【旧道エッセイ】・北海道旧道保存会メンバーによるリレーエッセイです。

Vol、10  古橋巡り    久保 ヒデキ

 橋やトンネルなどは道を構成する大事な要素のひとつです。旧道の生い立ちを知る手がかりにもなれば、その時代の土木技術を計る貴重な標本でもあるのです。今回は視点を変えて、「道」と深い関係にあり、とりわけ長い歴史を背負いながら今に活き続ける古い橋から、近代的な斜張橋に生まれ変わり消滅していったトラス橋など、絶滅が危惧される古い橋のいくつかを紹介します。

古橋巡り

       久保 ヒデキ

萬才橋・・・旧国道二四二号線 小利別

豊橋・・・・旧国道二三〇号線 定山渓

 萬才橋は、道東、陸別町と置戸町の間に位置する小利別という集落のはずれにある。忘れられたようにひっそりと。この小利別もかつては林業で栄え、網走本線(のちの池北線~ちほく高原鉄道)小利別駅前にも旅館や商店、理髪店などが建並び々で賑わっていたという。その集落の中心を貫いていた国道二四二号線はいわばメインストリートであり、北見方面への流通を担う重要な産業道路だった。

 昭和二九年に架けられたこの小さなコンクリート橋の上を、数え切れないほどの人やクルマが通り過ぎていったに違いない。

 しかし、時は流れて林業の衰退とともに人々も去り、国道も集落を通らないルートに付け替えられてしまう。以来、この萬才橋は時間が止まったまま取り残されることとなった。

 錆びて赤茶けた高欄とともに修繕もされない崩れた親柱が痛々しい。

 豊橋は明治三年に東本願寺の現如上人以下数百名の手により開削された、通称『本願寺道路』をルーツとする、道内でももっとも古い歴史を持つ橋のひとつである。銘版によれば昭和一二年竣工とある。コンクリート製の高欄は重厚なアラベスク風イメージにデザインされ、現代にはない文化的なゆとりが感じられる情緒ある橋。現在は昭和四〇年代に下流側に新設された新豊橋に国道の座を譲ったが、架橋後八〇年以上の時を経てもなお、旧橋は健在である。

 南側の橋のたもとには川原へ下る別な道があって豊橋の足元へたどり着く。実はそにには、昭和二年ごろに架けられた先代の豊橋の痕跡を見ることができる。この先代は木造トラス橋だった。

 昭和九年。発展目覚しい小樽と札幌を結ぶ新道開通にさきがけ、前年の八年に竣工。現存する大型橋梁の中ではかなり古いもののひとつである。白いリブアーチを大きく広げた姿は張碓川の深い渓谷にマッチして実に美しく印象深い。

 のちに国道ルートが張碓川下流方に新設変更され幹線道路の看板を下ろすことにはなったものの、札樽国道のシンボル的存在であったことはこれからも未来に語りつがれるに違いない。

 今では通るクルマも少なく静かな余生を送っている。

張碓橋・・・旧国道五号線 張碓

 月形大橋。昭和二七年に始まる北海道開発第一次五ヶ年計画、そしてそれに続く第二次五ヶ年計画により、産業用幹線道路の整備が全道にわたって推し進められることとなった。これに伴い石狩川水系での永久橋の架橋も急務となり、昭和三〇年代から四〇年代にかけて岩見沢大橋、奈井江大橋、雨竜橋と次々に大型橋が架橋されていった。特筆すべきはこれらの橋が多連トラス橋で構成されている、という点だ。この時代、大型橋の”トレンド”だったのではないだろうか。トラスとは三角

形を基本として棒状材を連続的に組み合わせた構造のことで、部材の一つ一つが軸方向にのみ差動しトラス全体で橋にかかる荷重を支えるという特徴を持つ。だが、そんな理屈よりも繊細なそのフォルムの方が”橋らしい”印象を際立たせている。

月形大橋・・道道岩見沢月形線 月形

 月形大橋は全体として五連トラス橋に鋼桁橋部分を連結しているが、トラス部分は昭和三〇年竣工のもの。岩見沢大橋(後述)は”たっぷ大橋”としてダイナミックな斜張橋に生まれ変わったが、この月形大橋も狭小橋ゆえに残念ながら消滅するのは時間の問題と思われる。現在すぐ川下側で架け替え工事が進められているのだ。

