堀 淳一 アーカイブ 『堀淳一 旅の記憶』

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紫色の雲

Bluebell Railway

【1967年 英国にて 3】

Bluebell Railway ー ブルーベル鉄道

 日本で春を代表する花といえば桜ですが、 イギリスではブルーベルという小さな青紫の花が一斉に咲き出すことで、春を感じるのだそうです。ブルーベルはイギリス全土をはじめ北西ヨーロッパの森林で見られ、その多くは青いじゅうたんを敷いたように群生している様子から「ブルーベルの森(Bluebell Wood)」という言葉も生まれています。北海道では桜より少し早く青い小さな花、エゾエンゴサクの群生が野山で見られるようになりますが、ちょうどそんなイメージかもしれません。

 

 『堀淳一 旅の記憶』 3話目は、線路際にブルーベルの絨毯を敷いたような景色が車窓から見られることから名づけられたという、ブルーベル鉄道への小旅行をご紹介します。

 

「6月21日(日)、雨時々曇。

 今日はロンドンから南へ40kmほどの田園地帯のただ中を走っている、ブルーベル鉄道という小さな蒸気鉄道を訪ねることにする。朝から雲行きが怪しかったが、どうせイギリスの雨のことだ、降っても長続きはしないだろう。いったん行くときめたら行こう、と下宿の近くのストロベリー・ヒル駅から9:50発ウォータールー行きの電車に乗る。」

 

 堀先生のイギリス滞在期間中、鉄道巡りにおいて過去の記事を読む限り、悪天候に遭遇することはそうなかったのではないかと思われます。が、今日のこのブルーベル鉄道への旅はちょっと違ったようです。朝からどんよりとした薄暗い天気、今にも雨が降り出しそうな空模様だったことが、この書き出しから伝わってきます。そして案の定、電車の車中でものすごい降りに。乗換駅のヴィクトリアで購入した新聞の天気予報は「雷雨、時々雲が切れる」と、絶望的なものでしたが、そこは堀先生、「乗りかけた船だ、その雲の切れ間に期待しよう」と、目的地最寄りのヘイワーズ・ヒース駅行の快速列車に乗り込むのです。

 ちなみに堀先生、コンターサークルの遠足は晩年まで、それこそ数限りなく行かれていますが、ほぼ雨天決行でした。もっとも予定した日がよほどひどい嵐のような天気になったことがなかった、という幸運もあったかもしれませんが、私が参加した遠足を含め、聞いた中でも年初に立てたスケジュールが当日悪天気で中止になった、ということは記憶にありません。

 

「ブルーベル鉄道の存在は軽鉄道案内とその時刻表というガイドブックによって知ったのだが、それに出ている略地図不親切なため所在地がわからず、この特別切符の広告チラシによって初めて、ロンドンはビクトリア駅からブライトンへ行く線の途中のヘイワーズ・ヒースという駅からバスで20分ほどのところにあることを知ったのだった。

 

 ヴィクトリア11:25発ヘイワード・ヒース行きの快速に乗る。イギリスの客車は一般にシートがよく快適だが、通勤電車や各駅停車列車の車両はよごれていて薄ぎたない。しかし快速や急行列車用の車は手入れがよく、きれいで、深々としたシート、重厚なカーテン、網棚の下のすずらん形のシェードをかぶった電燈など、なかなか豪華だ。」

 

 1960年代の日本の国鉄でも、蒸気機関車が客車列車を牽く姿がよく見られていた時代でした。私の幼少時代に乗った記憶のある大方の客車列車では、白熱灯に丸いガラスボウルがかぶせられた薄暗い車両ばかりだったような気がします。長距離の急行用(青い客車)や一部の改装された客車は、車内が蛍光灯の白い灯りに照らされて豪華でキレイな印象でしたから、たまたまそういった車両がつながっていたりすると子ども心に嬉しかった印象があります。当時のイギリスでは蛍光灯を採用した客車はまだなかったそうですが、「すずらん形のシェードをかぶった電燈など家庭的な雰囲気とてもよい、居住性が重視されて客車は居間であるという意識が強く感じられる」と語っているところなど、日本とイギリスのそれぞれの鉄道に対する価値観の違いを肌で感じていたのでしょう。「日本では客車というものは動く道路だという意識があるのか、地点から地点へ人を運びさえすればよいというビジネスライクな考え方が強く、極端に言えば時間がかかるからやむを得ず座席を設けた、という感じ」と本文で語っており、少々辛辣です。

