【旧道エッセイ】・北海道旧道保存会メンバーによるリレーエッセイです。

Vol、2  ~あなたも一緒に探しませんか?   常国 みどり

 私、”水準点ハンター”とか、”水準点の女王”とか、”水準点博士”とかって呼ばれることがあるんです。なんだか、「水準点=常国みどり」みたいなイメージが皆さんの頭の中にあるようなんです。

 でもね、それはとーんでもないマチガイなんですョ。だって私、水準点のことについて、博士と呼ばれる程の知識なんて全ー然ないし、水準点を探す時だって、まあ、一応その場所の地形と地図を見比べたりするけれど、あとはただ、自分のあてにならないカンだけで、あちらこちらを捜索してるんですから…。

 ただ、「水準点を見つけたい!!」って気持ちだけは、どうやら人一倍強いみたいなんデス。もちろん、私だって最初から”水準点様~”なんて思ってた訳じゃありませんョ。当初は、「ふーん、水準点ねぇ」「見つけたところで何だっつーの?」ぐらいにしか感じていなかったのですから。

 ところが、いくつかの水準点を見つけていくうちに、「へぇー、水準点にもいろいろな形があるんだー!」「こんな場所にも設置してあるんだー!」なんて思っていたら、これがまんまとハマってしまったのです。恋愛に例えると?”なあーんかさァ、初めはパッとしないオトコだなーなんて思ってたんだけどォ、何度か会ってるうちにィ、いつのまにかァ、好きになってたんだよねェ~、うふっ”(コギャル風に読んでね)ってやつですか?…。

 

 てな訳で、今回は、「何がそんなにオモシロイの?」ってことをお話したいと思います。ただし、これはあくまでも私的に感じる楽しさでして、読んでいただいても「ふーん?」と思われる方もいるでしょう。事実、何人かの私の友人に話しても、同じリアクションが返ってきたのですから……。

  ~あなたも一緒に探しませんか?

           常国 みどり

 これは、国道二七五号線、札幌の”雁来大橋”東方にある水準点なんですが、金属標で真ん中が”ポチッ”と盛りあがっているんです。じつはこれ、昭和の後半に”一時的に”作られたものでして、設置数も少なく、プレミアム的な存在なんですョ。

 私は今までに七〇個以上の水準点を発見していますが、このカタチは、この水準点以降見たことがないので、道内にいくつ存在するのかとーっても気になっているんです。

  〈カタチと設置状況〉

 

 水準点には、花崗岩でできた”標石タイプ”のものとコンクリートの標柱に金属を埋め込んだ”金属標タイプ”の二つに大きく分けられます(電子基準点を除く)。”標石タイプ”は、主に明治から昭和二〇年代にかけて作られたもの(ただし、基準水準点は現在も標石を使用)で、”金属標タイプ”は昭和三三年から作られはじめたものだそうです。ただ、金属標のものの中に、ちょっと変わったカタチがあります。

 それから、愛別、金富にある水準点。地図を見ると田んぼのド真ん中に水準点があります。田んぼの真ん中なんて、「それって機能してるわけー?」と思い出かけてみると、それは田んぼの中ではなく、民家の庭のマンホールの中にありました(ちょっとガッカリ…)。

ただ、、この民家のおばさんに聞いたところによると、庭を改修する際にご主人が「なにやら大事なものみたいだから」と言って、このマンホールの形に保護したのだそうです。もちろん、すべてご主人の手で!

 水準点の設置場所もさまざまです。道路わき、神社、公園etcは一般的ですが、「なーんでこんな所にあるの?」というのが結構あるんです。例えば、江別、石狩大橋の北西にある水準点、地図では道路わきになっていますが、行ってみると畑の一角に存在していました。

 「他に設置でそうな場所があるのに、なんでここなの?」「昔は道路がこの畑を通っていたのか?」「でも、ここって農作業のジャマにならないのー?」なんて考えながらカットを撮るのって、結構楽しいものデス。

 いや~、道路工事などで壊されたであろう水準点が多い中、こんなふうに一市民が保存してくれるなんてありがたーい事デス。おじさんのおかげで、私はこの水準点にめぐり会えたんだ、と思うと、なんだか心にじーんときちゃいます。

