堀 淳一 アーカイブ 『堀淳一 旅の記憶』

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黄色い水仙と路面電車

Amsterdam, GVB

【1967年 オランダにて】

Gemeentevervoerbedrijf, Tram ー アムステルダムの市電

 

「 Kさん。          1967.3.31

 お元気ですか。いまアムステルダムのホテルでこれを書いています。今夜は2度目の海外旅行のふた晩目。明日からロンドンで半年間を過ごす予定なのですが、その前の2日間をアムステルダムの休日、としゃれこんだわけです。3月の末のオランダはまだ寒く、その上昨日も今日も灰色の雨雲が空を覆って、時々雨がパラつくという天気でしたが、冬装束で歩きまわったような次第です。」

 

 

 1967年に堀先生が渡英した理由は、ロンドン南西部はテディントンという街にある、英国国立物理学研究所の客員研究員として勤めるためでした。4月から9月までの約半年間、テディントンのストロベリー・ロード・ヒルにある広々とした庭に建つ2階建ての下宿から研究所へ通う傍ら、イギリスを中心にヨーロッパの数多くの軽鉄道を巡ったのです。そして、この約半年間のイギリスでの生活を前に、堀先生がまず降り立ったのはオランダでした。アムステルダムとハーグの市電を乗り歩くのが、その目的です。

 今回はアムステルダムの市電の旅と、オランダ国鉄の列車で約1時間半ほど南東にあるハーグの市電の小旅行をご紹介します。

 

 アムステルダムの路面電車の歴史は古く、1875年の馬車軌道開通までさかのぼります。1900年に市営化されて以後、電化が進むことになるのですが、このころにはすでに15系統におよぶ馬車軌道が運行されていました。1950年代になるとアムステルダム郊外へと宅地開発が進み、それに合わせるようにトラムも続々と延伸。2000年代に入っても新路線が開通するなど、現在でも路面電車は重要な都市交通機関となっているのです。

 

 1967年現在、アムステルダム中央駅前のスタションス広場市電ターミナルを中心に11系統が発着していましたが、堀先生はここから、王宮とダム広場を通る4系統に乗り込みます。ほどなくアムステル運河を電車は進み、レンブラント広場で下車。広場からアムステル運河へ抜ける「バッカ―街(バッケルス通)」と呼ばれる、狭い小路へと敷かれたレールに誘われるように足を進めるのです。

スタジオン街の市電ターミナルにて

バッカ―街を抜けるアムステルダム市電

 

「 バッカ―街、というと堂々たる街路のようにきこえますが、実は幅4メートルあるかなしの、両側を高い建物にはさまれた路地のように細い道で、歩道を除くと幅わずか2メートルぐらいの車道しか残りません。この狭い歩道を、標準軌間の市電が走っているのです。こんな道までちゃんと両側に歩道があるというのもわれわれにとっては驚異ですが、そこを電車が通るというのですからさらに驚きます。この通りのことは実は前にモダーン・トラムウェイ誌に1度出ていたことがあり、私にとってはあこがれの場所だったのです。レールはもちろん単線で、一方通行になっており、中央駅行の4系統と5系統の市電がここを通ります。この2つの系統には図体が大きく、幅も広い連接車がもっぱら使われていますが、これが通るときはいまにも両側の建物につかえそうです。レールはバッカ―街から出ると急カーブで左に曲がって、これもあまり広くない運河ぶちの道路に敷かれているやはり単線のレールに合するのですが、いくらきつく曲がってもすぐにこのレールに入ることは不可能なので、いったんこれと交差して運河側に出てからゆっくり入るようになっています。それにしても見ていると、よくまあこんなせまい所をあの大きな電車が曲がれるものだ、と感心してしまいます。

 いずれにしても、こういう中世の雰囲気が濃厚に残る通りを、最も近代的な連接車が悠然と通ってゆく風景は、何ともいえず味わいのあるものでした。」

 

 残念ながら現在では、この小路を抜ける系統は廃止され、堀先生が「何ともいえず味わいのあるものでした。」とおっしゃった情景はもう見ることはできません。標準軌間の市電が走っていた狭い道は、今は歩行者専用となっており、その先運河沿いの道にもレールはなく「いったんこれと交差して運河側に出てからゆっくり入るようになって」いたという、運河に張り出していたその空間は歩道の一部として名残をとどめています。

 アムステル運河沿いを散策し、堀先生いわく「アムステルダムの銀座といわれる高級商店街」カルヴァー街を、「銀ぶらならぬカルぶら」を楽しんだ後、堀先生は王宮の裏手の電停より1系統に乗り込みます。やってきたのは車両端に美しい折り戸のドアを持つ連接車で、この当時はワンマン運転ではなく、乗車口カウンターで切符を買い、降りるときは別の車両の降車口から降ります。札幌市電のかつての連接車でいうところの、「パッセンジャーオーバーフロー式」と同様のシステムでしょうか。運賃は50セント(約50円)ですが、45分以内であれば何回でも自由に乗り換えができるのだそうです。

