【旧道フォトグラフス】・旧道に所縁のある一枚のカットを巡る小さな旅。
Vol、4 消え行く八険山道路 (札幌市南区) カット 文 ・ 久保 ヒデキ
(注・平成一三年年執筆)
消え行く八険山道路 (札幌市南区)
カット 文 ・ 久保 ヒデキ
その名を、観音岩山という。恐竜の背のような険しい岩峰を天に突き立てたその姿から、いつのころからか「八険山」と呼ばれ、通り名となった。大きく切り立つ岩壁はふもとを流れる豊平川へと突き刺さり、流れを阻まれた豊平川はその直前で大きく屈曲し、安山岩の断崖を今も削り続けている。
明治三三年、この山の西側、上砥山地区に初めての入植者が入った。早くから入植者があった対岸の簾舞地区と違い、橋のない時代、この八険山を超えての開拓は想像を絶する苦難があったという。収穫した作物を運び出すために山越えを強いられ、冬ともなれば雪のために陸の孤島となる。ほどなく、この八険山の切り立つ断崖絶壁を削り道が開削されたが、それでもなお難所であることに変わりはなかった。
人馬がやっと通れるかどうかの狭い道。頭上の断崖は風雨のたびに脆く崩れ落ち、足場を奪う。俵を背負った馬が足を踏み外し、滑落したこともあった。そのため、馬の通行安全祈願のために、馬頭観音が建てられた。
時代は変わり、上砥山地区にも橋が架けられ、次第にこの道を通るものも少なくなる。だが、難所でありながらこの雄大な絶景を眺めることができるこの道を、やがて来るレジャーブームが放っておくわけはなかった。当時、対岸を走っていた定山渓鉄道がこれに目をつけ、藤の沢から白川を経て小金湯へと至るハイキングコースとして整備する。行楽の季節が来るたび、多くのハイカーたちが冷や汗をかきながらこの道を歩いたに違いない。
昭和五〇年ごろまで札幌市が自然遊歩道として管理していたが、度重なる落石のためにまったく使われなくなってしまった。道上に敷かれた粗いコンクリートもところどころ崩れ落ち、その先には幾度となく繰り返されたであろう大量の落石のため、鈍った現代人の足では、もはや乗り越えることもできなくなってしまった。
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