【旧道エッセイ・堀 淳一紀行集】

Vol、13 ノトロ(能取)湖とサロマ湖を古道でつなぐ  ──国道二三八号旧道・旧々道   堀 淳一

 ノトロ湖西岸とサロマ湖東岸とを結ぶかつての主要道路は、もっぱら湖岸・海岸寄りの平地を走り今の国道二三八号とはちがって、ずっと内陸寄りに、二つの丘陵を越えていた。一つはノトロ湖とトコロ(常呂)川の谷をへだてている、比高一〇〇~一三〇メートルの丘陵、今ひとつはトコロ川の谷とサロマ湖の間に割って入っている、比高六〇~八五メートルの丘陵。

 後者の丘陵を越える道はすなわち現国道の旧道だが、前者の丘陵越えの道は、旧道と旧旧道と、二本ある。丘陵の北寄りを抜けるのが旧道、南寄りを抜けるのが旧々道だ。しかしこの旧道は過渡的な存在で、旧々道のほうが旧水準路線であるし、また同じ旧水準路線であるトコロ川・サロマ湖間の旧道との連続性も強い。

 そこで、六月の半ば、二日間にわたって、このひと続きの旧水準路線道路を歩くことにした。

 

野をよぎり丘を越えてゆく赤い道

──豊川・浜サロマ(佐呂間)間の国道二三八号旧道

 

 雲一つなくコバルトブルーに澄み渡った空。すゆすゆと野を渡る春風。まぶしいが暑くはない、穏やかな日ざし──豊川でバスを降りたその瞬間からもう、気分も脚も、弾みっ放しだった。

 旧水準路線は豊川バス停の北北東約六〇〇メートルのところから西南西へ向かっていたのだが、今はそこから西一線十四号のちょっと東南東(地図2のA点)までの間はまったく消えて、全面畑地に化している。その間にあった五,七〇メートルの水準点も、当然ないにがいない。で、十四号道路を歩いてゆく。麦畑や野菜畑がはろばろとひろがるトコロ川の広闊な河谷平野のただ中。遠くに黒々と横たわる針葉樹の防風林やところどころに望まれる屋敷林を除いて、緑また盛春の野だ。

 A地点から斜め左に分かれてゆく道、これが旧道すなわち旧水準路線にほかならない。

ノトロ(能取)湖とサロマ湖を古道でつなぐ

──国道二三八号旧道・旧々道

堀 淳一

国土地理院発行 五万図

「常呂」「サロマ湖」大正一三測量

国土地理院発行 二万五千図

「卯原内」「浜佐呂間」平成一三修正測量

 砂利道だったが、路面が何と、進むにつれて真っ赤に、正確にいうと強い弁栖(茶色寄りの赤)に変わっていったのだ。

 美しい、というならば言えなくもないとはいえ、まわりの緑とのコントラストがあまりにも強烈過ぎて、めまいしそうだ。なんでこんな色なのだろう? 付近の畑の土も同じような色であるところをみると、この河谷平野の土がそういう土なのであるらしい。それとも畑地化するために客土した土がそういう土だったのか?

 わからないままにその強烈な弁栖色を踏んでゆくと、道はやがて比高五メートルの段丘面に登っていった。路面は相変わらず赤いままだ。やはり客土なのか?

段丘に登る赤い道 東望 撮影者の背後が段丘面

道はいったん下ってまた登る

 西二線道路と交差し、防風林を抜けると、向きが南西に変わり、行く手にトコロ川の谷とサロマ湖とをへだてる低山山地が、モコモコと波打って見えてきた。山のティールブルー(濁り青緑、鴨羽色)と路面の弁柄色とのコントラストが、またひときわ強烈だ。

 十五号道路との交差点に、二四,三メートルの水準点があった。標識があった(タテに裂けて歪んでいたが)ので難なくわかったのだが、標石はその足元の草を払っただけでは出てこず、さらにその下の地面を少し掘って、ようやく姿を見せた。

 まずはよかった、とみんなで標石を囲んでいたら、誰かが

 「あーっ、真尾さんだ!」

と声をあげた。止まったクルマから真尾さんが降りてくるところだった。

 「うわー、真尾さん今日は来ないのか、と思ってたら」

 「いやー、バス停の集合時間におくれて、しかも道を間違っちゃって──やっと追いついた!」

 

 札幌からクルマを飛ばして、五時間で来たのだそうだ。スゴいなあ。

 改めて歩き出すと間もなく道は右に折れて、したたる緑の深い森へ入っていった。幅一〇〇メートルほどもある広く浅い谷を埋める森で、道はいったん下ってまた上がる。

 ここは低山山地の北東端、山地の北に接続してオホーツク海に向かってゆったりと降りてゆく広大な複合扇状地の東端に当たる。複合扇状地を形成する扇状地は細かく数えると四個、大ざっぱに数えれば二個。今越えている谷はその東方の一個を放射状に開析している谷の、最も東のものだ。