 

 「1系統は市街の西南端のスタジオン街に達する線で、終点は1つの街区を占める大きなビルを囲むループになっています。終点の1つ手前の、アムステルヴェーンゼー通りとコルネリス・クルーゼマン街との交差点は、黄色い水仙があふれるばかりに植わった大きな花壇を囲むロータリーになっており、市電の線路も花壇のまわりをめぐっています。ここは16系統の市電も通っていて、連接車や単行かまたはトレーラーをひいたボギー車や、古い木造のダブルルーフの電車など、いろんな形の電車が次々にやってくるのを見ることができました。このあと、近くにあるフォンデル公園という大きな公園を通り抜けて、王立博物館前の広々とした広場まで歩き、その一角にある有名なコンセルト・ヘボウの玄関前に発着する3系統の電車をまたしばらく眺めました。3系統は市街の主要部を環状に連ねる線で、乗客が多いらしく、4軸の長い連接車沢山走っています。次はそれに乗ってヴァン・ウォン街というところまで行き、そこから7系統、4系統と乗りついでホテルへと戻ったのでした。」

 

アムステルヴェーンゼー通りのロータリーにて

 アムステルダムの市電に対する堀先生の評価はとても高かったようです。「連接車にしてもボギー車にしても、ヒューンという軽い音をたてて極めてなめらかに走りますし、シートは片側2人、片側1人がけのロマンスシートで町がよく見え、乗り心地は快適です。」と綴っています。標準軌を活かしているのかカーブでもあまりスピードが落ちず、左右に加速度を感じる、ともおっしゃってますが、日本の市電では感じたことのない貴重な体験だったことでしょう。

 この時代でもすでにクラシカルな木造の電車が走っていたことから、アムステルダム市電の長い歴史を感じられますが、現在では車両の更新も進み、5車体連接で全長29メートルのコンビーノを中心に新世代の連接車両が市内16系統を走っています。

コンセルト・ヘボウ前にて

アムステルダム中央駅前にて

アムステルダム中央駅にて.ドルドレヒト行き電車列車

アムステルダム中央駅にて.電車列車の横顔

 

「 さて、今日は方角を変えて、オランダの行政上の首都であるハーグまで出かけ、有名なオモチャの町マドゥローダムを見物し、また市電にも乗ってきました。ハーグまではアムステルダム中央駅から列車で50分たらずで、終日15分おきぐらいに列車が出ていますから、非常に便利です。列車は大部分電車ですが、信号機その他のあらゆる施設が揃っており、トンネルや鉄橋はもちろん、運河を渡る可動橋まであり、しかもこれらが全部自動制御システムでコントロールされているのです。ですから鉄道模型だけ見ていても十分面白く、私のようなふだん模型にあまり関心のない者でさえそうなのですから、モデルマニアならさぞ喜ぶだろうと思いました。」

 

ドルドレヒト行き電車の車内

 ハーグにあるマドゥローダムは、オランダの街並みを25分の1に縮めて再現されたミニチュア・パークです。特徴あるオランダの町づくりの歴史が、広大な広さの中でそのストーリーごとに再現されており、街路だけではなくエアポート、港、そして町中を縦横に走る電車などが精巧に再現されています。現在ではアムステルダムから約45分。ロッテルダムから約25分。しかも、なんと年中無休です!これは是非とも行ってみたくなりますね。展示だけではなく、数々のアクティビティがありますので、詳細はホームページをご覧ください。

マドゥローダム ウェブサイトへ.

https://www.madurodam.nl/en

 

マドゥローダム 人々が巨人に見える

マドゥローダム ビル街にカメラを向ける子ども

マドゥローダム 模型鉄道の1つの駅

ハーグ中央駅前で発車を待つ市電

 

「 明日からいよいよロンドンでの、私にとっては初めての長期の外国生活が始ります。イギリスでもあちこちの変わった鉄道に乗りたいと思っていますので、またおたよりいたしましょう。ではお元気で。」

 

マドゥローダム 路面電車

 さて、マドゥローダムで夢のようなひと時を過ごした堀先生は、その後ハーグ市電9系統に乗り込み、王宮前で下車後は、ハーグの街並みを眺めながらハーグ中央駅まで徒歩で戻ります。アムステルダムまでの帰りの列車は電気機関車に牽かれた古い客車で、車内はハダカ電球でやや暗く、通勤客も多くあまり快適ではなかった、と述べていますが、この日の旅の疲れから、ウトウトしている間にアムステルダム到着となりました。

「オランダ2都物語

 アムステルダムとハーグの市電・ハーグのオモチャの町」より

※この項は『英国・北欧・ベネルックス 軽鉄道の旅』(堀淳一著 交友社刊)掲載の内容をベースに紹介しています。現在では入手困難な本ですが、手に取る機会があればぜひお読みいただくことをお勧めいたします。写真はオリジナルのモノクロフィルムを使用して画像処理。カラーは創作です。

 

※引用文と写真撮影 堀淳一

※解説文および画像処理 久保ヒデキ