定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その四八 「ニフ」】

 

 「ニフ」というのは当時、定山渓鉄道を走っていた荷物車のことです。

 定山渓温泉は昭和に入り『札幌の奥座敷』として名だたる温泉観光地として発展してきました。昭和二〇年代後半からは年を追うごとに温泉客は増え、定鉄電車も増備されてたくさんの乗客を運んでいたのですが、当然のことながら定山渓や沿線には温泉客だけではなくそこに暮らす人たちがいます。その人たちの様々な生活物資の運搬も、鉄道の重要な仕事でした。旅館で出される料理食材などの生鮮食料品はもとより、お土産品、衣料品、雑貨類、雑誌や新聞などが毎日、東札幌や豊平から運ばれていました。その多くは定期の貨物列車などの貨車に積み込まれて運ばれるのですが、特に、沿線の商店など小口の荷物を取り扱って運んでいたのが、この「ニフ」という車両でした。通常、貨物列車は何両かの貨車を連ねて機関車がこれを牽いていましたが、この「ニフ」は多くの場合、電車の最後尾に連結して各駅にて乗客の乗り降りに合わせて荷物を積み下ろす、という運用の仕方をしていました。停車時間が短いのでモノと場合によっては「投げ捨てる」ようにホームへ放りだすといったこともしばしばあったのだそうです。しかしそれでも、地元の、特に商店を営む人たちにとっては電車以上に愛着を感じていた人も多く、この小さな荷物車のことを親しみを込めて「ニフ」と呼んでいました。「今日の荷物まだ来ないかい?」ではなく「今日のニフはまだ来ないのかい?」といった感じだったのでしょうか。この車両の存在そのものが生活に直結していたと言っても決して過言ではなかった、という思いが伝わってきます。全国的に「定鉄電車」の名が知られつつあった中での、陰に隠れたエピソードのひとつです。

 形式的には「ニフ50」「ニフ60」という二両の木造二軸車が荷物車として活躍していました。「ニフ50」は、それま

で客車として使用されていた「フロハ931」(鉄道省で使用されていた明治三六年製の木造二軸二等三等混合客車で昭和二年ごろに払い下げを受け入線。のちに「ロハ40」と改番)を種車として改造。「ニフ60」は「ハ25」(前述「フロハ931」と時を同じくしてやはり払い下げを受けて入線した明治四〇年製の木造二軸三等客車「フハ3426」。のちに「ハ40」と改番)を改造した荷物専用車で、昭和一七年ごろより使用されました。

 この二両の荷物専用車が生まれた背景には、昭和四年一〇月の電車化以降に一時は同じ電車に乗客と荷物を一緒に積んで運ぶ方法をとっていたものの、乗客から「オレらは荷物と一緒か!(怒 」といった苦情があったから、という説もありますが、この「ニフ」が登場する以前、在籍している電車は六両のみ(モ100型四両、モ200型モ300型各一両ずつ)であり、そもそも乗客と一緒に荷物を運ぶには物理的に手狭だったことが一番の理由かもしれません。そのため一時的にクハニ500形という客貨両用の車両も運用されていたこともありました。 しかし、使い勝手が良かったためか、それとも沿線で商売を営む人たちの愛着心が支えていたのかこの「ニフ」は、「ニフ50」が廃止の前年となる昭和四三年九月まで在籍。一方の「ニフ60」は「ニフ50」に先んじて昭和三三年の改造認可で無蓋貨車「ト226」に再改造され、一足先に荷物車としての使命を終えています。

 

※カットは上が「ニフ60」、下が「ニフ50」(図表は、ニフ50改造前の客車時代のもの)。(撮影・星良助氏)

 

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