 12:10にヘイワーズ・ヒースに到着したころは、雨も止んでいました。その後、12:50発のホーステッド・ケインズへ向かう特別バスに乗り込みます。同乗したお客さん数名とともにバスは曇り空の中、車窓に森がまばらに広がる農村地帯を北上します。イギリス国鉄時代にヘイワーズ・ヒースへ延びていた旧線路の立派な煉瓦造りの連続アーチ橋をくぐり、ブルーベル鉄道をくぐる小さな煉瓦アーチ(Site of Bluebell Halt)を過ぎると、まもなくホーステッド・ケインズ駅に到着です。

ホーステッド・ケインズ駅の南西に残る陸橋(現在は撤去されています)

シェフィールド・パーク行の列車に連結するためバックで駅へ向かうバーチ・グローブ

 

「着く少し前にブルーベル鉄道の線路をアンダークロスするが、そのちょっと手前で北の方へ動いてゆく白い煙が見えて、胸がときめく。

 

 ホーステッド・キーンズに着くと、今しがた白い煙を見せて走って行った列車が到着してお客をおろしたあとで、切り離されたロコ(バーチ・グローブ――Barch Grove――という名だった)が、シェフィールド・パーク側につけ替えのため、ひとりで南の方へ走ってゆくところ、急いでカメラを取り出して、それがバックでもどってくるところ、もどって来て列車の先頭についたところ、13:25発シェフィールド・パーク行き列車として堂々と出発するところなどを、港内をかけまわって撮る。ほかにも2、3人、あちこちでシャッターを訊いている人たちがいた。

 

 ブルーベル鉄道という名は沿線いたるところに咲き乱れるつりがねずいせんという野草にちなんだものだが、この鉄道の性格をよくあらわしているという気がする。

 その後、軌道をもと通りの標準軌間で再建し、ステプニー(Stepney)、ブルーベル(Bluebell)、バーチ・グローブなどの古典機関車を購入して運転を開始。

 1965年には夏季シーズン中に20万人の乗客を運ぶという盛況を見るなど、健全な営業を続けている由。

 

 考えてみると、イギリス人にとっては鉄道は輸入品ではなく、自分たちの先祖が創り出した由緒ある存在なのだから、彼等が古い鉄道を大切に保存し、またよろこんで乗りに行くのは、われわれが古寺巡礼をするようなものなのだろう。」

 

ホーステッド・ケインズを発車する列車

 ブルーベル鉄道は、ブルーベル鉄道保存協会の手によって、廃止された路線の一部、ホーステッド・ケインズとシェフィールド・パークの間を保存鉄道として開業した観光鉄道です。保存協会のベースとなったのは、イーストグリンステッドからカルバー・ジャンクション間の鉄道営業再開を目的に、1959年に結成されたルイスアンドグリンステッド鉄道保存協会でした。しかし積極的に寄付を募ったものの全線路の購入には至らず、代わりに途中のシェフィールド・パークを観光地として開発、ブルーベル鉄道保存協会となってこれらの運営にシフトしたのです。開業当初は、ヘイワーズ・ワースまで物理的に線路がつながっていたため、国鉄路線に乗り入れる直通列車を走らせていたのですが、1963年にこの間が廃止となってしまったため、堀先生が訪ねた時はホーステッド・ケインズとシェフィールド・パーク間約8kmだけの独立した線路となっていました。

