定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その七七  「不思議な編成」】

 

 定山渓鉄道は、その歴史の中で多種多様な車両が走っていたことが特徴の一つとして語られてきました。客車、貨車はもちろん、蒸気機関車、電動客車(と付随制御客車)、ディーゼルカー、ディーゼル機関車、そして電気機関車。ないのは蒸気動力客車や自走できる貨車がないことくらいで、「およそ鉄道車両と呼ばれるものの、ほとんどのものを揃えていた」と小熊米雄氏(当時、鉄道友の会北海道支部)も鉄道雑誌の中で語っていました。それゆえ、定山渓鉄道の歴史の中では、今となってみると見慣れない不思議な編成があたりまえのように走っていたようです。古い写真などから見つけた「?」な編成を少しだけご紹介します。

 

 写真左は昭和三〇年代に発行されたと思われる定山渓温泉の「豊泉閣」リーフレットに掲載された、電気機関車ED500形の走行シーンを捉えた写真です。この電気機関車は私鉄車両としては当時、他社線ではまだ例のなかった高性能タイプで、その力強さから人一倍の愛着を感じていた運転士の方々も多かったそうです。旅客が電車に変わってからも、貨物だけは戦後も長い期間を蒸気機関車による牽引に頼っていたのですが、その蒸気機関車のどれもが老朽化し、さらに豊平川上流のダム計画による貨物量の増大が見込まれたため導入されたのが、このED500形電気機関車でした。つまりは貨物用途を前提として入線したわけですが…

 

 それを踏まえてもう一度この写真を見ると、後ろに連結されているのはどうやら、電車のようです。写っている部分だけみると二両だけのようですが、流線型でかつパンタグラフがひとつということはモハ1201+クハ1211と見られます(モ2100形は2両固定だがどちらにもパンタグラフがある)。窓からは乗客の手らしきものがたくさん見えますので、営業運転中であることがわかります。モハ1200形と言えば、歴代の電動客車の中では最も高出力で加速も良いと、運転士の間でも評判だった車両。わざわざ強力な電気機関車の援護など必要ないはずなのに、なぜこの編成なのでしょう?

 

 写真右は、区間中もっとも急こう配があった通称石山坂を走る列車。石山陸橋から撮られたと思われる写真です。不鮮明なのでわかりづらいですが、電気機関車の後ろから鉱石らしきものを積んだ無蓋貨車や有蓋貨車が数両連なっているように見えます。そして一番後ろは、煙を上げてる様子からどう見ても蒸気機関車のようです。ここは、写真向こう側に見える石山の集落からこの先の真駒内川橋梁まで急こう配が続く、開業当初からの難所でした。開業当初は非力で小さな「豆機関車」だったことから、坂の途中でしばしば立ち往生、バックしては登るということを繰り返していたというエピソードも残されています。

 電気機関車の向かって左側の窓にはうっすらと運転士らしき姿が見えるので、もしこれが豊平方面行きの貨物列車とすれば、蒸気機関車を一番後ろに補機につけての登坂、とも見てとれます。ただ、その割には貨車の数が少ないようなのですが、これはどういう状況での運用だったのか、興味があるところです。

 

 これらの「不思議な編成」は、今となっては推測するしかないのですが、元運転士の方に伺ったところ「満員の電車を何両もつなげたりしたときには電気機関車がつく」こともあるし、あるいは、「電気機関車だけ回送扱い」にして連結していただけかもしれない、のだそうです。石山坂の写真も、もしかしたら後ろの蒸気機関車が回送中という扱いだったのかもしれません。

 いずれにしても、こういった見慣れない編成が日常的に走っていたことも定山渓鉄道の特徴だった、と言えると思うのです。

 

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

 

 

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