【旧道エッセイ・堀 淳一紀行集】

Vol、16 山水動画・絢爛彩画──稲庭南方に群れ集う沼たち    堀 淳一

 一〇月の末、横手からバスで国道十三号を南下、十文字から皆瀬川の谷に入って、小安温泉へ向かう。

 唐突だが、うどん派、ソバ派、ラーメン派と分けると、私はうどん派である。

 といっても、うどんなら何でもいい、というわけではない。当たり前だが、まずいうどんはダメ。美味しいのがいい。美味しい讃岐うどんとうまい稲庭うどんがいい。

 その稲庭うどんの本場なのだった。皆瀬川の谷は。

 

 バスは谷に入ってしばらくすると、稲川町域をつらぬいて走る。稲川町は昭和四一年三月までは稲庭川連町だったが、これは昭和三一年に稲庭町、川連町、三梨村が合併してできた町。そしてこの稲庭町が稲庭うどんの発祥地なのだ(はじめてつくられたのは寛文五年、一六六五年)。

 このときの第一目的は、しかし、うどんを食べることではなかった。食べる話はあとまわし。バスの窓からうどん屋の旗どもに眼をやるだけにして皆瀬村域に入り、板戸で降りる。

 強い西風が吹きつのっていて、寒かった。薄雲や鉛色の雲が、空を慌しく駆けていた。それを仰ぎ見ると、いよいよ寒い。

 国道三九八号を東へ七〇〇メートルほど歩くと、若畑へ行く道が右に分かれていた(分岐点にもバス停があった、なあんだ)。それをたどって山裾の緩斜面を登ってゆくと、道はやがて若畑のほうから流れてくる川の狭い峡谷に入って、やや急になった坂を登っていった。

 と、名前のない小さな沼が、道のかたわらに現れた。

 南から北西にかけての岸辺の水を四~五メートルの幅に埋めつくし、北端近くでは逆に沼のまん中をぎっしりと埋めているアシが、日を受けて梔子色に彩られた対岸の森を映す、とろりと濃い鶯茶。そしてその鶯茶に、赤、黄、薄紅、薄茶の浮草が密に浮び、また鮮烈なシトロンイエローや金茶の草が、水からほしいままに立ち茂っていた。

 それらのアシや草に、沼は早晩埋め立てられてしまうに違いないが、今はまだ、手前の岸に立ち群がる浅緑、黄、藁色の草のきらめきに引き立てられて、B級湖沼といってもよいほどに眼を惹く沼。

山水動画・絢爛彩画

     ──稲庭南方に群れ集う沼たち

堀 淳一

 しかし、対岸山腹のくすんだ緑に混じって錦を織る秋色も、路のすぐ下の山腹から空に伸び立つ針葉樹のエメラルドグリーンや広葉樹のオレンジ、黄、黄緑の彩りも、曇り空にくすんでいながらあざやかさを失ってはおらず、湖面のしぶいオーキッドグレイを、この日なりに引き立ててはいた。まして、光と彩りにみちているに違いない晴れた日の沼の姿を、十分に想像させてくれたのだった。

 

 国道に戻ってさらに東へ歩き、貝沼の神社のすぐ先で、貝沼集落をぬける短い旧道に入ると、貝沼に導く路の分岐点があった。

 分岐点に立っている説明板に書かれている

 「貝沼──カラス貝が多いことから沼の名がついたといわれています。沼には鯉、フナ、小エビ、ワカサギが棲息し年間を通して釣人で賑わっています」

という文字に眼をやってから、沼を目指す。

 名前はなんとつけようか──そう、葦沼、葦沼がいい。

 道はそこから砂利道に変わってさらに登り続け、若畑へ行く道と分かれて、支流の峡谷に入っていった。

 

 とにわかに木々が密となって日陰が多くなった。路面も湿ってきて、土が泥のようにやわらかくなり、また黒味を帯びてきた。荒れた山路、という感じ。散らばる落葉と短い草がその感じをさらに深める。

 間もなく坂が一段と急になって、息がはずんだが、木の間から差し込む日に輝くオレンジと黄の紅葉にはげまされて登ってゆき、なだらかな峠に出た。

 峠を越すとすぐに、板戸沼が眼下に見えてくる。地図には峠から湖畔までまっすぐ下る路が描かれているけれども、それは森に埋もれてしまっていて、なかった。その代わりにつくられたらしい、ほぼ等高線沿いに沼の北東岸の山腹を横切ってゆく路に入る。

