定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その四一 「丸重吾と藤ノ沢」】

 

 明治開拓期より、それまで豊平川の流送に頼っていた豊富な森林資源の輸送、豊羽鉱山の鉱物資源の運搬、そして定山渓温泉への行楽客の輸送と、定山渓鉄道の開通は当初の目的のとおり、その後の産業を大きく発展させました。そして同時に、途中沿線の停車場開業によってそれぞれの土地の発展にも大きく影響を与えました。中には、もともとの名があるにもかかわらず駅名がその後土地名に変わった例があることを知る人は、もしかしたらそれほど多くはないかもしれません。

 

 定山渓鉄道が大正七年一〇月一七日に開業を迎えた時、同時に開業した停車場は、白石、豊平、石切山、藤ノ沢、簾舞、定山渓の六駅でした。この時点でそれぞれ呼びならわされた土地名は、白石、豊平、穴の沢、丸重吾(「まるじゅうご」、の沢)、簾舞、定山渓。このうち石切山と藤ノ沢は土地名とは別な呼び名でした。このうち石切山停車場については鉄道開業以前すでに半世紀近くも石材採掘が行われており、明治四一年ごろには豊平町に含まれて石山の名が一般的にも定着し始めていたことからそのイメージの名称が付けられたものと思われます。ではもう一方、土地名が丸重吾(の沢)と呼ばれていたのにもかかわらずなぜ藤ノ沢という名が停車場に付けられたのでしょうか。

 その前にこの古い土地名の「丸重吾」ですが、これはかつて石狩の場所請負人だった村山伝兵衛が店じるしとして用いていた焼印「○に十五」が語源と伝えられています。天明元年(一七八一)ごろからオカパルシ川流域を中心とした藤野の山林より、漁船の材料にするための木材を切出し石狩河口まで流送していた時代があり、古い入植者の中には石狩場所へ出稼ぎに出ていた人もいたことからそれが言い伝えられて、周辺一帯が「マルジュウゴ」と呼ばれていたわけです。この木材切出しは、もともとは宝暦五年(一七五五年)に飛騨屋久兵衛(三代目)が石狩山伐木と称して蝦夷檜(エゾマツ)伐採の許可を松前藩より受けていたものを、様々な事情で複数の請負人の手を経たのち村山伝兵衛が引き継いだ事業でした。その意味ではこの土地とのつながりは深かったわけですが、当時、豊平(トイピラ)、簾舞(ミソマップ)など近隣にはまだアイヌ語地名を語源とする土地名が多く、実際に松浦武四郎の「後方羊蹄(シリベシ)日誌」の中にも「ヲカハルシ」という現在のオカパルシ川を指す地名が出てくることからすればちょっと意外な感じがします。一帯は明治中ごろまで篠路・山鼻屯田兵村の増給与

地として指定されていたため屯田兵の通い作農地であり、他の沿線よりも定住者の入植が遅かったことも無関係ではなかったかもしれません。

 ちなみに村山伝兵衛によるオカパルシ川流域の木材切出しですが、この時実はわずか一〇年足らずで手を引いており、その後事業を再開していたかどうかは定かではありません。明治期に入り開拓使は定山渓を含む豊平川流域を広範囲に官林指定としますが、明治二三年ごろに札幌に木工製材場を持っていた加藤岩吉氏がオカパルシ川上流域の藤野富士(標高六六五メートル)付近の山林を買い入れて造林を始めています。

 

 加藤岩吉氏の名が出たところで話を藤ノ沢停車場に戻します。その駅名語源ですが、実は鉄道建設に際して用地を提供した前述の加藤岩吉氏と、小沢清之介氏のそれぞれの苗字から一字ずつとって名付けられたことにありました。明治三七年の屯田兵廃止と前後して屯田給与地の払い下げが活発となると同時に入植者も増加し、沿線はリンゴ栽培や畑作が盛んになります。鉄道と駅の開業は大歓迎のうちに迎えられ、昭和四年の部落名改正が行われた際にはそれまでの通り名であった丸重吾に代わり、駅名の藤ノ沢が正式な土地部落の名称となります。その象徴に丸重吾小学校が藤ノ沢小学校と改称されたりと、名実ともに停車場が集落の中心となりました。

 もっとも、その後昭和一九年に豊平町の字名改正を受けて藤ノ沢と西に隣接する野々沢とを合わせて統合され、両者の一字ずつをとって「藤野」の地名に変わるのですが、藤の沢停車場(戦後のカナ書き廃止により「の」に変更)の名のまま昭和四四年の鉄道営業廃止までその名を残しました。これは、いかに鉄道が地域の発展と密接な関係にあるかをわかりやすく表しているものと言えます。

 

※カットは上段左から、藤の沢停車場の駅長、営業廃止を迎えた停車場(ともにNoriaki S氏提供)、そして藤野東公園造成とともに生まれた線路跡の遊歩道と国道を挟んだ南側から見た駅跡地。手前には小さな橋があり、国道が四車線になる前の古い地図には「藤の沢駅前橋」の名があった。下段は、さよなら運転の花電車が入線する藤の沢停車場の構内(Noriaki S氏提供)と、ほぼ同地点の現在の公園の様子(平成一二年撮影)。

 

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