定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八九

 「定山渓車庫に温泉風呂?」】

 

 定山渓停車場は、ご存知の通り定山渓鉄道の終点駅でしたので、当然のことながら翌日始発で勤務する乗務員らはここで寝泊まりすることになります。構内には、二線を有するおよそ五〇メートルほどの大きさの車庫があり、建物内には宿直のための部屋も用意されていたそうです。食事などは温泉街の料理店やホテルなどでとりますが、基本的にはここで寝泊まりすることになります。

 一説には「車庫内には風呂もあって、温泉が引き込まれていた」というウワサもあったようです。しかし別に、食事などは会社が指定する温泉ホテルがあった、という元乗務員さんの証言があることも事実なので、わざわざ車庫内に風呂場を設けなくとも当然そちらの温泉浴場を利用していたのでは?、という疑問も湧いてきます。この「定山渓車庫に温泉風呂?」というウワサも場所が温泉地だけに説得力はあるのですが、実際はどうだったのでしょうか。

 

 当時、何度もここで寝泊まりしたことのある元運転士だった方の証言。

 「車庫には当直室があって、そこに寝泊まりしていた。風呂? なかったなぁ」

 そして、

 「駅の裏っ側に(車庫の並びに)駅長や駅員の住む社宅があって、その真ん中に共同の風呂場(別棟)があったので、そこで風呂浴びたことはあるね」だそうです。

 当時の住宅にはまだ、個々に浴室がほとんど設けられていなかった時代なので、共同浴場が別棟で建てられていたというわけですが、始発勤務の乗務員もここを利用していたということでしょう。

 この証言から、ウワサにあった「車庫内に風呂」は存在していなかった可能性が高いことは判明しましたが、では共同浴場が果たして温泉のお湯を引いたものだったのかどうかは、明確な答えは得られませんでした。この点に関しては残念ながら永遠の謎として残りそうです。

 ちなみに「会社が指定するホテルがあった」という件について。東急傘下となった昭和三三年以降には、社宅すぐ近くにあった温泉旅館日本閣を、系列会社の定鉄観光が買収して定鉄観光ホテルとしてオープンさせます(現山渓苑。休館中)。おそらくこれが根拠になると考えられますが、大正期に経営した鉄道ホテル以来の直営ホテルということで、以後、社員の福利厚生の一環として食事や入浴などの便宜を図っていたという可能性もありそうですね。

 

 

※写真は、上がかつての定山渓駅構内付近の航空写真に構内平面図を重ねたもの。左下は昭和三三~四年ごろの定鉄観光ホテルリーフレット。右下は昭和三〇年代と思われる定山渓駅構内方向を見た航空写真。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

ⒸhiDeki (hideki kubo) 2014           Contact : st-pad@digi-pad.jp