定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八〇

         「北海道初の〇〇」 その二】

 

 今回の「北海道初の〇〇」トピックは、駅の業務委託についてです。

「駅業務の社外委託は道内では定山渓鉄道が初めて?」

 昭和一一年一〇月二〇日、滝ノ沢停車場と一ノ沢停車場との間に位置する小金湯温泉に停留場が開設されました。小金湯温泉とはかつて、豊平川の川床より湧出する硫黄泉をひいて、当初「黄金湯」と称し、一軒の湯治場から始まった小さな温泉場です。定山渓鉄道が開業した大正七年には、創始である黄金湯温泉旅館を含め三軒の温泉旅館が営業していました。大正一三年一月に滝ノ沢停車場が開業すると、小金湯温泉への最寄駅となります。このころから布団を包んだ風呂敷を背負って温泉旅館へ向かう湯治客の姿が見られたそうです。しかし荷物を背負ってのその道のりが遠かったことから、湯治客の利便を図るために、小金湯停留場開設へとつながったのです。

 開設当時はホームに待合だけの簡素な無人駅でしたが、「土用の丑の日は温泉」という定山渓温泉のキャンペーンの効果もあって、この日は小金湯温泉へのお客も多く、こういう日は滝ノ沢停車場などから駅員をしばしば派出して対応していたそうです。

 

 戦後は湯治客が増加したので、これに応じるために住宅兼待合室、売店のための二階建ての駅舎が設けられることになります。昭和二一年のことでした。しかし実際に切符の販売や駅の管理、そして売店の経営などを行ったのは定山渓鉄道の社員ではなく、近くに住む民間の一家族だったのです。定山渓鉄道からの代行依頼により家族がこの住宅兼駅舎の二階に居住し、温泉街では唯一だった売店を階下に営みつつ、駅の業務を代行していたのです。雪深い冬は待合のストーブの石炭補給を絶やさずホームや線路の除雪、事故が起きれば滝ノ沢や錦橋停車場への電話連絡など、家族総出で忙しい毎日だったそうです。

 当時の国鉄では例がない民間への駅業務委託、と言えると思いますが、鉄道会社と民間との契約という意味においておそらく北海道では初のケースだったのではないかと想像しています。もっとも、定山渓鉄道そのものも民鉄ではあるので、官から民への業務委託、という意味合いとはちょっと違うのかもしれませんが…

 

 その後も小金湯停留場の「駅業務委託」は、昭和四四年の廃止までの間に別な家族へ引き継がれて二代続きました。定山渓鉄道においては、後の東簾舞停留場が開設された時にも、こうした駅業務委託がおこなわれていました。

 

※写真は、廃止近い小金湯停留場の様子(佐々木憲昭氏所蔵)。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

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