 空があいにく、この時は藍鼠の雲にすっかり覆われていて、沼は奥宮山から南東に延びる尾根なみを背に、鈍く光るオーキッドグレイの水を、変哲もなく湛えているだけだった。強風に騒いでいるはずの湖面の波立ちも、二〇メートルの高さのここからは、かすかな小皺としか見えない。波の音もまったく聞こえない。

国土地理院発行 二万五千図「菅生」「子安温泉」

 水田と人家が尽きると、路は山裾の林に入っていった。雲間からこちらをめがけてさしてきた西日に、簡易舗装の路面がまばゆく光る。行く手に四本並び立つ杉の木の影が、それを長々黒々と斜めに横切りながら、広葉樹の葉のもやもやの影をつらぬく。が路がカーブすると杉の陰は消えてもやもやだけが残り、逆光にまぶしく輝くオレンジのむらがりが、向こうに現れた。

 そんな変化を楽しみながら急坂を登ってゆくと、間もなく峠。そして峠を越えたとたん、貝沼の岸に出た。沼を一周する遊歩道を、まず右へ。

 空はほんのところどころにだけ晴間をのぞかせる曇り空。しかしそう厚い雲ではなく、天地は光に満ちていいた。とはいえ何分もう夕暮れに近い秋の日ざし。沼をめぐる逆光の下の山々は、相変わらず紅葉たけなわであるのにもかかわらず、陰りに埋もれてあざやかさを失い、山肌は一様に黒に近い青鈍にみえた。

 湖面は、その青鈍を映す葡萄鼠の帯びすじを除けば、かすかに紫味を帯びた銀白に、いちめんにきらめいている。そして風の吹きまわしが変わるごとに、葡萄鼠の帯は、まとまって太い帯となったり、幾筋もの細い帯に分裂したり、濃いものと薄いものとに分かれたり、あるいは千々に散らばったりして、千変萬化するのであった。輝く光と沈んだ黒とがつくる、動く山水画。

 こういうのもまた、B級湖沼の一つのきわだった表情なのだろう。

 国道にもどったが、板戸沼の場合とちがって、そこにはバス停がなく、西へ二〇〇メートルばかり戻らなくてはならなかった。しかもそこはふきさらしの野の中。

 気がついたら、まだ昼食をとっていなかった。私は一段と強くなっていた西風に背を向けてフードを深くかぶり、縮こまって、バスが来るまで握り飯を頬張っていた。

 

 打って変わったあくる日は、ぐーんとあたたかく、空も冴えてヨットブルーの日。

 湯沢駅からタクシーで、と思っていたのだが、レンタカーで拾ってあげましょう、という相澤さんの好意に甘えて、湯沢市中新田まで乗せていただく。

 第一の目標は、県道南側の無名沼。

 行ってみたら、ちゃんと名前がついていた。曰く「じゅんさい沼」。しかも、西岸にキャンプ場が整備されていた。

 小学生の一団がやってきていて、焚火に興じたり、芝生を走り回ってはしゃいだりしていたけれども、オバサン軍団オジサン小隊の金切り声だみ声よりははるかにマシ、可愛いものだ。

 その名の通り、沼はいちめん蓴菜の葉に埋まっていた。順光の下では蓴菜のつややかに光る鶸色に対岸の草木の若緑、コバルトグリーン、メドクグリーン、蘇枋色が加わって、まぶしく明るい。対して逆光の下では蓴菜のやわら

かく光る若芽色と対岸にぎっしりと並ぶ針葉樹の蔭って暗いスプルースグリーンの、おだやかながらクッキリとした対比。手前の岸に立つサクラの紅葉のシグナルレッドが、それに鮮烈な彩点群を加える。

 ひととき沼のほとりを歩いては止まり、歩いては止まりしたあと、次の目標、田螺沼をめざす。A地点まではクルマで、あとは歩いて。

 県道を約三〇〇メートル南に下がると、湖岸へ降りてゆく小径があった。はじめは草ぼうぼうの荒れた路だったが、間もなく木漏れ日の心地よい落葉に、そして沼の岸──といっても水面上四~五メートルの急斜面の中腹だったが──に出ると、ほどよい砂利道に変わった。それを辿って、沼をゆっくりとめぐってゆく。

