【旧道エッセイ】・北海道旧道保存会メンバーによるリレーエッセイです。

Vol、3  H16年6月 アポイ岳山行     相澤 均

 JALの「おともでマイル」キャンペーンを使って、昨年来の念願であったアポイ岳の高山植物を観に行った。序でに、ウトナイ湖でのバードウオッチィング(バードヒアリング?)や、登別温泉にも寄ってきた時の記録。

 

 6/19(土)

 9:35 羽田発 JAL1013 千歳着 11:05。天気は曇りで、やや肌寒い。

 レンタカーを借り、早速R36号から、R234、次いでR235と日高道に入る。

 鵡川ICで降り、昨年寄った蕎麦屋「大みや」を探し当て、昼食。ここの蕎麦は地元北海道の蕎麦粉を使って、手打ち、手切りで、やや黒目だが、蕎麦特有の風味があってとても美味しいのだ。品書きに「牡蠣蕎麦」が季節メニュウとして書いてあったが、流石に北国だけあって、今頃まであったのかと思い、気にもしなかった。しかし、洋子が、「厚岸(あっけし)の牡蠣の旬のものかも?」と、言ったので良く良く見ると、どうやらそうらしい。注文後ではあったが、牡蠣蕎麦に替えて貰った。ふっくらとした大粒の牡蠣は海のミルクと称されるように、とろけるような舌触りで、牡蠣特有の風味が口の中一杯に広がった。

 牡蠣をゆっくり楽しみながら、蕎麦湯を戴いたあと、代金を払う時になって、店の奥さんが洋子に声を掛け、昨年来たのを覚えていると言ってくれた。多分、何処に言っても関西弁(正しくは小林(おばやし)弁)丸出しで喋るので、印象が強かったのだと思う。

 蕎麦にも、牡蠣にも満足して店を後にした。

 門別手前の沙流川から、川沿いに平取(びらとり)町に向う。12年程前にも子供を連れてオートキャン

H16年6月 アポイ岳山行

   相澤 均

プの時に平取に来たことがある。しかし、その時には、二風谷(にぶたに)のアイヌ資料館を見て、評判と云われた牛肉を手に入れただけだったので、今回は義経神社やアイヌ資料館などを少しゆっくり廻るつもりにしていた。

 義経神社は名の通り判官義経を祭ったもので、平泉以北、特に三陸側にその伝説が多い。小雨に煙る中、裏参道の車道を登ると、義経公園の一角に神社と義経資料館があった。

 神社に参拝し、資料館にも入ってみた。義経神社は、寛政11年(1799)近藤重蔵が建立したもので、歴史的には比較的新しい。

 その当時、地元のアイヌから義経は、「判官様 ホンカンカムイ」と、呼ばれて神のように崇められていたらしい。奥州平泉衣川の戦いで戦死した筈の義経は、陸中海岸沿いの逃避行を続け、普代から北海道に渡り、更には中国大陸に逃れ、ジンギスカンになったとも云われている。その逃避行の折に、ここ平取にも立ち寄ったとの伝承があるのだ。

 

 平取から更に沙流川上流に、二風谷(にぶたに)町がある。

 萱野茂が収集・製作したアイヌ民具などを展示した、「萱野茂アイヌ資料館」に入った。彫り物、織物、染色、刺繍などの展示品が所狭しと並べられている。アイヌ語研究でも有名な文学者金田一京助が、萱野茂が東京に来た時によく、彫り物を頼むのだが、小刀一つで何でも作ってしまうと云うように書いていたが、矢張り「弘法は筆を選び」で、小刀の種類の多さもさることながら、彫刻刀も全て自作して愛用しているのには感心した。

