定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その九二  「ホーム長の疑問」】

 

 駅平面図を眺めていて、気になることがあります。

 古い写真に四両以上の長大(?)編成の列車が写っていたりするものがあるのですが、列車に対してホームの長さが絶対的に足りていなかったのではないかと思うのです。

 

《参考資料 駅平面図に見るホームの長さ》

※( )内数字は図面が作成されたと思われる年月で「四ー一一」は昭和四年一一月の意。

※一部、図面に数値のないものは推定。

 

鉄道院白石駅=八三メートル(四ー一一)

東札幌停車場=六二メートル(四ー一一)、

のち五九メートル(四一ー六)

豊平停車場=五四.八六メートル(四ー一一)、

のち六一メートル(四〇ー一)

北茨木停留場=四〇メートル(八ー一一)

澄川停車場=四〇メートル(三八ー三)

※昭和二四年に移転、昭和三二年に駅名変更。

慈恵学園停留場=五〇メートル(三九ー二)

真駒内停車場=四一メートル(四ー一一)、

のちのち六一メートル(三五-三)

緑ヶ丘停留場=三五メートル(三三ー一一)

※開業は昭和三六年。

石切山停車場=四四.八メートル(四ー一一)、

七五メートル(三四ー一二)

藤の沢停車場=四五.一メートル(四ー一一)、

のち七五メートル(三九ー二)

十五島公園停留場=三五メートル(三四ー六)

下藤野停留場=五〇メートル(三四ー六)

東簾舞停留場=四〇メートル(三九ー二)

簾舞停車場=四四.八メートル(四ー一一)、

のち六五.五メートル(三九ー二)

豊滝停留場=三六.二二メートル(三九ー二)

滝の沢停車場=三六.五八メートル(四ー一一、三二ー四)

小金湯停留場=四〇メートル(一一ー一〇、三二ー四)

一の沢停留場=四〇メートル(四ー一一、三九ー二)

※後者の表記上は停車場。

錦橋停車場=四五メートル(四ー一一、三二ー四)

※後者は貨物専用ホーム一九メートル付設時。

白糸の滝停留場=五〇メートル(八ー一、三九ー二)

定山渓停車場=六〇メートル(四ー一一、三八ー七)

 開業当初は、蒸気機関車が二軸の小さな客車と貨車とを連結して走る、混合列車というスタイルが多かったそうですが、定山渓温泉の人気が急上昇して臨時の団体列車などが仕立てられるようになると、重連の蒸気機関車が一〇両前後の客車をけん引して定山渓へ向かっていたことが、古い資料や写真から知ることができます。この当時の二軸客車の全長は、ざっくりとおよそ七~八メートルといったところなので、一〇両連結した場合は七~八〇メートルに及ぶことになります。つまり、数字の上では昭和四年の電化開業以後の各駅を含めても、始発駅だった白石駅(八三メートル)以外の駅のすべてはホームから外れていた車両が存在していた、という可能性があります。

 ホームから外れた客車の乗降客への対応はどうしていたのだろうか、という疑問を感じるわけですが、当時の客車の竣工図面を眺めていてふと気が付きました。客車のデッキ位置は地上からおよそ八〇センチ。しかし、デッキから地上へ向かって張り出したステップ状のものがついています。最下段は推定で地上からおよそ四~五〇センチほどの高さ。これならホームがなくても路面電車のように乗り降りは可能でしょうね。

 

 電化後について考えてみると事情は変わってきます。

 電化されなかった白石駅を除いて最も長いホームだったのが六二メートルの東札幌停車場、次いで定山渓六〇メートル、豊平五四.八六メートルと続きます。電化開業に際して入線した車両はモ100形四両でした。一両の長さはおよそ一六メートル。通常は単行、もしくは二両編成で運転されていたそうなので、数値上はどの駅もホームに収まることになりますが、問題はそのあとの時代。

 

 戦後の昭和二〇年代、定山渓鉄道はモ800形二両を皮切りに続々と新造車を入線させますが、最後のモハ1200形+クハ1210形までは一七メートル級の車両。また、昭和三二年に札幌乗り入れのために入線した新造のディーゼルカー、キハ7000形や7500形は国鉄車両と共通の二〇メートル級でした。観光パンフレットなどには時折り、キハを含めて三両編成で運転されている写真が掲載されているのを見かけることがありますが、こうなると編成の全長は単純計算でおよそ五四メートル、もしくはそれを超えることになります。そうなると、少なくとも全部の車両がホームに収まる駅は東札幌、豊平、定山渓のみとなります。定山渓鉄道に所属していた車両はキハ7000形を含めてその大半が非貫通型で車両間の行き来ができない構造でした(モ2100形は二両固定で貫通型)。たとえば四〇メートルのホームを持つ駅では、最後尾の車両は前方のドアのみ乗降、それ以下の緑ヶ丘、十五島公園、豊滝、

滝の沢は先頭車両を多少はみ出させて後ろ側ドアのみ使う、といった対応をしなければ支障をきたすことが考えられます。ホーム長三六.五八メートルの滝の沢停車場などは札幌駅直通の急行が停車するスジもあり、札幌直通ディーゼルカーと座席指定車クロ1110形を連結し最低三両、多い時は四両のこともあったそうですから、確実にホームからはみ出た車両が存在していたことになります。

 次は十五島公園停留場についての図面上の謎。ホーム長三五メートルではありますが、定山渓寄りにホームらしき延長部分が描かれており、数値がないためこれが何を示すのかが謎です。もしこの部分をホームとして含めるとすると、図面上の計算から五六.八メートルになります。計算上、モ800形クラスが三両ホームに収まることになりますね。

 ちなみに写真には十五島公園停車中の電車に炊事遠足の子どもたちが乗車している風景が写っています。よく見ると、少なくとも四両の電車がつながっていることがわかります。先頭車はホーム端いっぱいに停まっていますので、上の計算に倣うと最後尾はホームから完全にはみ出ていることになります。

 しかしこちらは、拡大してみて謎が解けました。先頭はクロ1110形でモ2300形が続き、その後ろは二両固定貫通型のモ2100形でした。つまりこの二両についてはそれぞれに行き来できるので、四両目の降車客は三両目へ移動して降りることができるわけです。

 貫通型の車両は他にモ2200形とモ2300形がありましたので、増結の際はそういった工夫もしていた可能性があります。ちなみに増結の有無などは乗客見込を考えながら臨機応変に車両区長が割り振りをしていたのだそうです。

 

※写真は、滝の沢停車場に停車中の定山渓行三両編成(藤原光男さん提供)。最後尾のキハは前トビラしかホームにかかっていない。図面は昭和四年一一月版の滝の沢停車場平面図の一部と、昭和三四年六月版十五島公園停留場平面図の一部。そして十五島公園で4両編成の電車に乗る炊事遠足の子どもたち(同)。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

 

 

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