【旧道エッセイ・堀 淳一紀行集】
Vol、2 浅茅野台地西方の無名沼 堀 淳一
浅茅野のバス停から南南西に伸びる道を歩いていった。同行は真尾さんと京子さん。
浅茅野の小さな市街をぬけると砂利道となって、アシと潅木の生い茂った茫々の原野を、一直線につらぬいてゆく。あるいは大きくひろがる薄雲を真珠色に光らせ、あるいは軽やかな巻雲と澄み切ったセルリアンブルーやスカイブルーの中にスイスイと棚引かせている空。その空が、限りなく広い。七月はじめの日ざしはまぶしいが、天北原野の空気はさわやかに乾いてい
浅茅野台地西方の無名沼
堀 淳一
て、歩いていても汗は出ない。心躍る気持ちのよさだ。
二キロほど行くと、左側にアカエゾマツの林を載せた低い丘がせり出してくるが、それが去ると一転、逆光にまばゆく光る鸚録の野が、潅木をボチョボチョと立ててひろがった。
この光る野の中にめざす無名沼があるはずだが、草に妨げられて見えない───いや、よくよく注意してみつめると、草の間から、光る水面がチラチラとのぞいていた。しかしそれでは物足りない。一〇〇メートルほど先から、道は低い丘への登りにかかっている。道の両側はアカエゾマツの林。そうだ、あの丘に登ってやろう───
道の右側の丘のほうが、ぐんと手前に、ということは沼の近くまで、張り出している。その突端に取りつく。アカエゾマツの林床はちょっと手ごわいヤブだったが、強引によじ登る、と、果たして、さっきと段違いに、湖面が広く見下ろされた!
とはいえ、すぐ目の前に立つ背の高い草が少々邪魔だし、手前のほうの湖面が、松の枝にかくされて、よく見えない。うーん、もっとよく見えるとこはないかなあ?
「さっき沼の手前で通り過ぎた丘に登ってみませんか?」
と真尾さんが言う。そうだった。あっちにも丘があったんだ。それに、あっちの方が沼にもっと近いぞ。
「うん、そうしましょう!」
戻ってみたら、なあんだ、さっきは気付かなかった、丘に
国土地理院発行二万五千分一「浅茅野」より抜粋
登ってゆく踏み跡が、ちゃんとあるではないか!
といっても、アカエゾマツの枝が次々と横から突き出してきて、それにからまる太々しい蔓といっしょに道路をふさぐ難路だった。がここでも、それらと格闘しながら何とかかんとか登ってゆく。
と、沼が見えてきた。木の幹と枝と葉が相変わらず邪魔で、うまく全景が見渡せないのは同じだけれども、さっきよりもかなり高くまで登ったのに加えて沼がすぐ足もとにあるため、今度はぐんとよく湖面が見下ろされた。
木々の濃緑をオリーブグリーンにとろりと映す水面を囲んで、シルバースカイの水が微風にさざなみ立ち、はるかに遠い星のように忙しくまたたきながら、キラキラと光っている。そしてそのきらめく輝点の群れがオリーブグリーンの水面の輪郭を、点描的にぼかしている。沼のぐるりは光り輝く鸚録の野。沼の向こうは常盤色のアカエゾマツの林。
ところで、どうしてこんなところに、こんないい沼があるのだろう?
沼の北西を、サルフツ(猿払)川の支流、成田川が流れている。沼の北北西でこれに流入している短い支流と、東からこの小支流に流入するさらに短い支流との合流点に、沼はある。
成田川のほうがこれら二つの小支流よりはるかに水勢が強いために、成田川の堆積する自然堤防に小支流の水が堰き止められて滞流し、沼をつくったのだろう。つまりこれは、いわゆる沖積堰止湖だ。
あるいは、そもそも天北原野は大昔海だったことを考えると、この沼は海が退いた後も陸化せずに残った海跡湖だ、といってもよさそうだ。
沼には名前がない。形は北の上にして見ればソックス、東を上にして見ると長靴に似ている。でも、だからといって「ソックス沼」とか、「長靴沼」ではどうもねえ。
いや、この沼はやはり、無名のまま人知れずここにひそんでいるほうがいい。味わいをかえって損ねるヘタなネーミングは、しないでおこう。
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