定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その七五  「白糸の滝停留場」】

 

 明治四三年より発電を始めた定山渓発電所の、発電用水の余水を流す水路が送水管横に設けられ、発電所横の崖へと流れ落ちます。これがのちに「白糸の滝」と呼ばれるようになるのです。つまり、現在に至るまで定山渓温泉では数少ない観光名所となっているこの滝は、人工的に造られた滝、ということになります。

 やがて大正期に入ると豊羽鉱山の建設や御料林の材木切出しが活発となり、定山渓鉄道が開業を迎えると訪れる温泉客の増加とともに温泉宿も増え始め、「湯治場」の姿からやがて温泉街へと様相も変わっていきます。

 「白糸の滝」も、北海の猿橋と呼ばれた錦橋より深く見下ろす渓谷美とともに観光スポットとして知られてゆきます。後に一の沢発電所竣工と同時に完成した錦橋下流の一の沢ダムは、それまでの深い錦渓谷を湖に変えてしまうのですが、両側を切り立つ崖に挟まれ、どこからともなく鶴が舞い降りるかのようなその風情から「舞鶴の瀞」と呼ばれ、隣接する「白糸の滝」とともに新たな名勝となります。ほどなくして貸しボートと屋形船の玉川聚楽園が開業。観光ブームは昭和初期まで続きます。

 昭和四年に定山渓鉄道が電化されると、所要時間が短縮された上に本数も増えたので、定山渓温泉は日帰りが可能となります。必然的に行楽客がどっと押し寄せることになるのですが、「白糸の滝」と玉川聚楽園へは終点の定山渓駅からはやや遠く、ひとつ手前の錦橋停車場を利用する客も少なくありませんでした。と同時に「白糸の滝」下の玉川橋周辺にも温泉宿が増えてきたので、会社では駅を設けることにしました。それが白糸の滝停留場です。駅は定山渓発電所の背後となる斜面の直上に設けられたのですが、冒頭の通りそこは発電所の建築資材運搬にも利用されていた広い空間がありました。駅舎とホームは、発電用送水管と「白糸の滝」を生んだ余水川にはさまれたその空間を利用する形で建てられました。昭和八年一月のことです。ホームひとつの停留場でしたが切符を取り扱う駅員が配

置され、ねらい通り開業当初より多くの利用客が乗り降りしたのだそうです。中には表玄関の定山渓駅では人目に付くので、著名人に限らず人目を忍んでここで下車する人たちなども少なからずいたのだとか。

 戦後は駅舎内に四畳ほどの広さの売店も開業しますが、鉄道の廃止が近づく昭和四〇年ごろには会社の経営合理化に伴って無人となり、鉄道廃止を迎えることになります。

 

 

白糸の滝停留場

延長二六キロ三三〇メートル(東札幌停車場より)

ホーム長 片面五〇メートル

ホーム幅 三.六五メートル

錦橋停車場より八〇〇メートル

定山渓停車場まで八五〇メートル

駅中心標高 およそ二八〇.二メートル

 

 

※カットは、右が白糸の滝停留場のホーム付近の位置から見下ろした定山渓発電所(絵葉書から。年代不詳のためこの時鉄道が開通していたかどうかは不明)。左が昭和三〇年代の停留場駅舎。中央は夕日岳側から見下ろした停留場周辺遠景。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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