定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その九

       「黄金山スキー場」】

 

 昭和二〇年代後半、定山渓鉄道自社による沿線の遊歩道、散策コースの開発が活発に進められ、途中いくつもの観光スポットを生まれました。また、鉄道沿線には札幌岳、無意根山といった山スキーのメッカが誕生し、近郊にも藤の沢スキー場、黄金山スキー場、定山渓三笠スロープといったゲレンデスキー場の開発に関わり、昭和三〇年代には毎年のように、これらのスキー場を紹介するいくつもの自社リーフレットを作成して、宣伝に非常に力を入れていたのです。

 

 中でも黄金山スキー場は、実は全国的にもスキー大回転競技場としてその名が通った印象的なゲレンデでした。その場所は滝の沢~小金湯の豊平川を挟んだ対岸となる上砥山地区で、標高四七一メートルの山はすぐ隣の八剣山とは対照的な穏やかな稜線を持っています。その南側斜面を利用した広いゲレンデは、上級者から初心者まで好みに応じたスロープを選択できるとても人気の高いスキー場だったそうです。

 

 その黄金山スキー場が誕生したのは、昭和二七年の第三〇回全日本スキー選手権の会場が、札幌近郊と決定されたことがきっかけでした。さっそく競技場開設の調査検討が行われ、黄金山の山容が大回転競技コースとして十分な斜度と距離があると判断、競技場開設が具体的になります。山を管理する営林署とふもとの地元農家もこれを快諾。地域ぐるみで競技場づくりが行われ、大会を無事迎えることができたのでした。以後は毎年いくつもの競技会場として利用され、全国的にその名を広めたのだそうです。

 昭和三〇年には定山渓鉄道もゲレンデそばに「定鉄ロッジ」を開設。ロープトゥも設置、管理運営して積極的にスキー客誘致を行いました。

 

 転機が訪れたのは昭和三六年の札幌市との合併でした。当時、豊平町が管理していた黄金山スキー場もこれに伴って札幌市営スキー場となりますが、このころにはほかにもスキー場がいくつも開設しはじめたために訪れるスキー客も減少。昭和四三年のシーズンを最後に黄金山スキー場は閉鎖されました。

 現在、競技場やゲレンデ跡地は一部、土地を提供していた地元の農家さんの畑を除いて植林事業により林に戻り、その痕跡はほとんどわからなくなりました。今となってはここが大回転競技場だったことを知る人も少なくなりつつあります。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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