である。
10mほどの小さな橋だが、白い陶板に手書きでその名が書かれ、欄干のコンクリート部分も当時としてはしっかりしたものだと思う。この前後にいくつかの川を越えているが、これほど立派な(?)橋が他に見えないのも不思議である。部分的にはかなり傷んでおり、びっしりとコケが生していた。
それにしても、”しげるばし”とは・・・。いきさつを知りたいものだ。
このまま林道をしばらく進み、午後4時半ごろにはエメトコマップと呼ばれる、かつて美幌峠への工事が最初におこなわれた付近に到着。そこは現在の国道との交差点となっているところである。
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