 

 

 さて、まだ発見していない水準点の中で、私がすごーく気になっているのが、、なんと”車庫の中に存在する水準点”。

 「室蘭にあるよ」と国土地理院の方から聞いたのですが、個人宅ということで所在地までは教えていただけませんでした…。現在、室蘭の地形図を見て、ありそうな場所を物色中デス。

か。そして、道が使われなくなり、人間に見捨てられてからの何十年間、その場にたたずむことしかなかった侘しさを想像しながら、コケむした水準点を見ていると、なんとも言えずたまらない気持ちになります。

 濃昼山道は、なんと安政四年に拓かれた道です。当然、水準点はそのずーっと後に設置されたものでしょうが、少なくとも大正八年の地形図には、水準点は存在していました。私がこの水準点を見たのは、一九九八年の一一月。と、いうことは、約八〇年間この水準点は、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、雪ニモ、夏ノ暑サニモ負ケヌ、その超頑丈な体でもってそこに在り続けたのです。もうー、ホントに頭が下がります。

 濃昼山道はひどい難所と呼ばれる道でしたから、当時この水準点を設置した時にどんな苦労があったのか。とても寂しい山道でしたから、通行人が水準点を目にした時には、もしかしたら、お地蔵様を見るのと同じような気持ちになったのではない

〈水準点は遺跡です〉

 

 特に、人から忘れられた山道に設置されている(た)水準点には、その雰囲気が色濃く漂っていると思うのです。エジプトのピラミッドや中国の万里の長城、佐賀の吉野ヶ里とまでいかなくても、遺跡を見て時代に想いをはせるのと同じように、濃昼山道の水準点を見てみると・・・。

  〈水準点はお宝?〉

 

 実は私、簡単に見つかる水準点より、なかなか手こずらせる水準点の方が好きなんです。つまり、探す過程が楽しい!ってコトです。通常、水準点のある場所には”基準点を大切に”と書かれた立て看板があるのですが、旧道,廃道にはそれがないことが多く、そんな場合はまず地形図と今いる場所を見比べ、周辺を見まわし、この辺かなーとあたりをつけます(いわゆるあてにならないカンです)。そして、草をかき分けたりなたで草刈をするんですが、それで見つけられたら超ラッキー! たいていはそのあと地面に積もった枯草を取り除き、それでも見つからなければ、小さなシャベルでコツコツと土を掘り起こすんですぅ。そんなことを何度もくり返していると、もう気分は”眠る財宝を探すインディージョーンズ!!”(オーバーか…?) そうして時間をかけて探しあてた時の喜びといったら!!

 それが、鳥の鳴き声や木々のざわめきしか耳に入らない忘れられた山道の中だと、想いは格別です。そして、「よく残っていてくれました。ありがとう」と敬意を表したくなるのです。 その証として、私達は発見した水準点には”お神酒をかける”儀式を行っているんですョ。(ただ、アルコールは石を痛めるというご指摘もあり、最近は水に変えてます)

 

  やっぱり「ふーん?」って思いましたか?でもね、いいんです別に。私だって他にオモシロイものが見つかれば、”もうやあめたーっ”って思うでしょうから…。

 でもそれまでは、普段誰にも気付いてもらえない水準点のコト、かまってあげようと思ってマス。見つけたらキレイにしてあげて、日の光を浴びさせてあげるんです。だって看板にも書いてあるでしょ?”基準点は大切に”ってね。

 

 

ページ中使用している地図は、国土地理院発行の『札幌北部』『愛別』の二万五千分の一地形図、および、『江別』五万分の一地形図を縮小使用しています。

 

文・カット  常国 みどり〈北海道旧道保存会〉

ごっつい子供…?

 だけど…苦労させられる水準点ほど実は見つけられないことが多いんです。消失してしまったのか…やっぱりカンがあてにならなかったのか…。

 ところで、北海道旧道保存会のメンバーの方達は、いつも懸命に水準点を探してくれます。大の男たちが、汗を流してあちらこちらを探している姿は、”ごっつい子供”の様で、「大人って、いくつになっても宝探し遊びがすきなのねー」と、ほほえましくなるんです。

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