 道は谷を過ぎると、東側の扇状地の扇頂部付近まで登ってゆき、登ってからはしばらく、複合扇状地の南縁、すなわち山地と扇状地の境目に沿って、ごくゆるやかに登る。したがって左側は山地、右側は扇状地面を広やかに覆う広闊な畑地だ。畑地のややくすんだ瑠璃瓦緑と山裾の森の濃い緑とのはざまを、ここでもまだ鮮やかさを失わない弁柄色の道が、一直線に延びている。

  その一直線の途中、道の右側のササから、八八,五メートルの水準点の標識が顔をのぞいており、ササの根元をかき分けると、すっかり銹びて路面と同じ色になってしまった小型のマンホールの蓋が現れた。真尾さんがそれを力ずくであけたら、これまた弁柄色に染まった古典タイプのヘソつき標石が出てきた。これで今日は二つ目だ。

八八.五メートルの水準点

芸術的な水準点マンホールの蓋

 水準点の先で道はゆるい下りとなり、森と畑と荒地が交錯する中を曲折しながら、西側の扇状地面に移ると同時に、山ぎわから離れてゆく。そして、トコロの市街へ下ってゆく広い道路を右に分けると舗装道路に変わって、以後終始、のびやかな畑の中を続いてゆく。

 さて、そろそろ六五,九メートルの水準点があるはずだ、と思ったが、今度は見つけるのに手間どった。標識が破壊されていてほんの断片しか残っていなかったので。

 ようやくその残片に気がついてその下の草を払ったら、現れたのはふたたびマンホール、ただしその蓋はさっきのとは打って変わって、日本列島の地図と測量風景とが浮き彫りにされた、なかなか「芸術的」なものだった。このタイプの水準的マンホールは珍しい。私がおめにかかったのは、日本全国でここのものがたしか三つ目だった、と記憶する。

 ここでは真尾さんの渾身の努力もむなしく、とうとう蓋をあけることができなかった。

 あとは、西側の扇状地に入って間もなく行く手の空の下に青藤色の水面を見せはじめていたサロマ湖を次第に大きく眺め下ろしながら、一路浜サロマの市街へ下ってゆく。

 国道二三八号に合流する手前にもう一つあったはずの九,二〇メートル水準点(掲載した古い地図1では八,七メートル)は、うっかり通りすぎてしまってから加奈子さんが引き返して見てくれたが、なかったとのことだった。

 が、現在の地図にある三個の水準点は、一つだけ標石が見られなかったもののすべて現存することがたしかめられた。近年ではまずまず上成績。これを含め、青空とそよ風とほどよい日ざしに恵まれた、いい歩きだった。

 

参加者 真尾、田島、石田、岩田、堀

 

ヤブ路坂路ダニの路  ──トコロ川・ノトロ湖間の旧々道

 

 あくる日も、綿雲が前日より多かったが、やはり日ざしやわらかく微風の快い上天気だった。

 この日の歩きはじめは共立のバス停。

 すぐ東を流れるトコロ川の堤防を登り、またすぐ堤内地に降りて、共立橋を渡る。

 渡った先に、トコロ川の河跡湖がある。鬱蒼とした樹林に囲まれていたが、ちょっとその中に

国土地理院発行  「常呂」大正13測量

入ってみたら、二つ並んでいるうちの南側の沼だけだが、空をファウンテンブルーに、対岸の森を鶯茶と枯草色のまだらに映し、樹林に風をさえぎられてひたとも動かない水を、つつましやかに見せてくれた。

 道はふたたび反対側の堤防に登って、堤防上と一直線に南へ向かう。その途中の堤防の東側にも小さな河跡湖があるのだが、それはもうほとんどが草で埋め立てられてしまっている上、灌木のしげみさえそこに育ってしまっているため、南側の

 

国土地理院発行   「卯原内」平成13測量

半分だけが、あたかも細流の一部のように、しかも跡切れとぎれにのぞいているにすぎなかった。

 堤防から降りて東の丘陵のふところに入ってゆく道は、何本もの草の列をきれいに並べて大きくカーブを描く、明るさあふれる草路だった。がその明るさはすぐ、丘裾の深い森の緑蔭にとって代わられる。といっても暗鬱ではなく、きらめいて輝く緑としたたり迫る濃い緑との、めくるめく混淆だったが。

