堀 淳一 アーカイブ 『堀淳一 旅の記憶』
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新緑の丘
Clich Tramway Villege
「メーヴィスさま。 札幌にて。1968年5月20日。
長いことおたよりをさしあげず、申しわけありません。元気で御勉強のことと思います。こちらもようやく新緑の季節になりました。イングランドの新緑も実に美しかったなあ、と昨年の今ごろのことをとても懐かしく思い起こしています。北海道は景色もイギリスに似ているので、時々まだそちらに居るような錯覚に、ふっととらえられたりするこの頃です。」
イギリス滞在中に知り合った学生にあてた手紙、といった仕立てで書かれたこのエッセイは、堀先生が1967年4月30日に訪れた、クリック軌道博物館を紹介したものです。堀先生は英国の軽鉄道交通連盟が出版している機関紙、『モダン・トラムウェイ』に札幌市電の紹介記事を出稿したことがあるのですが、その編集者からクリック・トラムウェイ・ミュージアムを紹介されて、この日に尋ねることにしたわけです。予定通り朝8:45にロンドンのセント・パンクラス駅を発車する列車へ乗るのですが、「技術上の都合」で他線を迂回運転することになったために、下車駅のマットロックス駅への到着が40分ほど遅れてしまいます。そのことが、クリックへ向かうバスの中での彼女との出会いにつながったのです。
『堀淳一 旅の記憶』 2話目は、ロンドンの北方、ダービーシャー州のクリックという町にあるクリック軌道博物館への小旅行をご紹介します。
【1967年 英国にて 2】
Crich Tramway Village ー クリック軌道博物館
「しかしこのおくれのため予定のバスに乗れず、それでは腹ごしらえでも、と思って町をぶらついてみたが、あいにく日曜でどこもしまっていて、仕方なく空き腹を抱えたまま次のバスに乗ったら、すぐうしろの席にいたあなたが話しかけてきたのでした。こんな田舎に東洋人が一人でうろついていることに初めはいぶかしげだったあなたも、わたしが軽鉄道が好きで、英国の軽鉄道交通連盟の会員であり、ロンドンで連盟の機関紙モダーン・トラムウェイの編集者ワイズさんに会ったとき、マトロックの近くのクリッチにあるクリッチ軌道博物館(Crich Tramway Musium)のことをきいてやってきたことを説明したら、とてもよろこんで、自分はライスター大学の学生で、軌道博物館協会(Tramway Musium Society)の会員でもあり、今日はクリッチ博物館の記念品売場のショップガールをしに行くのだといって、博物館の生いたちについていろいろ話をしてくれたのでした。」
1940年ころまでのイギリスでは、路面電車が重要な都市交通の担い手でしたが、第二次世界大戦以後、自動車やバスにとって代わり、各地でその数は激減していきました。1948年に路面電車の愛好家が、サザンプトン・トラムウェイの車庫の隅でほこりの被った古い電車を購入したことがきっかけとなり、後に路面電車博物館協会が設立されると、各地から廃止された電車や馬車が集められます。そして1959年には古い石灰岩の採石場跡地だったこの場所を購入し、新たに線路が敷かれて実際に電車を走らせる「生きた」博物館が誕生したのです。最初にシェフィールドの馬車軌道の車両を使っての運転が始められ、1964年には電化が完成して電車の運転がスタートしました。その後も続々と各地の路線で廃車となった電車が集められ、レストアされて現在の所有車両はは80両以上。世界的にも例のない路面電車専門の博物館となって現代に引き継がれています。
車庫を望む。手前が本線。中央の2階建てはグラスゴーNo,812
ゲイツヘッドNo,5(左)と、チェルトナムNo,21
リーズNo,600
グラスゴーNo,1282
ジョン・ブル
「興味深く話を聞いている間に、バスは早春のイングランドの爽やかな風をきって、新緑たけなわな渓谷を見下ろしながら丘の上をぬい、いくつかのひなびた、しかし心ひかれる村落を通りすぎて、軌道博物館の前に着きました。英国の田舎には珍しく、大勢の人々がごった返しているのに驚きながら、あなたといったん別れ、博物館協会の名誉主事のクレイドンさんと、若い会員のマンリーさんに迎えられました。クレイドンさんは団体客があって忙しいので残念ながら御案内できない、ということで、マンリーさんの案内でまず車庫を見学、車庫にはゲイツヘッドのNo,5やチェルトナムNo,21、ブラックプールNo,59など、さまざまなスタイルの古い電車が、あるいはいつでも運転できるように整備され、きれいに塗られて待機していたり、あるいは内部も外まわりもすっかり荒れているのをファンの人たちが一生懸命に修理復元中だったり、していました。」