 入り口付近に資料や萱野茂の本があり、アイヌ語辞典が欲しかったが高いので、二風谷村のアイヌ語講習の資料を一冊買い求めた。

 資料館隣りの広場には、屋外展示の部落があった。チセと呼ばれる一家族単位の家が数件散在していた。

ほぼ上がった雨に傘も差さずに、屋外展示の家などを見て廻った。すると一件の家では土産物売り場となっており、奥では彫り物細工をしていた。

 よっく見ると、木の鎖を作っているのだが、丸々一本から鎖一つ一つを刳り抜いているので、全く繋ぎ目のない鎖が出来上がってくるのには吃驚した。土産物売り場の女性に薦められて、キーホルダーとしても使えるチッポ(針刺し)と、竹製口琴ムックリを買い求めた。チッポはラスパ(さびた)の木で出来ており、使い込んで行くと、象牙色の落ち着いた良い色になって来るそうだ。これをナップサックのチャックに取り付けた。

 思ったよりも時間が経ってしまったので、様似まで急ぐことにした。

 沙流川を下り、門別から新冠、静内を経て、様似に着いた。様似駅で迎えを頼む電話をし、民宿向井に落ち着いた。

 

 6/20(日)

 早朝の散歩で様似海岸まで行ってみた。様似八景のメイン「親子岩」は濃霧に煙って殆ど見えない。浜では海猫が巣造りにするのか、仕切りに枝のようなものを加えては沖に向って飛ん行く。

 様似の外れにある塩釜トンネルを抜けた所に「蝋燭岩」と云うとんがり岩がある。ここも真っ白に見える程に海猫が群がっている。崖に巣作りしている番(つが)いの海猫のカットを撮ろうと、露出計を除いている内に、アーッと云う間に濃霧が押し寄せ、一瞬で辺りが乳白色の世界に変わってしまった。

 トンネル付近の岩場には優しいピンクのエゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)の群落があり、荒々しい岩場のこげ茶に彩りを添えていた。

 民宿に戻ろうと様似の観光センター付近に差し掛かると、洒落た街灯が立ち並んでいる。ポストの肌がと

ても変わっている。濃い松緑のベースに数センチ位の石を埋め込んであるのだ。アポイのカンラン石だと

エゾカワラナデシコ

ギンリョウソウ

ゴセンタチバナ

エゾタカネニガナ

エゾミヤマハンショウヅル

思ったが、洋子は本物ではないと言う。が、見た目の質感、ひんやりした触感はどう見ても本物の石を埋め込だとしか思えない。民宿に帰って訊くと、やはりアポイ特産の幌萬カンラン石を使用しているのだそうだ。

 エンルム岬の様似漁港まで来ると、アポイ岳と連なる山並が霧に霞み、縹(はなだ)色に遠望される。

 

 朝食を済ませ、いよいよアポイ岳。海岸沿いをR336で襟裳方向に2~3分走ると、アポイ岳登山口の冬島だ。ここから左に入り、アポイ山荘を過ぎると、直ぐ右手にビジターセンターがある。ここに車を置いて、山に入る。ポストにある登山者名簿に記録していると、熊情報が目に入った。前日の夕方に熊を見たとのこと。ナップサックの熊除け用に付けたカウベルの音を確かめた。普段は鐘の舌をテープで止めて音が出ないようにしているが、今日ばかりは大いに働いてもらわなければならない。いつもは喧しく聞こえるカランカランも頼もしく聞こえる。

 先の家族が何やら林の中を指差しては、後ろの子供に教えている。何かと思ったらエゾシカ(蝦夷鹿)だ。まだ若い鹿のようだが、我々に気付いていないのか、それとも動じないのか、すっくと立ってじっとしている。その仲々に立派な姿をカメラに収めて、先を急ぐ。

 ポンサヌシベツ川を渡り、250m程行くと、登山口が見えてきた。

 脇には大きな看板があり、「王子製紙 社有林」と書いてあった。てっきり国有かと思っていただけに不思議な気がすると同時に、自由に入山させてくれる寛大さに感謝の念が沸いてきた。

 入り口から入って10歩も歩かない内に、洋子が大声で叫んだので、数歩戻ってみる。白く透き通った茎にほんのり藤色したラッパの様に突き出た花のギンリョウソウ(銀竜草)と、イタヤクソウ(一薬草)ゴセンタチバナ(御前橘)が纏まって咲いていた。葉緑素を持たないので、白く見えるギンリョウソウはまるで茸のような不思議な植物だ。

