定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その三九

「ポートレート×定鉄沿線 旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」】

 

 東本願寺の手による本願寺道路開削とほぼ時を同じくして明治四年九月に起工、翌年一月にその街道筋であった現在の簾舞中学校付近の、現在の国道二三〇号線上に簾舞通行屋は完成しました。通行屋とは旅人に休憩や食事、宿泊の便宜を図るために開拓使が設置したもので、言ってみれば現在の『道の駅』に近い存在でした。開拓使の命により屋守(管理人)としてこの簾舞へ入った黒岩清五郎とその家族の住宅としても使われ、文字通り簾舞で最初の入植者となりました。簾舞通行屋は中廊下を挟んで六畳~八畳の小部屋が四つ用意され、当時は本願寺道路が札幌へ入る唯一の道だったことから、当初はこの簾舞通行屋もたくさんの利用者で賑わったそうです。

 ところが明治六年に千歳をや苫小牧を通る札幌本道が開通すると、険しい峠路を嫌って通る人は激減、明治一七年には簾舞通行屋は一時的に廃止されてしまいます。

 しかし、官設としては廃止されたものの、明治一九年に石山から定山渓までの道路新設改良工事に伴って馬車が通行できるようになり、宿泊施設の必要性を感じた黒岩家は翌二〇年に建物を現在地へまるごと移設。あらたに東側に棟続きで玄関、居間、台所や馬小屋を増築して、黒岩旅館として営業することになりました。明治の終わりごろから大正にかけては、月寒歩兵連隊の休憩所、小学校教員の下宿や簾舞発電所、および定山渓鉄道の建設労務者の宿泊などでたくさんの泊り客があったのだそうです。

 大正七年の定山渓鉄道開業時にはこの建物も築四〇年を超え、痛みも出てきたことから近隣に新築された旅館にその座を譲りますが、その後は黒岩家の住宅として代々使われてきたのです。

 時代は下って昭和五六年、地元の有志が集まり保存会が発足。「明治初期における当時の建築様式を伝える貴重な資料である」ことから札幌市への働きかけと黒岩家の協力により、昭和五九年三月に札幌市有形文化財指定を受け、建物の解体調査、復元工事を経て、現在は簾舞郷土資料館としても公開され定山渓鉄道ゆかりの資料も数多く展示されています。

 

※カットは右上が明治四〇年ごろの黒岩家住宅と家族。建物は旧棟。左は増築された新棟の玄関先(Model. Erina)。小さなカットは建物内の様子と展示物の数々。

 

『札幌市指定 有形文化財~旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)』

札幌市南区簾舞一条二丁目 開館は火曜~日曜 九時~一六時

月曜休(月曜が祝日の場合はよく火曜日が休館)

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

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