Crich Tramway Villageは、実際に電車を走らせる路面電車の野外博物館と国立路面電車博物館での展示を中心に、エドワード朝時代をイメージして作られた村です。路面電車は延長約1.6キロの線路上を往復しており、線路を挟んで通りに並ぶカフェやギフトショップの街並み、そして採石場跡の岩肌や田園風景などを電車から楽しむことができます。ここにある電車のほとんどは1960年代以前に造られたもので、中には外国から渡ってきた車両もあるそうです。
イギリスでは近年、都市交通としてのトラムウェイを見直す機運が高まり、マンチェスターやシェフィールドなどにライトレールトランジットが登場しています。日本国内でも1960~70年代にかけて続々と路面電車が消えていきましたが、富山など一部の幸運な都市を除けば一向に見直される気配は感じられません。これも日本の鉄道は「外来物」だったことによる国民性の違い、の表れなのでしょうか。わかりません。
「車庫をひとめぐりしてから、いよいよ走る電車の乗りあるき。まずマンリーさんといっしょにグラスゴーのNo,1282という1940年製の2階電車に乗りました。これは”戴冠式電車“(コロネーション・トラム)という愛称をもつだけあって、外観が優雅なばかりでなく、シートも路面電車としては最上のものでしたが、線路があまり良くないのか、ゴロゴロという感じの走り方。わずか0.75マイルの線路なので、ちょっとゴトゴト走ったと思ったら途中の待避線で対向電車待ちのために大分長いこと止まり、やっとすれ違って発車したと思ったらすぐに終点、という具合であっけないものでした。しかし車内は満員で、子供たちや若い男女ばかりでなく、おじいさん、おばあさんも沢山乗っていて、嬉しそうに乗り心地を楽しんでいるのに感心しました。同じ電車でターミナルへ引き返し、マンリーさんにお礼をいって、今度は一人で、ジョン・ブルという名の小さな蒸気機関車にひかれるオポルトNo,9という1873年製の馬車鉄道の4輪客車に乗ったら、車掌をしていたのが前にロンドンの英国交通博物館で会って、クリッチへ行く道すじを教えてもらったメイクウエルさんで、ヤァヤァ!と思いがけない再会をよろこんだのでした。」
堀先生のこの旅行記に登場する車両は、それから半世紀以上が過ぎた今も、そのいくつかは現役で走れる状態に整備されています。中でも特筆なのは、ジョン・ブルと呼ばれる小さな蒸気機関車です。Crich Tramway Villageのブログの2022年4月20日投稿記事によれば、同年5月20日から22日までの週末、ウェルシュプール&ランフェア軽鉄道が主催する「ベイヤーバッシュ」(www.wllr.org.uk/beyer-bash)というイベントに出展されるのだそうです。
「つい先日モダーン・トラムウェイのバックナンバーを見ていたら、クリッチ軌道博物館の創設の苦心談がのっているのがみつかりました。電車の復元や整備のほか、軌道の敷設はもちろん、電化工事や発電設備まで全部軌道博物館協会のメンバーの熱心な自発的奉仕によって完成されたことを改めてくわしく知り、まったく感心してしまいました。
今日あたりもクリッチには大ぜいの電車ファンが押しかけ、博物館協会の方々は忙しく働いておられることでしょう。あなたもまたあの記念品売場に立っていらっしゃるかもしれませんね。
ではまたおたよりしましょう。あなたの、いやあなたとフィアンセのポール君の健康としあわせをお祈りします。」
ジョン・ブル
「丘の上の古い電車たち~クリッチ軌道博物館」より
グラスゴーNo,22
シェフィールドNo,189
※この項は『英国・北欧・ベネルックス 軽鉄道の旅』(堀淳一著 交友社刊)掲載の内容をベースに紹介しています。現在では入手困難な本ですが、手に取る機会があればぜひお読みいただくことをお勧めいたします。写真はオリジナルのモノクロフィルムを使用して画像処理。カラーは創作です。
※引用文と写真撮影 堀淳一
※解説文および画像処理 久保ヒデキ
※下にCrich Tramway VillageのWEBページURLを記します。
※Crich Tramway Village WEB
https://www.tramway.co.uk/