【旧道フォトグラフス】・旧道に所縁のある一枚のカットを巡る小さな旅。

Vol、3   1966年製の碍子 (厚田村 濃昼山道)    カット 文 ・ 久保 ヒデキ

(注・平成一二年執筆)

一九六六年製の碍子 (厚田村 濃昼山道)

カット 文 ・ 久保 ヒデキ

 

 濃昼山道を通っていたのは”人”だけではなかった。山道に沿って、コールタール塗りの木製の電柱が何本にも渡って立っていた。八幡町から国道二三一号線に沿って海岸沿いに北上し、浜益に至る間に点在する集落へ電気と電話を繋いでいたのだ。紛れもなく濃昼山道は文化と生活を運ぶ『生命線』だった。山道の脇の笹藪に埋もれていたこの碍子は、その証でもある。

 

 碍子に製造年が記入されているということを人づてに聞いたのは、ごく最近のことである。そして、濃昼山道で見つけたこの真新しい碍子には、「1966」とプリントされている。一九六六年製造の碍子ということだ。

 

 濃昼山道で時折見かける碍子の残骸は、上のもののように割れてしまっているのが普通だ。三〇年以上もの間、厳しい風雪にさらされながらも無傷でいられたということにただ驚くしかないが,それも、この製造年号がついていればこそだ。なければとても、それほど昔のものとは思えないだろう。

 

 のちに海岸沿いに新道が拓かれ、電柱も、鉄骨を組んだ背の高い新しいものに変わった。高電圧になった結果、碍子もふた回り以上も大きいものへと取り換えられた。落ちていたこの碍子は、その際に放置されたものだろう。だが、製造年的にはちょうど新道に切り替わった頃だ。そういう意味では交換早々にお払い箱となってしまった不運なヤツかもしれない。

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