【旧道エッセイ・堀 淳一紀行集】

Vol、15 比内のタプコプめざして田んぼを歩く廃線跡   ──林鉄扇田線と達子森     堀 淳一

 五月のはじめ、JR花輪線扇田駅の約六キロ南方にある五日市集落の外れ、A地点に立つ。

 つややかな鶸緑の草に挟まれて、土の轍路が北々東へ延びていた。左側にはまだ冬枯れのままの裸木がまばらに立っている。右側は多分秋田杉だろうと思われる、杉の並木、深深と暗い並木の緑の中に、コブシの花の群れが、まぶしく白いきらめきを散らしており、その向こうに、満開のサクラのピンクの雲が重なっていた。路傍に咲き乱れる黄水仙や、四角に積まれた薪の山が、懐かしさをそそる。雨もよいの空だが、シルバーホワイトの雲は薄く、明るい。ほどよく湿った空気の快いつめたさが、さあ歩こう、という気分を逆らい難く誘った。

 この路は森林鉄道扇田線の廃線跡なのである。これを辿って扇田市街西方に屹立する山、達子森をめざそう、というのがこの日のもくろみだった。

 達子森は、かつてはタプコプと呼ばれていた、と考えられている。タプコプとはアイヌ語でタンコブ山の意味で、他の山と離れて孤立した、あるいは孤立しているように見える、円く盛り上がった山のこと。そう、達子森もその通

比内のタプコプめざして田んぼを歩く廃線跡

          ──林鉄扇田線と達子森

堀 淳一

り、平野のただ中にぽつんと一つ孤立して、お椀を伏せたように盛り上がっている、きわ立って目立つ山なのだ。この日の主目的はこれを見ることだったのだが、ただそれだけでは簡単すぎてあまりにも物足りないな、と思ってちょっと調べたところ、ちょうどその麓を通って森林鉄道の跡が走っていることがわかり、うんちょうどいい、それを歩いて達子森へのアプローチを楽しもう、ということになったのだった。

 さて、サクラの木の横を、ついでいかにもひなびた趣の農家の薪小屋の前を通りすぎると、路は長内沢の岸に出た。ここで線路は昔の鉄道には珍しく、ひどく斜めに川を渡っていたのだが、その橋はとうにない。しかしよく見ると、コンクリートの堤防にすっかり埋まってしまっていたような感じで、ただしわずかに色がちがっているおかげでそれと分かる橋台があった。

 そして対岸の黒々とした杉林の裾にポッカリと白くあいている小さな穴があいていた。うん、あれが廃線跡の続きにちがいない。

 農家の番犬に吠え立てられながら川岸に沿って歩き、その先のの道路橋を渡って、林の裾の廃線跡に逆向きに入ってゆく。

 と、何と、相澤さんが向こうから歩いてくるではないか。

 

 

国土地理院発行 二万五千図「扇田」

 「あれ、どうやって川を渡ったんですか?」

 「いや、落ちた橋の手前に細い板の橋がかかっていたでしょう?あれを渡ってきたんですよ」

 「え!? あれ、わたれたんですか?危ない丸木橋のようにボクには見えたんで、敬遠して遠回りしたんですけど」

 「いや──」

と相澤さんが言いかけたところへ、石橋夫人が追いついてきて、

 「あれ、結構幅のある橋だったんですよ。安心して渡れる」

と話を引き取った。

 そうだったのかあ。「廃線跡の鉄橋はゼッタイ渡りたくないです」と言っていた石橋夫人がそう言うのなら、間違いない。もっとよく見るんだった。そうすりゃ犬に吠えられずにすんだのに──

 「向こう側の橋台を写真に撮ってきます」と告げて、みんなに先に行ってもらう。

 川っぷちに茂り放題に茂っている枯れ草(川は細く、両側にたっぷり草の生える川原があった)にかくされて非常に見にくくはあったが、何とかそれをすかして、橋台が見えた。Uターンしてみんなを追う。

 林の底の道も、薪の山や薪小屋の懐かしい、気持ちのよい路だったが、やがて林を抜けると一転、あちこちに杉の平地林のある一望の畑地の中を、鸚緑や鶸色の草に土の轍を曳いて坦々と行く、明るく心弾む路に変わった。するともう、行く手遠くの平地林の樹冠から、達子森が淡いス

モークブルーの頭をのぞかせていた。うん、予想通りのいいアプローチだ!

 B地点に近ずくと、路は急に左に曲がったと思うとすぐにまた右に急転回して、その先で道路をふさいでいる林のきわに沿っていった。不自然な曲がり方だ。林鉄がこんな奇妙な走り方をしていたはずがない──

 首をかしげていると、相澤さんが、

 「曲がる前の路の線をまっすぐ延ばすと、林がちょっとすいているところに突き当たりますよ。あの隙間が林鉄なんじゃないですか?」

と言った。なるほどよくよく眼を凝らすと、そこだけ木がすいていて、真っ黒に見えるところがあった。そうか!

