定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八七

 「地下鉄東西線に謎の定鉄カラー電車が?」】

 

 これは私の体験談です。

 もうかなり前のことになりますが、その日、所用で札幌の都心部へ出ていた私は、用事も済んだのでいつもの通り大通駅から地下鉄東西線のホームへと階段を降りていきました。その途中から、”札幌方式”ゴムタイヤ車両独特の「チュンチュン」音が聞こえてきて、電車がちょうどホームへ入ってきたことを伝えています。階段を降り切る前に軽い風圧を感じながら、足元からふと顔を上げた瞬間、私は目を疑いました。なんと白地に窓まわりが赤い、まさに定鉄カラーの電車が停車しようとしているではありませんか!

 

 「アイボリーにスカーレット」のツートンカラーといえば、末期に、それまでの「フェザントグリーン」を塗り替えた定鉄電車のカラーリングでした。しかし、今いる場所は札幌市営地下鉄東西線の大通駅ホーム。信じられない思いで自然と駆け足になります。「乗り遅れないよう」というよりは、幻か現実かもっとよく確かめたい!という衝動が勝っていたからでした。

 

 地下鉄東西線開業当初から日常的に通学に利用していた六〇〇〇系の電車は、クリーム地に明るいイエローグリーンのライン模様でした。ところが今、目の前にいる六〇〇〇系はアイボリーにスカーレット!さすがに前面は「金太郎」巻きではないものの、まさに定鉄電車の再来を地下鉄東西線大通駅という意外な場所で目撃したわけです。以後、一度も見ることがなかったので、この日カメラを持参していなかったことが本当に悔やまれる「事件」でした。

 

 定山渓鉄道開業前、会社設立の段階で石山馬鉄の助川貞二郎氏が出資に関わっていた、という記録がありました。その条件が大通を起点として石山通を南下する、言わば石山馬鉄のルートをグレードアップすることにあったために、それを嫌った発起人らが助川氏からの出資を断った、という歴史の流れとなるのですが、その判断が正しかったかどうかはともかく、もし歴史の歯車が何かの”はずみ”でずれてこれが実現していたら…

 助川氏は後に札幌の路面電車の骨格を作り上げ、軌道交通に先見の目を持った人物でしたから、いずれ札幌市の将来の交通体型を見通して「地下鉄定山渓鉄道」が実現し、「定山渓鉄道大通駅」にてこういったシーンが現実に見られたのかもしれない… と、電車に駆けこむまでの一瞬の間に、脳裏に妄想が広がったのでした。

 

 さて、地下鉄東西線大通駅で見た「定鉄電車」の、その真相ですが…

 このカラーリングの六〇〇〇系は、平成一四年の丸井デパートリニューアルオープンに際し、そのPRのために実現したものだそうです。赤は丸井今井デパートのコーポレートカラーだったわけですね。ちょうどこのころ、新型八〇〇〇系への更新時期にあたり、退役が近い六〇〇〇系を対象に札幌市交通局が広告媒体利用への提案を広告代理店にしたところ、博報堂と丸井百貨店がその名乗りを上げました。そして平成一四年の夏より三編成がこのツートンカラーを含むオリジナルのデザインでラッピングされて、翌年春までの約半年間にわたり営業運転されたということなのです。

 

 正確には、定鉄電車のようなシンプルなツートンではなく、丸井デパートのファッショナブルな三種類のデザインがそれぞれの編成に施されており、たまたまその日、私が見た車両のデザインが定鉄電車のツートンカラーに酷似したデザインだった、ということでした。

 偶然とはいえ、この日の衝撃は私にとって今もって忘れ得ぬ出来事だったのです。

 

※写真は上が定鉄カラーを纏う二三〇〇形電車。中二枚はツートンにラッピングされた地下鉄東西線六〇〇〇系電車、下がその図案。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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