定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その四二 「十五島公園」】

 

 既出二回の記事に触れていた、下藤野停留場が設置された野々沢川付近より藤野沢川をまたぐように設置された藤ノ沢停車場までの区間は、標高にして豊平川の水面とは最大約二〇メートルほどの高低差があります。線路はこの河岸段丘の上面を本願寺道路(現国道二三〇号線)と並ぶように敷設されていました。そのすぐ北側の野々沢川(旧流路)にそって急激に落ち込む崖面が見られることから、ここより豊平川へ向かっての広範な平地は、かつて長い期間にわたって氾濫原であったことを想像させます。その氾濫原の東端にあたる野々沢川の河口付近からやや上流寄りに、時期になれば炊事遠足に訪れる行楽客で賑わう十五島公園があります。

 開拓期以前は豊平川の水量もかなり多かったと思われますが、それでもなおゴツゴツとした大きな岩盤が数限りなく川を遮るように露出していたため、その情景から「十五島」と呼ばれるようになったと言われています。その後、しばしば材木流送の邪魔になることから切り取ったり爆破するなど岩盤の除去が行なわれたそうです。しかし、上流にいくつものダムが造られ、護岸治水整備が進んだ現在でもこの付近は年中通して川の流れが激しく、岩盤の名残が川の中に残されているであろうことが容易に感じられます。

 

十五島公園は、昭和二〇年代後半に訪れ始めたレジャーブームに乗って定山渓鉄道が整備したハイキングコースの目玉の一つでした。昭和二九年に水道や遊具、緑の芝生が広がる園地がオープンすると、当時、札幌近郊で炊事遠足のできる唯一の場所とも宣伝されてその名は一躍有名になりました。

 昭和三〇年代半ばに発行された定山渓鉄道のパンフレット『秋の夢さそう 定鉄沿線』にも「家族連れや学校、職場のレクリエーションに広く利用されシーズンの休日ともなると、二千人近い人出で賑い大野外食堂となる。」と紹介されています。

 オープン当初は藤ノ沢停車場が最寄り駅となり、約六〇〇メートルほど豊平川に沿った小路を遡るコースでしたが、駅裏のとっかかりの部分で急斜面の九十九折の細い悪路が続くことと、訪れる観光客が年を追うごとに増えていったことから、昭和三四年六月二一日に十五島公園停留場を開業させます。ちょうど藤ノ沢停車場と下藤野停留場の中間に位置し、国道沿いの宅地開発が始まっていたところから要望があったことも停留場設置につながりました。十五島公園までの距離は若干遠くなっていたにもかかわらず学校遠足などの団体客には大変喜ばれ、行楽シーズンには臨時列車も用意されたそうです。ホーム長三五メートル、古レールの支柱に板張りの簡易ホームで幅は二

.一メートル。他の停留場と違い、ホーム上ではなく線路と反対側のホーム下に屋根だけの待合が設けられていました。

 

 停留場が設置された当時はまだ周辺は空き地が多く、遠く砥山方面の山の稜線が見えていましたが、現在は住宅地となって久しく、ホームと屋根だけの待合があった停留場跡地も道路、住宅となっています。道路向かい側の古い集合住宅は道路に対して裏面を向いているところに、この道路がかつて線路であったことの名残を残していますが、そのことに気づく人はどのくらいいるでしょうか(現在は消滅)。

 

※カットは左より十五島公園停留場平面図と民家に変わった停留場所在地に置かれた記念の標柱、そして現在の街並み(ホームと線路はイメージ)。右は上が昭和二〇年代の航空写真(国土地理院)で示した位置関係、昭和三〇年代(モノクロ)と現在の十五島公園。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

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