 近ずくと、そこはたしかに林の隙間で、真っ黒だったのは出口が見えなかったため、とわかった。

 隙間に入ると、おそろしく暗かったが、眼が慣れるにつれて、彩が見えてきた。スギの葉の緑青色、幹の赤茶、轍の両側と中央のアップルグリーン、そこに鏤められた落葉の弁柄色── いい取り合わせだ。

 長内沢の堤防が近ずいてくるにつれて林はまばらになり、、明るさが増してきた。林を抜けると左側は狭い草のベルトをへだてて坦々とひろがる田んぼに変わる。右側には川が続くが、路と堤防の間は広い草地。草地のアップルグリーン、その中に咲く水仙のペールレモン、一本だけ生えているスモモの木に鈴なりに咲く花のうっすらと黄を帯びた白の彩が嬉しい。

 いったん離れていった川がふたたび近ずいてくると路は堤防に載って、蓬蓬と生い茂る藁色の枯れ草の間にファウ

ンテンブルーの水をジグザグに流す川を見下ろしながら、その先の橋に近ずいて行く。

 線路はかって、路がさっき堤防に載ったところで川を越して、そのまままっすぐに北々東に延びていっていた。道路橋を渡って対岸をそこまで逆もどり。

 対岸の線路跡は、一車線ながら立派な舗装道路だった。が、四〇〇メートル先から、水田の中を行く昔ながらの農道─点々とタンポポの黄を散らす、草の轍道となった。つい先ほどから雨が振りだしていたけれども、ごく小粒のまばら雨にすぎず、銀白に輝く空とスモークブルーにかすむ遠い山なみのはろばろと明るい、心地よい路。

 しかしそれは八〇〇メートル弱で終わって、ふたたび舗装道路にもどった。そしてしばらく、北西に方角を変える。とともに、達子森がまた真向こうわずか右に移ってきた。わずかに形がくずれている左側の裾を除いて、みごとに整ったオムスビ型。山と並んでコンクリートの巨大なハコ(農業倉庫らしい)がツヤ消しだが。

 ハコの手前で路は右にカーブしてその右側にまわって、北々西に延びていったが、倉庫の手前には林鉄の廃線跡らしい土の路の断片が残っていて、倉庫がちょうど廃線跡の上に建てられたことを物語っていた。ただし倉庫の先の廃線跡は、完全に水田化してしまっていて、影すらない。

 国道二八五号にぶつかる手前から、道はふたたび廃線跡のルートに載り、あとは扇田駅の構内に至るまで、廃線跡を踏襲していった。

 国道を越すとすぐ、左側に達子の集落が現れる。この集落名は達子森にちなむもので、村の鎮守も達子森の山頂に

ある薬師如来だ。

 達子と達子森の間にもう一つ釣田という集落が、こちらは十八世紀のはじめ頃新田の形成によって達子から分村した集落で、達子とともに大字達子に属している。

 達子森はいよいよ目前に大きく見えてきた。色も一段と濃く縹色になり、形もさらに整って、ほとんど左右対称の丸みを帯びた三角形になってきた。達子より北では水田に水が満満と張られており、その水に達子森が逆さに映っている風景が、とてもいい。

 「逆さ達子森ですね!」

と一同、何度も立ち止まって嘆賞。

 釣田の集落を過ぎる頃から水田からふたたび水がなくなって逆さ達子森はなくなるが、山の縹色、土のローズグレイ、路傍に群れ咲くレンギョウの黄、という配色が眼を細めさせた。

 さらに進むにつれて、達子森はいよいよ空をいっぱいにふさいで迫ってくる。針葉樹の納戸鼠と裸木のオーキッドグレイとのまだら、という山肌の色彩の仔細も、ハッキリと見えてきた。それを仰ぎ仰ぎ、犀川を渡る鉄橋にかかってゆく。

 鉄橋は今はもちろん道路橋だが、橋脚はかなり古びていて林鉄時代のままらしく、橋桁もあざやかなシグナルレッドに塗りかえられてはいたけれども、やはり林鉄時代のものを塗装し直しただけのようだ。

 渡ったあと堤防上から振り返ると、ヤナギの燃えるようなシャルトルーズグリーン、それに混じる裸木の枝々の灰白色、橋桁のシグナルレッドという彩を前景にしてボコーンと天を突く達子森が、印象深くこの日の悼尾を飾ってくれた。

 扇田駅を起点とする森林鉄道は、扇田線を本線として四本の支線を持っていたが、この日その跡を歩いたのは、長内沢を渡るまでは長内沢線(一九二九~一九五六)、その後は本線(一九二八~一九五八)の、それぞれ一部。起点だった扇田駅構内はいちめん荒れ原と化していて、線路その他の施設は痕跡すら見当たらなかった。

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