定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八八  「神威沢の滝」】

 

 昭和四四年一〇月の鉄道廃止から半世紀以上が過ぎた今、線路跡地が次々と年代を追って再開発を繰り返すように、地形や景色そのものが変化してしまったところも多くなりました。しかし、沿線には当時と同様に風光明媚な様子を今も保っている場所が意外と残されていたりします。鉄道がなくなって久しい今では、道路を走るクルマやバスからはそれらを見ることはできなくなりました。

 

 下藤野を越えて豊平川そばへ近づき、断崖の上へと線路が進むと、電車の車窓風景はそれまでの田園風景から山峡の趣へと突然変化します。眼下には豊平川と両岸を刻む発達した柱状節理が現れ、「ニセオイマップ(断崖絶壁のところ)」=「ミソマップ」=「簾舞(ミスマイ)」の語源を実感する景色を目にするのです。東簾舞停留場のすぐそばに架かっていた御料橋は、現在はその役目を終えて撤去され、下流側にあらたに架けられた新御料橋へとバトンタッチしましたが、橋台そのものは両岸ともそのまま残されて、それ自体が歴史を伝えるモニュメントとなっています。しかし、御料橋の土台の前後で両岸に深く刻む褐色の柱状節理の荒々しい姿は、鉄道開業の大正時代、あるいはそれ以前からその姿を今でも変わらず見せています。

 

 一方、一ノ沢停留場跡より先、一の沢鉄橋跡付近からは「つつじ谷」と呼ばれる一の沢渓谷に沿って崖上を線路が走っていました。車窓からは、対岸の崖に小さな滝を散見する中、鮮やかなマゼンタがかったオレンジ色のつつじの花が咲く様子が、それこそ手に取るように見えたのだろうと思います。

 国道二三〇号線の錦トンネルが開通する前は、豊平川へ突き出す尾根の外側で線路と国道が交差していましたが、そのちょうど対岸には、落差が一〇メートル以上はあろうかという、ひときわ大きな滝が落ちています。一の沢ダムの完成前に見られた巨岩が群れる錦橋の渓谷や、砥山ダム完成によって消滅した砥山堰堤と黄金橋(吊り橋)といった景勝地は、当時より絵葉書となって世に知られることはありましたが、なぜかこの滝と渓谷のことについて触れた絵葉書などはいまだに見かけること

はありません。地図にも表されないというある意味無名の幻の滝でもありますが、今でも当時と変わらず水を落とし続けています。沢の名を取り、ここでは勝手に「神威沢の滝」と名付けることにします。

 

 残念なのは、今も時期にはつつじが咲く一の沢渓谷も、この神威沢の滝も、現在では国道を走るクルマやバスの車窓からその景色を見ることは不可能であるということです。つまり、当時の電車の車窓からはあたりまえに見えていた風景も、今となっては鉄道の廃止とともに沿線の貴重な観光資源をも失なってしまった、と言っても過言ではないのかもしれません。

 

※写真は、左3枚が東簾舞御料橋付近で大正期のものは絵葉書。右二枚が神威沢の滝。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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