定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その六二

          「モロ1100とクロ1110」】

 

 定山渓鉄道の全線電化は昭和四年一〇月。この時点では洞爺湖温泉軌道や旭川電気軌道などいくつかの電化軌道が存在していましたが、営業延長が二七キロあり、使用電圧が一五〇〇ボルト、一〇〇人乗りの大型高速電車が走るという点で一歩抜き出た存在ではありました。

 電化と同時にデビューしたのはモ100形四両ほか、後に新造された姉妹車モ200形、そして鉄道省からの譲渡車であるモ300形の六両。いずれも昭和初期の観光ブームから戦中にかけてフル稼働で走り続けていましたが、戦後には極端な資材不足などで故障修理もままならない状況となっていました。さらに老朽化も加わって車両更新の必要性も高まってきていた昭和二三年、「経済力集中排除法」の適用により大株主であった王子製紙株式会社の株すべてが、持株会社整理委員会に移されたことから定山渓鉄道株式会社の株も解放処分となります。定山渓温泉ほか札幌の財界人により多くの株が買われ、社長に浅野一夫氏が就任、再び定山渓鉄道は地元資本中心の鉄道となります。そして、近代化の一環で車両の増備が行われることとなりました。

 沿線の住宅地開発が急速に進む中、昭和二五年三月に三扉が特徴のモ800形二両が登場。そして翌年一一月にはモ800形の姉妹車で二扉車のモ1000形と、ペアを組む制御車クハ1010形それぞれ一両ずつが登場します。いずれも沿線の通勤客輸送の目的も兼ねたロングシートの電車でしたが、定山渓温泉への行楽客サービス向上に狙いを絞った画期的な電車がこれらに続いて登場します。それが、モロ1100形およびクロ1110形の二両でした。

 車体デザインや駆動系などはモ1000に準じていましたが、窓下に描かれたブルーのラインが示す通りの二等車(現在のグリーン車に相当)で、定鉄電車としては初の二列転換クロスシートで定員五二名(モ1000は一〇〇名)という豪華客車だったのです。昭和二七年六月に登場し、先の新型電車と併結され急行電車として運転を始めました。もっとも会社としては企画当初、車両等級に縛られる考えはまったく持っていな

かったそうなのですが、「従来の客車と差があるため区別すべき」との陸運局の勧告を受け、やむなく二等車として登場させたわけです。しかしその格付けが災いし、会社の期待に反して利用客は非常に少なく、ほどなくして二等車としての運用は取りやめとなってしまいました。登場時の車両の注目度は高かったものの、国鉄の優等列車と違って区間が短い割に二等料金が高額だったためでした。昭和二九年以降は座席指定車として急行電車に併結運用されますが、「格下げ」されてもブルーのラインと快適な車内設備は変わらず、二等料金から座席指定料金だけと実質的な値下げともあってこれが大人気を呼び、週末ごとに満員が続いたのだそうです。

 

 定山渓鉄道の最後の黄金時代を築いたモロ1101とクロ1111は、その証でもあった窓下のブルーラインを消して他車と同様にアイボリーとスカーレットのツートンカラーに塗り替えられますが、鉄道の営業廃止まで走り続けました。

 

※カットは上段よりモロ1100形電動客車で下段がクロ1110形制御車。ともに東札幌停車場構内。中段はそれぞれの車両竣工図表で、廃止後に定山渓鉄道株式会社により有料頒布されたものから抜粋。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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