定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その五

       「サハ601、クハ601」】

 

 半世紀の間には蒸気機関車、電動客車、ディーゼル機関車、電気機関車と多彩な車両が走ったのですが、中でも特に異色と思われるのがガソリンカーの存在でした。

 北海道内では昭和6年3月に室蘭機関区に配置されたキハ41500形が最初になりますが、蒸気機関車の牽引する客車列車全盛の時代”箱”だけで動き、さらに所要時間短縮にもなるということで注目されたそうです。

実は、定山渓鉄道に車歴を置くガソリンカーは存在していないのですが、大正一五年に開業した北海道鉄道において昭和一〇年から導入されていた550形二両が、のちに形を変えて走っているのです。

 

 ちなみに北海道鉄道とは、ほぼ定山渓鉄道設立と同時期に生まれた金山鉄道(辺富内〈ヘトナイ〉~沼ノ端間)が前身で、鵡川周辺で産出される鉱石や森林資源の輸送を当初の目的としていました。しかし調査の結果、採算性の問題から千歳、苫小牧~室蘭と札幌とを結ぶ旅客輸送にその目的を変えて、沼ノ端~苗穂間を開業しました。特にこの区間は昭和一八年の国有化後、北海道を代表する大動脈(千歳線。昭和四八年に現在の路線に切換え)に成長していることはすでにご承知のとおりと思います。

 

 この北海道鉄道では、国有化以降も戦後まで八両のガソリンカー(500形=40350形二両、550形=40360形六両)が使用されていました。そのうちキハ550(キハ40360)とキハ552(キハ40362)の二両が昭和二二年から約一年間、進駐軍の真駒内キャンプクロフォードに新設された引き込み線と、札幌駅の間の軍専用列車として使われました。この引き込み線は国鉄が敷設し列車運行も国鉄によって行われていたものですが、この間、実質的に苗穂~真駒内停車場間においてはガソリンカーが走っていたことになります。もっとも軍専用ですから一般客が利用できない列車だったことでしょう。

 そしてこの運用を最後に二両は廃車となったのですが、昭和二四年に定山渓鉄道が輸送力アップのためにこれを購入。機関部と運転部を取り払いクロスシートをロングシートに改造した上で、付随客車としての第二の人生を定山渓鉄道で過ごすことになりました。

 しかしながら電車に牽引されての運用は、終点折り返しでの電車付け替えの作業が必要となり、この手間を省くべく昭和三〇年に車両の片方に運転台を増設し、制御車(クハ)として改造されました。この増設した運転台部分は同年、モ2100形改造のため廃車となったモ100形から余剰となったものが転用されています。

 昭和二〇年代、続々と新造車が登場する中にありながら、このクハ600形2両は営業廃止となる昭和四四年ごろまで使用されていたそうです。小柄で滑らかな、他の電車群にあっても特徴あるボディラインでした。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。

 

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