 何とかしかし、五〇メートルも行くか行かないうちに、ゲートにぶつかってしまった。

 格子金網の開き戸だが、左右の扉がチェーンで固く結び閉じられていて、押せど引けどビクとも動かない。さて困った──

 ん? 地面との間に三〇センチぐらい隙間があるぞ。くぐれるな──

 やってみたら、難なくくぐれた。ふー! だが加奈子さんと岩田君は大丈夫かな、おなかが厚そうだからなあ──

堤防から降りて森へ入ってゆく路 向こうが堤防

ゲート くぐってから振り向いたところ

 しかし、二人ともちゃんとくぐれた! 人間の厚さって、意外にないもんだ。関取とか、特殊肥満体とかは例外だろうけど。

 ゲートの先で、路は二本に分かれる。谷の中をそのまま進む左の道と、登りにかかる右の路と。

 二人は右の路へ入っていった。が、待てよ、まだ登りになるには早いぞ──

 「こっちをちょっと行ってみるよ」

と二人に言って左の道を行く。そう、地図上でもたしかに路は二股に分かれていて、右へ行くほうが旧々道なのだが、時間的に見てまだその分岐点までは来てないだろう、と思われたのだ。

 果たして二、三分進むと、また分岐点が現れた。そして地形を観察すると、こっちのほうが地図上の分岐点に違いない、と判断された。

 急いで引き返して、二人を呼ぶ。

 「オーイ、こっちが正解だよう!」

 旧々道ははじめヘアピンで、のちにはくねくね曲がりで四八〇メートル標高点のある尾根の東側山腹を登りながら終始森をぬってゆく。緑蔭と木々の香りの愉しい路だ。はじめは土の路だが、

緑陰の路

明るい尾根路

木洩れ日の路

次第に草の路となる。そして、一キロほどで尾根東側の谷の頭をまわり、まわり切るとトコロ川とノトロ湖とをへだてる丘陵の、主尾根の上に出る。

 主尾根路として続く間は空が開けて明るく、路面は鮮やかな鸚緑の草が三条並ぶ轍道。日ざしも緑もひときわさわやかだ。

 主尾根からノトロ湖畔に向かって東南東に下る支尾根に移る手前にまたゲートがあったが、今度は半開きになっていて助かった。荷物を身体から外して這ってくぐるのは、やはりいささか面倒だから。

 支尾根の西半分では路の北側にずっと牧草地が開けていていよいよ明るいが、無風の上日ざしが朝より強くなったため、少々暑かった。とはいえまだ六月のことで、汗が吹き出すほどではなく、むしろ快い暑さだ。青空をいただいていっぱいに日を浴びてゆく開放感が、無上だった。

 だが、この尾根路が旧々道であるのは、はじめ八〇〇メートルほどの間にすぎない。その先ではそれは、ポンコナイ川の北側谷壁を下ったあと、川沿いに続くはずだ。

 

 といっても、地図では川沿いの部分の中間約一キロが消えている。さてどうするか? 消えている部分は本当にないのか? それともかすかながら何とか歩ける程度の痕跡なら残っているのか?

 残っている可能性に賭けて、谷壁を下ることにする。

 下りのはじめの部分は、森と牧草斜面の境目をたどってうねってゆく路、下半の部分は小暗い森に没した小径だったが、谷に下り切ったあとは、あるいは木洩れ日なつかしく、あるいは日ざしを受けて輝く緑に包まれて心地良い、快適な路になった。

 が、それは半キロも続かず、惜しくも地図どおりにプツンと切れ、その先は猛烈なヤブだった。

 「このヤブを一キロもこぐのはタイヘンだなあ、さっきから虫もわんさといたしねえ」

 「そうですねえ」

とさすがのヤブこぎ猛女の加奈子さんも、ピタリと止まって、一歩も進もうとしない。

「引き返すしかないね」

と、明るい尾根路に逆もどり、ホッと一息。

 二人がモゾモゾと身をよじったり、上半身ハダカになったりしはじめたので何事かと思ったら、ダニ探しだった。ヤブを分けたわけじゃなかったのに。まわりの草木で待ち構えていたらしい。

 尾根路を約三〇〇メートル下ったところから、谷へ下る路がもう一本分かれている。これがもし歩ければポンコナイ川の谷の、跡切れていた部分の先の旧々道に出るはずだ、と思ったが、これもひどいヤブで、断念せざるを得なかった。で、結局、尾根路を下るほかはなくなってしまった。

 今の地図からはまったく消えてしまっている四個の水準点も、その通りまったく見つからず、残念だが、救い難い。

 半キロほどで牧草地は尽き、路は尾根末端をこんもりと覆う、暗い森へと入っていった。

 木洩れ日と涼しさと、行く手に望まれてきたノトロ湖の碧い湖面とになぐさめられながら、最後の急坂を下る。

 ちなみに、この日は水準点がついに見つからなかった。

 

参加者  石田、岩田、堀

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