 やや勾配のある山道を登って行くと、何やら鐘の音が聞こえてきた。ここらに学校か修道院でもあるのかしらと不思議に思っていたが、しばらく歩くと、道の右側に直径20cm程の鐘が吊り下げられていた。何やら字が書いてある。見ると「熊除けの鐘」。成る程、先行した家族連れがこれを鳴らしたのかと納得した。

 緩い坂道を登っていると、細く長い茎先に鮮やかな山吹色のエゾタカネニガナ(蝦夷たかね苦菜)の花があちこちに見られるようになってきた。いよいよ、高山植物の始まりと期待は高まっていった。

 三合目を越えた所からは、勾配がややきつくなり始めた。

 その始めに、濃い紫の花を見つけた。エゾミヤマハンショウヅル(蝦夷深山はんしょう蔓)と云い、図鑑に依ると、蔓の先に紫色の花が付いているようだが、

紫色のものは萼片で、花びらは箆状の緑色のものだと云うことだった。

 

 道の左右に、ピンク、紫のムラサキヤシオツツジ(紫やしお躑躅)が見えた。

 四合目の避難小屋に到着。ここで標高365m。アポイ岳山頂が綺麗に見える。

 近くには、エゾタンポポ(蝦夷蒲公英)が見られた。花は普通の舌状だが、それを取り巻く総苞(ほう)片が、普通のタンポポと異って反り返らないのが特徴なのだ。

 四合目からは、等高線に沿って登ってきた今までの余り勾配のなかった登山道から、尾根線をほぼ直登するきついコースに入る。登山者名簿を書いた時に借りてきた六尺棒の杖が役に立ち始める。

 あちこちにシャクナゲの葉が見られるようになってきた。ハクサンシャクナゲ(白山石楠花)またはエゾシャクナゲ(蝦夷石楠花)とも云うが、時期はこれからのようだが、一群れだけ殆ど白に近いような淡いピンクの総状花(纏まって咲く花)を咲かせていた。

 高度が上がるに連れて、ヤマブキショウマ(山吹しょうま)が見られるようになってきた。山吹とは名ばかりの淡いクリーム色のしょうまで、枝分かれした先に小さな花が3~4cm程度穂状に纏まって咲いている。ここのものは、普通のショウマよりも優しい感じがする。

ムラサキヤシオツツジ

 この辺りで見られた高山植物を順に書き上げてみる。

 アズマギク(東菊)・根元は濃い紫で先に行くに連れて薄い藤色の花びらを付ける

 エゾコウゾリナ(蝦夷こうぞりな)・鮮やかな山吹色

 キンロバイ(金ろ梅)・岩にはりつくような低潅木 明るい黄色

 エゾシモツケ(蝦夷しもつけ)・白 総状花

 アポイハハコ(アポイ母子)・白 分厚い葉

 アポイキンバイ(アポイ金梅)・似てはいるが、先程のキンロバイと違いこちらは草

 

 五合目からは尾根線のややガレ場風の道となる。唯し、良く整備されていて、道幅も広く、道に迷うことはない。ここからも珍しいアポイ岳特有の高山植物の連続で、図鑑と首っぴきで、一向に道が捗(はかど)らない。

