【旧道エッセイ】・北海道旧道保存会メンバーによるリレーエッセイです。

Vol、7  ちょっと悲しき きれいな旧道  ~雨中の大成~熊石 旧国道229号歩きの旅  石川 成昭

 

 歩いた区間は、桧山支庁の大成町ヨリキ岬の北の折戸から熊石町関内までの約10kmだった。

1・貝取澗までのひとつ目の丘越えを経て貝取澗坂下まで

2・貝取澗坂から荷菱内川の先の長磯に出るまでの丘越え

3・長磯から関内までの海岸線集落の上部を通る区間

 の、3つに分けることができる。

 結論的には、旧道難易度は0、全区間乗用車でも容易に抜けられる旧道らしからぬ風体だったのである。しかし、消し去ることのできない歴史の断片として、私たちの興味をくすぐる物件が点在していた。

1・ひとつ目の丘越え→貝取澗→貝取澗坂下までの区間

 

 出発点の折戸では、旧道がまっすぐだったことを物語る橋台が草に埋もれそうになっていた【写真1】。橋桁部分はコンクリートで蓋のように覆われ、橋台も草に埋もれそうになっているものの、その下には石積みの橋台が残っていた。

 

 ひとつ目の丘に登る旧道は、白いガードレールも鮮やかな舗装路。登る途中の橋も架け替えられており、国道の迂回路を思わせる造りだ。丘の上は、天気さえ良ければ気持ちのいい小径となるはずだ。墓地の横のヒグマ注意の新しい看板や路側のフンを見つけたりしなければ・・・。

歩いた区間が赤の点線

ちょっと悲しき きれいな旧道

  ~雨中の大成~熊石 旧国道229号歩きの旅

           石川 成昭

写真1

 そして、海岸線の道路を一望しつつ、大きな穴あき岩を右に巻きながら貝取澗(かいとりま)へと下っていった【写真2】。

 

 貝取澗は、昭和30年まで貝取澗村の中心だった所で、貝取澗への坂を下るとすぐに学校の校門(門柱)と松並木が見えてきた【写真3】。ちょっと街道っぽさを感じさせる風景だ。学校は、すでに廃校となった貝取澗小学校・中学校で、校舎もなくなり校庭の草原化が進んでいる。

 

 しかし、校門の近くには水準点があり、その路傍には「貝取澗村道路元標(昭和十二年、北海道廰)」も残されていた【写真4】。元標の後ろは、寿の家という新しい公民館的な建物があ

写真2

写真3

ることから、ここが役場だったのかも知れない。人の気配もない静かな集落に、お昼のチャイムが鳴り響いた。 貝取澗から海岸線沿いの国道に出ると、現国道の崖側に旧道の存在を示す空間と護岸が残されていた【写真5】。護岸の存在から、現国道の場所は磯や浜だったことがわかる。どこか廃線跡のようでもある。

写真4

写真5

 次の丘に登る分岐点(横澗橋)は、貝取澗坂下というバス停だ【写真6】。谷を巻いて登る貝取澗坂を見上げると、白いガードレールで補修されているのが否応なしに目に飛び込んでくる。分岐には迂回路の看板も・・。18年前に堀さん達が歩いた時には未舗装だったと聞いていただけに、この先も舗装だとわかったことは残念だった。

写真6

2・貝取澗坂から荷菱内川の先の長磯に出るまでの丘越え区間

 

 舗装はされていても、旧道の片鱗は隠せない。少し坂を登ると、旧道の橋が新旧展示のように並んでいる。旧橋の橋台は、古くからの構造のようで、橋桁の下部は矢羽小谷積(やばねこたにづみ)といわれる斜めの石積み、角部(隅石)は整層積(せいそうづみ)で、その噛み合わせが美しい【写真7】。

 コンクリート製の橋桁は、何度か架け替えられた最後のものが残っているようだ。ここのご愛敬は、旧橋への入口がちゃんと(笑)あることだ。真っ先に入っていったのは、もちろんH氏である【写真8】。

 

写真8

写真7

 丘上に出る直前には、コンクリート製の高欄?を一部残す擁壁が旧道の風情を醸していた【写真9】。

 その先は悲しいほどの“良い”道で、淡々と歩くのみ。しかも、ガードレールに守られているのが何とも窮屈に感じる。そのガードレールではあるが、退屈さを紛らわせる不思議な窪みが数カ所あった。待避所にしては短すぎ、舗装もされていない。わざわざコの字形にガードレールを設置しているのが奇妙だ【写真10】・・なんのためだろう?。

 ツラツラ岬の上あたりは、今日の最も高い110m程度の区間。地図を見ながらメンバーに説明したのだが、直下の岬が見えるわけでなく、地図を見ない限り高い低いもわからないためか「フーン」と生返事だった。そりゃそうだ。その先、下の磯の風景は所々から垣間見られたが、好天なら見える奥尻島は小雨とガスの先だった。

 

 荷菱内川の橋では、長磯側にだけ古い橋台が残っていたが、草に覆われていてやっと確認できる程度だった。荷菱内の大きなヘアピンを後にして長磯集落方面へ下っていくと、現国道方面へは舗装だが、左折する旧道は未舗装だった。おっ、やっと旧道とご対面できた!という歓びを感じながら、緩やかに登っていった。

写真9

写真10

3・長磯から関内までの海岸線集落の上部を通る区間

 

荷菱内川から関内までの区間

砂利道へ入って後ろを振り返った辺り、ここは堀さんの「忘れられた道(1992年発行)」のP101の写真と同じ場所・・のはずだった。新旧対比写真を・・と思ったのだが、なぜか同じにならない。当時あったコンクリ電柱がなくて木の電柱が3本あったり、さらに高さの関係までおかしい。場所が違うとは思えないのだが、よくわからないまま現地を後にした【写真11】。写真だけ見ると、旧道らしい風情漂う1枚となった。

使用している鳥瞰図は、国土地理院1:25、000地形図「貝取澗」「熊石」の地形図データ、および標高データを使用し、カシミール3Dでレンダリングしたもので、縮小しています。

写真11

写真12

 砂利道区間の下に長磯集落があることもあり、沿道には畑も点在している。これまでほとんど見なかった車も数台走り抜けていった。そんな状況でも、万が一の迂回路の方が整備の優先順位は高いのだな・・と考えてみたりも。

 

 砂利道は長磯の集落手前で終わり【写真12】、長磯小学校の前に出た。校庭が草だらけだったので、ここも廃校?と思ったところ、校舎内も整頓され、花壇にも手が加えられ、校庭の一角の住宅に人陰も。後日、児童数人の学校だったとわかり、校庭の維持まで手が回らないことにも納得したのだった。町界まで0,5km隣町の小学校までも1km余りという状況では、この先さらに厳しくなってくるのだろう。

 

 地域(特に田舎と言われる所)の学校って、色んな意味で重みがあるのではないかと思った。地元の人以外のそれなりの教育を受けた人が赴いて来て、地域の中で子供達に色んな影響を与え、その場所で共に時を過ごす。このことが、子供にとって「地元」の意識の原点となるんじゃないかなぁ~、しかし、一校数人だとどうかなぁ・・、そんなことを考えながら町界を気づかぬうちに過ぎ、緩やかに下って終点の関内に着いた。

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