【旧道エッセイ・堀 淳一紀行集】
Vol、5 神様の沼? 中西さんの沼?
───カムイト沼 堀 淳一
浅茅野市街から、真尾さんのクルマに乗せてもらって、旧天北線跡のサイクリングロードの西側に並行する道路を、北へ向かう。北方三キロにカムイト沼があるのだ。
沼の東岸は道路から五〇メートルぐらいしか離れていないが、その狭い空間がちょっとした公園のようになっていた。といっても、いかにも公園でございます、という風のギョウギョウしいものは何もなく、クルマが駐車できる土の空き地に過ぎない。しかし背の高い木々に囲まれて、なかなか感じがいい。人も私たちのほかニ、三人の姿が見えるだけで、木々の葉のそよぐ音のさわやかな、静かな公園だった。
公園と沼の岸の間の、高さ八~九メートルの崖を階段で降りて行けるようになっている。そして下には、湖岸沿いの木道があった。
薄曇の横帯を何本も棚引かせている淡いスカイブルーの空の下で、沼は、眼の前の草のしげみや木立と、森に覆われて納戸鼠にかげる対岸の丘との間に、わずかにさざなみ立ってシルバーホワイトに光る水を、静寂そのもののように湛えていた。
神様の沼? 中西さんの沼?
───カムイト沼
堀 淳一
木道をそろそろと歩くにつれて、前景の草木の布置が刻々と変わる。岸から湖面に突き出る今にも折れそうに心もとなく細い裸木の枝の、虚空をつかもうとするかのような奇妙な形。それと対照的な、厚ぼったく堅い葉のむらがり。幹も枝もどっしりと野太く、高々と天を突く木。次にはこれと同じ木が、水の中にゴツゴツとした根をあらわに立ち、倒影を水に落として立っている。かと思うと、まるで重さなどないかのようにスッスッと水から立ち昇る、繊細きわまりない水草の一群。水すれすれに突き出る鋭いトゲのたくさんある倒木。そして冴えた若紫のアヤメの花を点々と混ぜるアシの叢や、こまやかな葉を水の上に無数に点描する背の低いヤナギ。
沼の水面の変化も、またおもむき深い。さざなみがほとんどなくて滑らかなところでは、対岸の森は樹幹のこまかな刻みをそのまま黒緑に映して、輪郭のぼやけたさかさまのギザギザを描き、薄曇から覗く淡水色の空は、一段と淡い淡水色の島を、シルバーホワイトの中に浮かばせている。こちら岸近くの水が、そよ風が吹くたびにスカイグレイと白の縞をゆらめかせ、水草の影をくねくねと折り曲げるさまは、そんな静の中の、たおやかに心を揺らす動だった。
カムイト沼は重複地名で、本来はカムイトー(神の沼)だったにちがいない。かつては中西沼と呼ばれていたそうだ。現在沼の近くには人家はなく、地図で見る限りは昔人家があった形跡もないのだが、中西さんという人が近くに住んでいたことがあったのだろうか? それとも沼を発見したのが中西さんだったのか?
カムイト沼という名がはじめて地形図上に現れたのは、一九七〇年頃のことだが、これはアイヌ語地名だから、もっとはるか前からこの名はあったはずだ。中西沼という名は、いつごろ現れていつごろ消えたのか、私にはナゾである。
だが何れにせよ、それは「神の沼」の名にふさわしく、そこはかとない神秘のたゆたう沼だった。
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