 ヒメエゾネギ(姫蝦夷葱)・荒れたガレ場の岩に茎の先に紫の小さな花を咲かせる

 キタヨツバシオガマ(北四葉塩釜)・スーッとのびた茎に白と退紅(あらぞめ)との混じった四枚の花弁の花が輪状に咲く

 アポイクワガタ(アポイ鍬形)・ヒメエゾネギと同様に、荒れたガレ場の岩に咲く。薄色の地に濃い紫の筋模様の入る4枚花弁の花茎の先端に咲く。

エゾタンポポ

ハクサンシャクナゲ

ヤマブキショウマ

アズマギク

エゾコウゾリナ

キンロバイ

 チシマキンレイカ(千島きんれい花)・黄色 5枚花弁の総状花

 アポイシモツケ(アポイしもつけ)・白 総状花 葉が丸い

 痩せ尾根を登りようやく「馬の背」 595mに到着。ここから山頂までは更に岩場が多くなる。以下、発見順に記す。

 チシマフウロ(千島ふうろ)・薄い藤紫の地に深紫の筋模様の入る5枚花弁の花。一面のハイマツ(這松)の濃い緑に映える。

 ハイマツ(這松)・枸子の実状の真朱の花が纏まって咲いており、これがくっ付いて松ぼっくりになるらしい。植物博士の洋子の言に仕切りに感心した。

 アポイゼキショウ(アポイ石松)・高さは10cm程度 やや赤紫色の葯が茎の先端部に10数個付く

 チングルマ(ちん車)・花が散った後、萼の部分が成長して薄い白茶の箒のようなものが残るのだが、それが3~4cm程度あるので、てっきり花もそれ以上の大きさと勝手に想像していたのだが、豈図(あにはか)らんや、花は僅か2cm程度の可愛らしいもの。高さは10cm程度の小低木とあるが木には見えない。5枚花びら、黄色の雄蕊に白い花弁が映える。

 ミヤマオダマキ(深山苧環)・普通のオダマキよりは小型だが、割りに見かける高山植物なのだが、山に来て、岩の割れ目に咲いている所などは様になっている。紫の花とおもったのは実は萼で、薄いクリーム色

の喇叭状のが花と言うことを今回初めて知った。

 ハクサンチドリ(白山千鳥)・高さは25cm程度 名前のイメージと違い赤紫の花が穂状に付く

 ヤマサギソウ(山鷺草)・蘭の一種、花は茎の黄緑色と似た少し透明の薄い色で、舌状の花弁は細長い。一見すると目立たない。

 ヒメオウギアヤメ(姫扇菖蒲)・こんな山のガレ場のような所にアヤメが咲くなんて信じられない思いだった。

 スズラン(鈴蘭)・この時期には珍しいが、北海道を代表する有名な花

 カラフトイトツツジ(樺太糸躑躅)低木で、花はアジサイのような総状花で白い

 アポイカラマツ(アポイ唐松)・名前は木のようだが、れっきとした多年草 茎が三椏のように枝分かれし、その先端に花が咲く 花弁はなく、萼片が海老茶色

 ヒロハヘビノボラズ(広葉蛇昇らず)・低木で幹に鋭い刺がある。花は枝先に垂れ気味に下を向いて纏まって咲く。花弁も萼も黄色

 

 兎に角、素晴らしい花の連続に大満足してのアポイ岳山頂までの道だった。通常、2時間40分の工程を何と4時間も掛かったのだ。お握りで昼食を済ませ、幌萬お花畑の方への道を下る。

 幌萬お花畑への道は登りよりは勾配が緩いが、長い

ので結構脚に堪(こた)えるのだ。

 エゾヤマツツジ(蝦夷山躑躅)の鮮やかなオレンジ色が、緑の中に一際映える。下り方向には山並が連なり、その先には海があるのだが、湧き上がる雲海と重なって境界が判らない。

 幌萬お花畑では、最後にエゾルリムラサキ(蝦夷瑠璃紫)を見ることが出来た。今まで見られなかった花出、その名の通り瑠璃色の5枚の花弁があり、可憐な感じのする宝石のような花だ。

 馬の背に抜ける脇道は、片斜面に30~50cm程歩ける程度に踏み付けられたもので、歩きにくい。本道と同じものを想像していただけに、当てが外れ、予想外に時間が掛かった。馬の背近くの本道に出た時はほっとした。

 

 避難小屋への下り道を降りていると、洋子が避難小屋に群がる人達を見つけた。「これから登るのかしら?」と言ったが、1時過ぎから登れば、下山は4時以降で、いくら初夏で陽が長いとは云え、無理がありそうに思った。しかし、洋子の言ったのが正解で、途中30~40人位のグループになった団体が専門の指導員を先頭に続々と登って来た。