 現在では、協会活動として積極的に前後の廃止路線の購入を進めた結果、シェフィールド・パークからイーストグリンステッドまでの延長およそ17.7kmとなり、現在も蒸気機関車による列車の運行が続けられています。

 

シェフィールド・パーク行きの列車が入線。ホーステッド・ケインズ駅

 

「ホームをぶらぶらしているうちに空腹になってきたので喫茶室に入る。小学生らしい男の子がついて来てカウンターに入った。お客がいないので外で遊んでいたのが、小生が入っていったので急いで店番役にもどったわけ。小さな喫茶室のことで昼食というほどのものはない。やむなくブドー入りの菓子パンとポテトチップに紅茶一杯でボソボソやっていると、男の子の親父さんらしい人が現れて、遠くから来たのかと聞く。日本から、と答えるとホホウという顔をして、今日は珍しく2人の外人客があった。午前中はオーストラリアから来た人がいた、という。今、ロンドンに住んでいることや、軽鉄道に興味があることなどを話すと、われわれは外国人を非常に歓迎しているので、シェフィールド・パークスまであなたを案内してマネージャーに紹介したいのだが、とのこと。それはありがとう、と厚意を受けることにする。」

 

展望車の車内

シェフィールド・パーク行の展望車付き列車

 そんな喫茶室でのやり取りから、堀先生は男の子の親父さん(のちにパインさんという名と知る)に案内されてシェフィールド・パークへの列車に乗ります。牽引する機関車は先ほどと同じバーチ・グローブ。乗り込んだ客車は最後尾に連結された展望車で1913年製の珍しい車両。窓が大きく両切妻面にも窓があるのが特徴で、転換クロスでふかふかのシートはいかにも豪華な古い客車です。かつてはスランディドゥノーとブライナイフェスティニオグ間の観光列車として運行されていたもので、1963年にロンドン・アンド・ノースウェスタン鉄道からブルーベル鉄道に移籍、その後いくつかの改装を施されながら現在も活躍しているそうです。

 

 堀先生は、シェフィールド・パークに到着したあとマネージャーを紹介されたり、展示されている蒸気機関車を細かく解説してくれたりと、あいにくの雨の中でもパインさんの厚意のままにとても充実した時間を送ることができたようです。ただ、ホーステッド・キーンへの帰路、パインさんが一生懸命掛け合ってくれたにもかかわらず、「運転の都合でこのもとロンドン・ブライトン・アンド・サウスコースト鉄道にいたという1893年製の古典ロコ、バーチ・グローブに乗れなかったのは残念至極だった」と語っています。

 

「その上超満員で、コンパートメントに入れず廊下に立たされたのには驚いたが、線路の脇に紫色の雲のように咲きみだれるブルーベルの花をかえってよく見ることができた。沿線はこれといった特徴もない平凡な農村だが、なだらかな丘陵と豊かな森が断続し、この鉄道にふさわしい牧歌的な風景だ。パインさんは、天気が悪いのにこんなに客が多いとは心強い、と嬉しそうだったが、まったく同感だった。」

 

「田園のさなかの蒸気鉄道~ブルーベル鉄道」より

展示場に置かれているアヴェリング・ポーターのNo,9449ブルーサークル

1997年までシェフィールド・パークで展示され、現在はラッシュデン・ハイアム・アンド・ウェリングボロー鉄道で保存されている

ホーステッド・ケインズ行きの列車から

※この項は『英国・北欧・ベネルックス 軽鉄道の旅』(堀淳一著 交友社刊)掲載の内容をベースに紹介しています。現在では入手困難な本ですが、手に取る機会があればぜひお読みいただくことをお勧めいたします。写真はオリジナルのモノクロフィルムを使用して画像処理。カラーは創作です。

 

※引用文と写真撮影 堀淳一

※解説文および画像処理 久保ヒデキ

※下にCrich Tramway VillageのWEBページURLを記します。

※Bluebell Railway WEB

    https://www.bluebell-railway.com/