定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その五五 「DD4501」】

 

 定山渓鉄道を走った車両は非常に多彩でした。鉄道建設が始められたころより大正七年一〇月一七日の開業後に活躍した「1112、1113」号や、開業一番列車用として鉄道省より借り受け、後に譲渡され車籍を移した「7224」をはじめとする同型「7220、7223」。そして自社発注「C12」などの蒸気機関車群。それらに牽引されたくさんの乗客や荷物を運んだ客車や貨車群。昭和四年の東札幌~定山渓間(昭和六年に苗穂まで延長)電化に伴って入線したモ100型に始まり、他社からの譲渡、新造など含めその種類は二〇を超える電動客車群。そして、昭和三二年には非電化区間の札幌乗り入れ用キハ7000型および7500型ディーゼルカー、ED500型電気機関車、DD450型ディーゼル機関車が相次いで入線。「線路の上を走るものはほとんど見られた」と言われるほどの、他に例を見ない鉄道だったのです。

 また、同型車が少ないこともあるいは特徴と言えるかもしれません。最も同型が多い車種でもモ100型の四両だけ。以下、キハ7000型が三両、モ800型、元ガソリンカーのサハ600型が二両ずつと続き、それ以外のほとんどの車種が1両のみのいわゆる「一点もの」でした。中でも注目したいのがディーゼル機関車のDD450型「DD4501」。その理由は、定山渓鉄道の線路の上を走っていながら豊羽鉱山専用というその身の上と、わずか数年でこの鉄道を去ってしまうという、定山渓鉄道では実に短命な車両だったからです。

 

 DD4501は日立製作所製で昭和三二年三月製造、翌四月に入線しました。定山渓鉄道の本線上は電化されていましたが、非電化であった錦橋~水松沢(オンコの沢)間、藤の沢~石山選鉱場間でのそれぞれ豊羽鉱山線での鉱石輸送が導入の目的でした。それまで運用されていた蒸気機関車の老朽化による置き換えの意味もありました。一説に、やはり非電化であった国鉄の札幌駅乗り入れのために、電車牽引のため準備されたのでは?という推測もあったようですが、実際には豊羽鉱山が所有者であり定山渓鉄道に車籍を置いて運用管理する形をとっていました。したがって定山渓鉄道の定期列車にこのディーゼル機関車が運用されることはなかったものと思われます。

 その姿はDD13初期型に非常によく似ており、機関もDD13に同等のDMF-31Sが積まれていたということで共通点の多い機関車です。当時、車両製造各社が国鉄からの発注を狙いしのぎを削ってディーゼル機関車開発が進められていましたが、その規格をベースにオリジナル仕様として設計されたものと考えられます。実際、DD13型量産車が国鉄でお目見えするのはこのDD4501がデビューした後の、翌昭和三三年のことでした。その意味でも貴重な存在だったと言えると思います。

 

 しかしながら入線からわずか数年後の昭和三八年、鉱石輸送が全面的にトラックへ切り替えられてしまったため豊羽鉱山線が廃止されることとなり、DD4501はそのあおりで用途廃止となってしまいます。幸いなことに車齢も若いため、翌昭和三九年に道東の北海道拓殖鉄道へ譲渡され活躍します。定山渓鉄道の中で生き残った数少ない移籍車両のひとつでした。

 

〈DD4501〉

形式番号 DD450

機関…国鉄標準DMF-31S型ディーゼル機関

   水冷四サイクル、六シリンダー直列型

   出力最大420HP/h 定格370HP/h

   二台搭載

自重…四五t

最大牽引力…一一、二五〇kg

最大速度…六五km/h

 

 

※カットは、車両竣工図表と豊平駅で待機中のDD4501(写真は小熊米雄氏撮影)

 

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