 避難小屋迄降りると、他のツアー客らしい人達が40~50名程度休憩していた。

 避難小屋から登山口迄は行きと違うルートと決めていたので、分かれ道を右に取った。しかし、下る筈の

エゾシモツケ

アポイハハコ

アポイキンバイ

アポイシモツケ

ヒメエゾネギ

キタヨツバシオガマ

チシマフウロ

アポイクワガタ

チシマキンレイカ

道が結構登りもあり、不安になっては地図と格闘し、地形を確認しては先に進んだ。

 沢を渡った辺りから、沢沿いに下り一方となり、道の脇には大きな蕗が見られるようになってきた。蕗は登山口迄の道に多く生えていたので、そろそろ登山口に近いことが知られるようになった。

 入山者名簿に下山時刻を14:00と記入し、荷物を降ろして、車でアポイ山荘の温泉に向った。

 ゆっくり温泉に浸かり、15:00過ぎにウトナイ湖を目指して出発。

 夕食時に鵡川を通過したので、行きと同じ店に入った。蕎麦だけでなく、今度は夏牡蠣の酢の物も注文した。

 食後、高速を通り、ウトナイに到着。ウトナイ湖のほとりにあるウトナイユースホステルで宿泊した。

ハイマツ

 広い室に二人だけだったので、持参した酒、肴で一杯やって、8時過ぎにバタンキュー。

 

 6/21(月)

 早朝にバードウオッチィングをしようと野鳥の森に出かけたが、この時期では葉が繁り、囀り、鳴き声しか聞くことができず、バードヒアリングになってしまった。

 ユースホステルの戻り、朝食を済ませ、室蘭に向った。

 途中、白老のポロト湖に寄った。人気のない静かな良い湖だ。湖周回の散歩コース、サイクリングコースが整備されているようで、時間があればゆっくり楽しめそうだ。湖に続く堀には、白い睡蓮が咲いていた。清楚な白はそれだけで綺麗だ。

 再現したアイヌコタン(部落)があったが、これは観光目当てのもので、バスから降りた観光客が続々と園内に入って行く。コタンの町「白老」が二風谷と違って観光化され過ぎているのに失望した。

 白老を後に、室蘭の地球岬に向った。地球岬、チャラツナイともガスで全く何も見えず、引き返した。 登別温泉の入り口付近でお昼時になったので、ラーメンを食べに店に入った。台風6号のニュースが放映されており、千歳空港も強風でダイヤがどうなるか判らないとアナウンサーが話している。

 21:10 JAL1040のフライトなので、ま

アポイゼキショウ

チングルマ

アポイカラマツ

ヒロハヘビノボラズ

だ9時間以上も時間があり、台風の速度、進路によっては欠航になるかもしれない。不安に思いながらもラーメンを食べ終え、じたばたしても仕方ないので、時間迄予定通り遊ぶことに決めた。

 

 登別温泉の町に着き、あとで入る予定の「狭霧の湯」と云う町営温泉の駐車場に車を置かせて貰った。雨模様のする空に、新しい長靴でわざと水溜りに入る子供のような心境で、嬉しそうに買ったばかりのレインスーツを身に着け、散策に出かけた。

 今は風化して読めないが、「南無妙法蓮華経」と書かれた題目石の脇から石段を登ると、地獄谷が一望できる。

 450mもの巨大な爆裂火口跡である地獄谷は、あちこちで水蒸気や噴煙が上がり、温水・熱水の流れる所は析出した硫黄であちこちが黄色くなっている。いまだに剥き出しの山肌は焦げ茶、黄土色、白茶、煤竹色の織り混ざった、緑の一つもない正に地獄の風景だ。所々に白や強烈な酸性水で腐食された緑青色、濃い鼠の部分も見える。

 薬師如来堂にお参りし、手摺のある立派な木道で地獄谷に中心にまで行ってみる。地獄の底にいるような気分になる所で、終点にある囲われた井戸からは、硫黄臭の強い温泉が湧き出していた。間欠泉なのか、じーっと見ていると時折、湯面が数センチ以上も盛り上がる程に湧出量が増えたかと思うと、静かになる。

 木道を引き返し、大湯沼、奥の湯沼へのハイキング道を歩き始める。道の脇には草木の説明やクイズ形式で大湯沼、奥の湯沼の案内をするなど興味を誘うような工夫がされていた。シャクナゲ(石楠花)、ツツジ(躑躅)は時期が違うのか、殆どが葉ばかりしかなかったが、時折白い固まりで咲いている総状花が見られた。クイズと草花を楽しむ内に最後の急坂を下りかけると、正面に大湯沼、右手奥に奥の湯沼が見えてきた。