 温和な日ざし、澄んだ空気が、無上に心地よく、気分がうわーん、とふくらむ。身体までふわりとふくらんでゆくようだ。加えて終始見下ろされる、はるばると広い沼の水面。

 空を映す薄群青の水が、はるばるとさざなみ立っていた。それにところどころ、森を映すなめらかなオリーブ色が混じる。水の色と、向こう岸の森を飾るオレンジ、蘇枋色、柑子色の紅葉との対比がいい。手前の岸の木々の葉の、日に輝くオレンジ、シトロンイエロー、オレンジバーミリオン、サフランイエロー、クロームイエローなどと、岸近くの水のひときわ冴えて深い薄群青との、眼のさめるような対比も。

 北岸にまわりこんでゆくと逆光になるため、水面の青はパステルブルーに薄まるが、代わりにキラキラとまぶしく輝き動く無数の光点が、さまざまに布置を変えて眼をたのしませた。

 北岸から西岸に移る頃、路は深い森に入っていって、沼はわずかに木の間から伺い見るだけとなったが、路は木漏れ日の落葉路となって、なおしばらく森の味わいとやわらかい土の踏み心地をたのしませ続けたあと、沼から離れて、木地山のほうへ登ってゆく。

 三つ目の目標、苔沼に向かって、木地山から北東へ歩き、県道にふたたび入った。

 いや、苔沼の前の県道沿いに、もう一つ無名沼があるぞ──

 「ありますね、でも県道から見えるのかなぁ」

と相澤さんが言った瞬間、その無名沼のあたりで県道から今左にそれて姿を消しかけているクルマが眼に入った。

 「あっ、クルマが入っていった! 沼の岸に行く路があるようですよ」

 近づいてみると、果たしてあった。よろこんで入ってゆき、沼の岸に出る。

 うーん、いい! これぞ特級のB級湖沼だ!

 県道にもどってちょっと登ったところから、緋沼が今度は俯瞰された。ここでは手前の岸から沖のほうへいっぱいにひろがった若苗色の浮草が、またちょっと変わった色彩感を沼にもたらす一方、向こう岸ではさまざまな紅葉が、いっそうあざやかさを増しており、さらにさっきは見えなかった沼の北西のなだらかなピークを覆うリーフグリーンの針葉樹林やキャロットオレンジととうもろこし色の紅葉が、ひと味ちがう沼の背景を出現させていた。

 で、次の苔沼。

 これは一個の沼の名ではなく、かなり広い湿原と、その中に大小さまざまに散在する沼との総称だ。

 湿原の南東縁に平行に走る路がある。湿原に向かってなだらかに傾斜する草の斜面の、中腹をゆく砂利道だ。ただ一つ湿原の南東縁にジカに接する沼を除いては、一つ一つの沼には近づけないが、この路から湿原と沼の大俯瞰を楽しむことはできる。

 透明感にあふれる、澄みわたったサファイアブルーの水。さざなみ一つない水面にそっくりそのまま倒影を落とす、対岸の丘の上の黒々としたフォレストグリーンの森。その黒さによっていよいよきわ立たされている対岸のアシ原の、まぶしいばかりの輝き。そしてアシ原と森の間では、丘の麓に点在する鮮烈な柑子色、緋、オレンジバーミリオン、萌黄の紅葉や針葉樹の若木の葉が、その輝きをいっそう盛り立てていた。

 「いい沼だなあ」

 「ホント、いいわねえ」

と、相澤夫妻も、うっとりと沼を眺めていた。

 さて、名前は?──ん、そうだ「緋沼」にしよう──

 クルマが通行止めになっているのを嬉しく思いながらその道に入るとすぐ、斜面の足もとからかなたへ茫漠と広がる湿原と、その手前の際にある唯一接近可能な沼とが見えてきた。

 斜面はアップルグリーンと梔子色に染まっている。そして真っ青な沼の点睛。

 「わあ、きれいな湿原やねー!」

と相澤夫人が叫んだ。

 「いいですねぇ。あの沼の岸に降りてみましょう」

 降りると、沼は大きくひろがった。

 近くの水面は、透明感たっぷりの清澄な瑠璃色。それが遠ざかるにしたがって、晴れ上がった空と同じスカイブルーに移っていっていた。若苗色の浮草の群れが、手前ではまばらに、向こうへ行くにつれて密度を増して、そよとも動かずに浮いている。

