定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その四六
「ポートレート×定鉄沿線 石切山停車場」】
石切山停車場は大正七年一〇月一七日の定山渓鉄道開業と同時に設置された停車場ですが、開業時は現在地より石切場へ寄ったやや南側に位置していました(詳細は【定山渓鉄道・百話 その四四 馬鉄と石切山大曲線の謎】)。
昭和四年の全線電化に際して、路線の変更が行われた上で現在の位置に”移転開業”、さらに昭和二四年秋に駅舎が改築され文字通り石山地区の顔になりました。そして昭和四四年一〇月三一日の営業廃止を迎えて駅も閉鎖されるのですが、時をおかずに解体された隣の藤の沢駅舎などと違い、こちらはその後五年ほど残されたのちに石山振興会館として再利用されることとなり、現在に至っています。そして、豊平駅舎が本社社屋とともに解体されてしまった現在、当時の建築物としてはこの石切山駅舎が唯一の現存遺構となりました。廃止後、解体から逃れることができたのは現役時代から地元に愛され続けてきたことに他ならないわけですが、藤の沢までの線路が札幌市への一括譲渡されたにもかかわらず地下鉄延伸が実現しなかったことも取り壊しを逃れた大きな要因だったと言えるかもしれません。
先の通り廃止から約五年ほど後に、高所にあった明り取りの窓が塞がれ、玄関や改札口に張り出していた屋根に新たに壁が設けられるなど再利用のための改築がなされました。天井が高かったことから防寒のために断熱材を敷いた新たな天井が低い位置に設けられて、内部も一時は駅舎の面影が薄められてしまっていました。しかし豊平駅舎解体後、定山渓鉄道の唯一現存する駅舎となることから鉄道ファンなどの注目も高まり、その声に応えるように復元改修工事が行われます。現在では、防寒用の天井も取り払われて当時のままの飾り天井が蘇り、長年隠されていたその独特な造形の格子状木枠や柱には、当時石山の中心的存在だった停車場の威厳や風格といったものを感じさせます。
※カットは昭和四九年当時の石切山停車場駅舎と、その後の石山振興会館時代の旧駅舎。平成一二年撮影。モデルカットは平成二七年一月。この後、内装復元工事が行われました。
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