定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八二

         「定山渓鉄道は豊平町を走った鉄道」】

 

 昭和四四年一〇月いっぱいでの定山渓鉄道の廃止にともなって、「札幌の発展とともに半世紀を走り続けた…」といった意味合いの枕言葉が、報道の場面でしばしば使われていました。確かに広い目で見れば大半の温泉客は札幌の人々だったであろうことは想像に難くないし、沿線の発展のみならず札幌の都市としての発展にも多大な影響を与えたことで誰しもが「道都札幌の鉄道」と認めていたと思います。が、実際に定山渓鉄道が走っていたのは札幌市内だったのでしょうか? 違う角度から歴史を追ってみると、定山渓鉄道と札幌市との意外な関係が見えてきます。

 

 まず、路線の所在地を概観します。

 大正七年一〇月一七日。鉄道院白石駅を起点として定山渓までの二九.九キロが開業しますが、この白石駅の所在地は当時、白石村でした。白石を出てすぐに田園地帯を西南西へ進むと、豊平停車場を中心とした商業地へ入ります。この豊平停車場を含む前後約一キロ区間は札幌区内(当時)で、この駅は定山渓鉄道唯一、開業時より札幌に所在した駅と言えます。ここはもともと豊平町の中心地で、室蘭街道(国道三六号線)時代より雑貨店や蹄鉄屋、市場などが並ぶ商業地域だったのですが、豊平橋を挟んで札幌区の玄関口であったこと、他の豊平町畑作地帯住民が納めた税金がそこに費やされることに対する不満などがあって、明治四三年に札幌区へ編入されたという経緯がありました。その後、札幌区は大正一一年の市制施行により札幌市となります。その後の昭和四年には全線電化によって電車での営業を開始。豊平停車場は、増えつつあった温泉への利用客の便宜を図るために室蘭街道の隣接地へ移転。その後、市電も平岸街道から豊平駅前まで延長されて、旅館や食堂など次第に駅前風景を整えて賑わっていきます。その一方で豊平停車場より先の路線は、終点の定山渓まで豊平町内に所在します。

 豊平町は、明治開拓期に平岸村、豊平村、月寒村(広島を含む)が合併してできた非常に広い範囲を持っていました。

 

 さて、豊平町が長い交渉の末に札幌市と合併するのは昭和三六年のこと。つまり、定山渓鉄道の五一年間の歴史の中では、全線が札幌市内路線となった期間は約三分の一ほどだった、ということになります。そしてこの間、定山渓鉄道の状況はというと、前年の営業成績を頂点に次第に乗客数、貨物数とも減少、坂道を転げ落ちるように鉄道廃止へ向かうのです。ここだけを取り上げると、多少強引ではありますが豊平町と札幌市との合併が廃止のきっかけになってしまったようにも見えます。

 理由をいくつか挙げます。まずは札幌市交通局側の都合として、豊平町との合併を前提に札幌市内の高速鉄道計画が構想され、すでにその一部が定山渓鉄道線に重複していたこと(公表は昭和四〇年)。そして札幌市の道路行政が推し進められ、道路の新設改良とともにバス路線が拡充されたこと。自社の鉄道利用客増を図った不動産事業によって豊平町内沿線の宅地化が進み沿線人口が増えたにもかかわらず、皮肉にも鉄道離れを誘引しました。そして、市街地化が進んで線路を横断する踏切が増えたため、事故の増加と「開かずの踏切」状態の頻発、挙句に「道警による鉄道廃止勧告」まで…

 札幌市との合併以後、まるで市の都市計画からすると「定山渓鉄道はお荷物だった」と言わんばかりの材料が揃うわけです。コジツケ感は否めませんが。いずれにしても豊平町と札幌市の合併後は、鉄道を取り巻く環境を見る限り、冒頭の「札幌の発展とともに半世紀を走り続けた~」といったニュアンスの言葉には、少々違和感を覚えるのです。

 

 蛇足ですが、当の豊平町と札幌市との合併については一〇年越しの交渉、議案提出と否決とを繰り返した歴史があったそうです。一時は「豊平市に」というキャンペーン?もあったと言いますから、もしも時代が違っていたなら豊平市の重要な交通機関として形を変えて発展していたかもしれません。もともと豊平町合併前の月寒村から別れていった広島町(現北広島市)とを含めて国鉄千歳線を補完する電鉄路線が生まれたかもしれないし、定山渓鉄道を地下化して札幌都心部への乗入れるなど…

 それはともかく現実に戻ると、昭和三六年の合併により札幌市の市域はほぼ倍増します。昭和四七年の政令指定により分区されて旧豊平町域は豊平区と南区となりますが、それでもひとつの区域としては広く、平成九年には豊平区から清田区が分区しています。

 

※なお、定山渓鉄道の起点駅、白石駅や東札幌停車場~苗穂駅(市町界的には豊平川鉄橋上まで)が所在していた白石は、豊平町の一足先に昭和二五年七月に札幌市と合併。白石~東札幌間は戦時中の線路供出により合併前にすでに路線廃止していますが、この時点では東札幌~苗穂間は札幌市内に含まれていることになります。

 

※カットは、「豊平町全図」(豊平町役場作成 昭和一〇年ごろ)。赤線で囲まれた区域が豊平町域。緑線は定山渓鉄道。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

 

 

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