 斜面に腰を下ろし、沼の冴えた瑠璃色と湿原の輝く丁子色とのめくるめくコントラストに眼を奪われながら昼食。

 食べ終わった相澤さんが、草にどうっと寝ころんで、思いきり身体をのばした。そう、彩りも極上だが、降り注ぐ日ざしとこよなく爽やかな空気、それに背中の草の肌ざわりと大地のぬくもりも、天上的だったのだ。

 オレも──と思ったが、時計に眼をやってしまったのが運の尽き。二時だった。そうなのだ、一〇月末の日はあまりにも短いのに、まだ二つ、見たい沼が残っていたのだ。あまりゆっくりしていると──

 路にもどって、先へ歩く。

 間もなく、小さな沼が四つも一度に視野に入ってきた。手前の二つは瑠璃色、左手の一つはスカイブルー、一番遠いのは、湿原の果ての丘の森を映すアイビーグリーン(黄味の強い暗緑)。大きさと形と色の、てんでのちがいがおもしろい。

 さらに行くと、手前から湿原中ほどにかけて散らばる一〇個の沼と、一番奥の最大の沼が見えてきた。最も近い沼は瑠璃色をもう一段濃く深くした紺青色、次は今までと同じ瑠璃色、ついでスカイブルーの三個、湿原中央の五個と最大の沼は、アイビーグリーンをいっそう濃くした、黒に近い濃紺。そして湿原は変わらずまぶしい梔子色。みごとな苔沼の大観だった。

 県道に引き返してさっきの続きを歩くとすぐ、桁倉沼が姿を現した。

 しかし、道が湖面から一五~二〇メートルという高いところを走っている上、岸との間が鬱蒼とした森で、沼はほんのチラホラとしか見えない。で、ひとまずパスして、先に最後の目標にしていた五才沼をめざす。

 沼の真西あたりに来た時、相澤さんがしきりと沼側の急崖をのぞきこみながら、

 「水路が見えると思ったんですけど、見えませんねぇ」

と言った。あ、そうだった。桁倉沼の南端から子安付近の田んぼに導かれている灌漑水路が、崖の中腹を流れているはずだった。と、私ものぞいたが、見えない。

 しかし、注意しながら進んでいったら、ほどなく現れた。道の四メートルばかり下に。

 「見えましたよ、水路が」

 「ああ、見えましたね」

 「水路に沿って細い道がついてますよ。かなりヤブになってるけど」

 「ああ、あそこを歩くとおもしろそうですね」

 「ええ、いつかやりましょう。今日は時間がなくてムリですけど」

 道は五才沼の北を遠巻きにまわって、沼の東北東に出た。そこから沼へ降りてゆく小径が分かれている。それを辿る。

 急坂だが、林をぬけてくねくね曲がってゆく、快い落葉路だった。

 地図上の豆粒のような姿に似ず大きく感じられる沼が、やがて眼前にひろがった。まわりには、アシがびっしりと生え、水面もほとんどあますところなく浮草に覆われていた。浮草はごく淡いシルバーグリーンに薄光りしている。畳二枚ほど残るだけの水面は、対岸の急斜面の森を映す、ほとんど黒に近い濃紺。

 地味な印象だが、まわりの斜面を飾る、ありとあらゆる彩を織り交ぜた秋色が、それを救っている。まずB級湖沼といってよいだろう。

 クルマに戻る途中、桁倉沼の東岸から突き出ている神社のある半島に寄ってみたが、、そこからの沼の眺めは、悪くはなかったけれども、どちらかといえば平凡だった。

 次の機会には、もっと岸に接近できそうな沼の南側の道を歩いてみよう。そして、さっきの水路を探索してみよう──

 帰りは子安経由で、国道三九八号を横手へ向かった。

 相澤夫妻につきあって、皆瀬ダムの北端にある、稲庭うどんの店に立寄った。横手に着いたらすぐ夕食、という時間だったのでほんの少々試食。どういうわけかぬるく、味も塩気不足で今一つだったが、いつも札幌で食べているものとほぼ同じ味だった。うーん、なるほど──

 

 

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