 

 クイズから知ったのだが、大湯沼、奥の湯沼の底から湧き出す熱泉は高い水圧のため水の沸点を遥かに越える130度にもなるのだそうだ。湯の花がヘドロ状に積もった沼岸は底なし沼を思わせる不気味な景色を作り出している。

 同じ道を引き返したが、案内図を見ると沢山のルートがあるので高浜虚子の碑などのある詩(うた)の道を歩くことにした。その道では樹木に関するクイズがあり、二人でああでもない、こうではないかと協議しながら、回答をして歩いた。

 ハイキングを終え、「狭霧の湯」に浸かった。泉質の違う風呂やサウナ、超音波風呂など色々とあり、火照った体を冷やしては何度も湯に浸かった。

 前回登別温泉に来た時は、冬で道が閉鎖されており、倶多楽湖までは行かれなったので、今回こそはとトライしたが、展望台からは乳白色の濃いガス以外は

何も見えなかった。湖畔ロッジの近くでようやく水が見えたので、降りてみる。案内には摩周湖と並んで透明度の高い湖と書いてあるが、今の状況ではその片鱗すら判らない。

 

 登別から千歳空港に戻る積りが、未だ余裕があるので、途中で見掛けた白老の樽前山麓の錦大沼公園に寄ってみた。存外に良い公園で、オートキャンプ場などの施設が整備されていることもあるが、錦大沼(周囲3.5km)、錦小沼(周囲1.6km)からなる自然公園が素晴らしい。

 時間の都合もあるので、今回は錦小沼の周回コースを散策した。歩きながら、静かな湖面に対岸の樹木が映り、そよぐ風に微妙に揺らぐのを見るのは飽きないものだ。

 あちこちで囀るセンダイムシクイ(仙台虫喰い)の「ショーチュウ イッパイ グイー(焼酎一杯ぐいー)」に混じって、カッコウ(郭公)の鳴き声も聞こえるが、殆ど姿を見つけることはできない。

 適当な所で錦大沼側の散策コースに入ったつもりが、手前で入ったために、結局錦大沼も1/3位は歩くことになってしまったが、静かな散策は台風の片鱗さえも感じさせなかった。

 

 千歳空港に着き、先ずはフライトの確認をしたが、羽田行きは今の所欠航の予定はないとのことで、シートの確認を済ませ、一安心。安心すると、途端にお腹が空いてきたので、空港内で夕食。空港内のドイツビアーレストランで、ゆっくり。フライドポテト、サラダ、ソーセージ、骨付き子羊肉などを肴に、ドイツを始め、チェコ、英国などあちこちのビールを次々に試してみた。(但し、いずれも千歳で作ったご当地風の地ビールなのだが!)

 

 手荷物検査を済ませ、ゲート前で待機していると、矢張り台風6号の影響でフライトの遅れが発生していた。21:10発予定が、21:30発。羽田では最終の空港バスに間に合ったが、京葉線も遅れており、真夜中になったが、兎に角無事帰宅。

 完

エゾルリムラサキ

上カット 登別地獄谷

下カット 大湯沼  撮影:久保ヒデキ

ⒸhiDeki (hideki kubo) 2001           Contact ・ st-pad@digi-pad.jp

 

ご注意・この北海道旧道保存会ホームページ『裏サンドウ喫茶室』では、寄稿者の方々の研究成果を発表しています。掲載の文・カット・図版等はそれぞれ著作者の権利が保護されています。無断で他の媒体への引用、転載は堅くおことわりします。当ホームページ掲載の地図は、国土地理院長の承認を得て同院発行の当該地域を含む5万分の1地形図及び2万5千分の1地形図、数値地図25000及び数値地図50mメッシュ(標高データ)を使用、複製したものです。<承認番号 平13総使、第520号><承認番号 平13総複、第390号>このホームページに掲載されている場所は、自然災害や経年変化などで取材時よりも状況が著しく変化している場合があります。