定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その三八
「簾舞橋梁と簾舞通行屋橋」】
簾舞停車場より約五〇〇メートルほど豊平方面へ下ると煉瓦色の鉄橋を渡ります。簾舞川を渡るこの鉄橋は全長二一.三四メートルの簾舞川橋梁で、橋梁としては真駒内川、一の沢川橋梁に次ぐ長さのものでした。川の中間付近に橋脚があったのですが、これが角材を組んで建てられたとても味のある木造建築物でした。昭和四四年一〇月いっぱいで鉄道は営業廃止になり、線路は直ちに撤去されたものの、その後五年ほどはまだ橋脚も健在で桁が乗っていましたので、この木造橋脚を近くでもっとよく見ておけばよかったと、今さらながらに後悔しています。他に橋脚を持っていた真駒内川橋梁は鉄筋コンクリート製、一の沢余水川橋梁は煉瓦積みでしたので、廃止になるまで使用された角材を組んだだけの橋脚は全線通じて唯一のものだったのではないかと思います。
平成一二年ごろにここを訪れた際には、当然のことながらすでに桁は取り外されており、橋脚も根元から失って、両岸の煉瓦積みの橋台だけが簾舞川橋梁の名残を残すのみでした。数少ない鉄道遺構でもあり訪れる人も少なくなかったようなのですが、残念ながら平成二〇年にはとうとうこの橋台も消滅してしまいました。白川より小金湯までの市道整備工事計画の一環で、簾舞~東簾舞間の線路跡地が道路に転用されることになったのです。平成一六年には簾舞小学校裏の線路跡地区間が開通。その二年後には簾舞橋梁前後の整地作業が始まり、古木や雑草が伐採されてレンガ積みの橋台が一瞬、並行する旧国道からも見えるほどとなりますが、それもつかの間で平成一九年の冬には瞬く間に取り壊されてしまいました。
東簾舞停留場跡地付近より簾舞橋梁までの線路跡地区間には、札幌軟石の架線柱土台や線路築堤のブロックなどが一部、散見できていたのですが、地盤の掘り下げと拡幅によりそれらはもちろん消滅して、平成二〇年に道路工事が完了。簾舞橋梁がかけられていた箇所は新たに道路橋として生まれ変わり、ちょうど簾舞川の右岸に隣接している旧簾舞通行屋にちなんで『簾舞通行屋橋』と名付けられました。煉瓦積みだった橋台は幅の広いコンクリート製に造り変えられましたが、簾舞川の中央部に残されていた橋脚の土台部分はそのまま残されました。道路橋の真下でちょっと暗くて見辛い点を除けば、渇水期には水面から顔を出したところを見ることが可能です。
解体された煉瓦積みの橋台は、その一部が旧簾舞通行屋保存会の手により保存されて橋に近い道路際に建てられました。開拓の歴史とともに歩んできた定山渓鉄道の記念碑として、道路に生まれ変わった線路跡を見つめ続けています。
※カットは左から、旧簾舞通行屋裏手の市道に面して置かれた記念のモニュメント。上中央は現存していた平成一四年の煉瓦積橋台の様子で、橋脚の土台跡が手前に見える。その下三枚は左より橋台が撤去された直後の様子と現在の簾舞通行屋橋、同アングル。そして撤去作業中の様子。右は上から廃止後の簾舞橋梁(昭和四九年)。中は現在の簾舞通行屋橋。そして下は新たな歴史を刻む真新しい銘鈑。
※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。