定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八五  「シラカバ並木」】

 

 定山渓鉄道が廃止され、線路が撤去されてから半世紀以上の時間が過ぎました。全線二七.一八キロのうち、整地され道路や建物に変わって鉄道の痕跡が失われた区間は年々増えています。再開発されず今でも線路の名残を留めている場所はとても少なくなりました。比較的アクセスが容易なところは真駒内駅より先、真駒内川あたりまでと、石山大橋付近から藤の沢駅跡(藤野東公園)、一の沢橋梁付近でしょうか。そもそもアクセスが困難な場所である下藤野~東簾舞間の一部、簾舞~滝の沢区間の大半だけが手つかずで残されている状況です。ただ、そういったところも毎年の雪解け水などで路盤が流出したところも少なくありません。真駒内付近については廃止時に札幌市が買収した地下鉄用地でしたが、皮肉にも工事のめどが立っていないためにそのまま保全されているというある意味幸運とも言える場所。架線柱の跡やキロポストなどが見られます。

 ただ、さすがに半世紀も放置されたままだと、様々な植物が繁茂し、あるところはクマザサに群生に埋もれてしまっていたり。廃線跡探訪に明るい人なら別としても何の情報も与えられずに立たされた人には、およそ過去に電車が走っていた場所とは想像ができないかもしれません。しかし、場所によっては線路跡を示す誰でもわかる目印があります。それが、シラカバの存在です。木肌の色から他の樹木とははっきりと区別できるので遠目にもわかりやすい木ですが、実は線路跡地にはこのシラカバが並木を作っている区間がとても多く見られるのです。これは何も定山渓鉄道跡に限ったことではなく、他の廃線跡や新道に替わって使われなくなった旧道などでもしばしば見られる景色なのです。

 

 「日本の高原を代表する木のひとつである。長野県や北海道で見られる」とウィキペディアにもありますが、(本州と比べて)冷涼な気候の北海道ではほぼ全道各地で見ることのできる白い樹皮が特徴の木がシラカバです。明治時代の同人誌を持ち出すまでもなくロマンチックなイメージが強い印象的な樹木ですが、近頃では本州方面のスギ花粉同様に、北海道でもシラカバ花粉による花粉症が毎年のように話題となって、イメージ的には悪役になりつつあります。そのためか市街地に近いところ

では伐採が始まっているところもあると聞きます。しかし、そのシラカバも定山渓鉄道の線路跡にとってはとても貴重なガイド役を担っていると言えるのです。 なぜ、線路跡に沿ってシラカバが列をなして生えるのか?という点については想像するしかないのですが、かつて定山渓停車場付近には広範囲にシラカバの群生があったように、一の沢、小金湯など沿線各所にシラカバの林が見られました。日当たりが良く極端に乾燥しない土壌、横に根を張る性質のシラカバにとっては、線路敷きは生育に好都合なのかもしれません。電車が走っていた当時はたとえ発芽しても保線作業の際に抜かれてしまうでしょうけど、廃止となった後に発芽してしまったらもう抜く人もなく、まわりに比べて日当たりが良い線路跡地だけに伸び放題、ということなのかもしれません。

 シラカバは成長が早く、春先に発芽したものはその年のうちに二〇センチ以上も伸びるそうです。寿命は七~八〇年程度と言われていてその間に二〇メートルほどにも成長するということですから、現在、線路跡地に見られる「シラカバ並木」は、ほぼ鉄道廃止とともに発芽して今日まで成長してきた姿と言えます。

 近年は台風などによる風倒木も増えており、一部では線路跡地のシラカバももうすでに何本も倒れているシーンを目撃します。なぜか同じ場所でシラカバの幼木をあまり目にしないのと、他の樹木の生育も進んできていることから、いずれ一〇~二〇年ほど後にはこのシラカバ並木も寿命を迎えて、線路跡地を示す印も消滅してしまうのかもしれません。

 

※写真は上段右が真駒内「八キロ五〇〇メートル」キロポスト付近の「線路跡シラカバ並木」。中央が藤の沢手前の歩道となった線路跡の際に生えるシラカバ。ちなみにシラカバの左側はかつての石山選鉱場日鉱線だったところ。左が下藤野~東簾舞間に見られるシラカバの並木。キロポストを押しのけるようにシラカバが成長。下段は左から同じく下藤野~東簾舞間。そして右が八剣山を望む豊滝~滝の沢間のシラカバ並木。いずれも平成一二年ごろのもの。

 

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