 どのような橋に生まれ変わるのかは完成までわからないが、現在の姿としてはおそらく今が見納めになるだろう。貴重な”絶滅危惧”橋である。

 道道深川雨竜線と呼ばれるこの道は、国道

二七五号から旭川方面へ抜けるバイパスを担っている一面もあり、年々交通量が増加している。

 月形大橋によく似た構造の美しい三連トラ

ス橋だが、その狭さも同様、すでに今となっ

ては通行の障害となってしまった。そのため

に、実は下流側に隣接して新橋の建設が始まっている。この雨竜橋トラスもここ一、二年の間に姿を消すことになるのは間違いない。

 一方で、妹背牛側に数分走ると視界に入っ

てくる幅広のアーチ橋”黄金橋”が目を惹く。

構造的にはこちらはトラスではなくランガー

桁橋。一足先に平成一二年に竣工している。

架け替え前は雨竜橋同様のトラス橋だったの

かもしれない。新雨竜橋はどのような橋に生まれ変わるのであろうか。

雨竜橋・・・道道深川雨竜線 雨竜

 撮影したのは平成一七年の四月。絶妙なタイミングだった。あと数ヶ月訪れるのが遅かったら、このような状況に巡り会うことはできなかったはずである。床材が取り除かれ骨組が露わとなった岩見沢大橋のトラス部。そしてすぐ隣には開通間もない白亜の斜張橋。

 昭和三五年に竣工したこの橋は、岩見沢大橋と名づけられながら実際には新篠津村と石狩川をはさんだ対岸の北村(現岩見沢市北村)とを結ぶものだった。その矛盾が教訓となったのか平成一四年に竣工した新橋には一般公募により”

たっぷ大橋”という名が付けられた。周辺のアイヌ語地名によるものだそうだ。

岩見沢大橋・道道岩見沢石狩線 新篠津

 今年の夏、再訪する機会があったが、コンクリートの土台も含めこの岩見沢大橋は跡形なく消滅してしまっていた。

 青空をバックにそれぞれの時代の最先端技術を持つ新旧の橋が並び、デザイン・コントラストを描く。トラス橋が昭和三〇年代のトレンドならば、斜張橋は平成のトレンドとも言えそうだ。古くは昭和五〇年竣工の石狩河口橋などに例があるが、平成に入ってからはミュンヘン大橋、花畔大橋、札樽自動車道など各地で大型橋への施工例が増えている。

 構造的には、もはや他に実物を見ることができない「プレースト・リブ・バランスト・タイド・アーチ」と呼ばれる曲弦トラス橋なのだそうだが、そんな説明を聞かされるまでもなく、有無を言わせぬ威圧感がある。この橋に限ってはどう考えても絶滅の心配はないだろう。

 この橋はあまりにも有名である。

 幣舞橋(三代目)、豊平橋(先代)と並んで北海道三大名橋のひとつに数えられ、唯一、設計時のアーチが現存しているのはこの旭橋のみ。北海道遺産に選定されたことも記憶に新しい。

旭橋・・・・国道四〇号線 旭川

 江別市と岩見沢市の境界をなす旧幌向川に架かる、国道一二号線の橋である。

 昭和三六年に竣工したこのトラス橋は他に例を見ない独特な形状を持つ。五〇mに満たない橋長の割りにはアンバランスな骨太感があり、一度見ると忘れられない強烈なインパクトがある。写真ではわからないが明るい水色にペイントされたトラスは遠くからもそれとわかり、岩見沢、あるいは江別へ入るランドマークとして目印にしていたドライバーも少なくないだろう。私自身もかなり以前から気にかけていた好きな橋のひとつであった。

 写真は平成一六年春のものであるが、残念ながらこの橋も他の昭和三〇年代産トラス橋の例に漏れず、片側一車線の狭小さが災いしてすでに消滅してしまった。前後の区間

でかねてから進められていた四車線化改良工事に伴うものだ。架け替えられた新橋は没個性の象徴とも言える単純鈑桁橋で、実際に通ってみても橋を渡ったことにも気づかないほど。トラスファンとしては非常に残念である。

幌向橋・・・国道一二号線 幌向

 前述の豊橋同様、こちらも『本願寺道路』をルーツに持つ橋である。薄別温泉を過ぎたあたりで旧国道二三〇号線は現国道を離れ、そのすぐ先で薄別川を渡り、中山峠へ向けて一気に高度を上げてゆく。いわば、峠の入り口となっていたのがこの薄別橋の木造トラスだった。

 昭和四〇年代末に現在の国道に切り替わったが、その頃は親子二代の橋が並ぶ珍しい光景が見られた。その”親”の方は昭和二六年に竣工、橋の加重に対して棒状材が圧縮方向にのみ作用するように左右対称に作られた、”ハウトラス”という構造を持つ木造トラス橋だった。

ホルトが設計した豊平橋にも採用例がある構造で、学術的にも価値があるということで当時、保存の声も上がっていたようだ。

 ”子”の方は昭和四〇年に架橋されたコンクリート製の単純桁橋だったが、昭和五五年ごろに両橋とも桁部分が撤去されてしまった。残るコンクリートと石積み橋台も水量の豊富な薄別川に長年にわたって足元を削り取られ、原形をとどめているのは定山渓側のみ。峠側はすでに一部石積みの痕跡を残してすっかり削り取られてしまった。

上薄別橋・・旧国二三〇号線 薄別

この『古橋巡り』は、二〇〇六年発行『等高線S No,3』に掲載されたもので、取材は当時のものです。

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