定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その三二 「砥山堰堤と黄金滝」】

 

 一の沢停車場を出た電車はやがて小金湯温泉を見下ろす段丘の上を通ります。その間は豊平川の沿って広がる平坦な土地が広がりますが、鉄道が開通した大正七年ころのこの付近は水田が広がる農村地帯でした。一の沢渓谷を抜けた豊平川も百松沢川の合流するあたりでは流れが穏やかになり、湖のような佇まいを見せます。しばしば、おしどりが泳ぐ姿を見ることからいつともなく「おしどりの淵」と呼ばれ、後に左岸に整備されるハイキングコースの名勝ともなりました。

 

 その湖のような佇まいの理由は、下流の小金湯付近に設けられた砥山堰堤によるもので、堤高一〇メートルほどのコンクリートと石積みによって豊平川の水を堰き止め、さらに下流の簾舞に建設された発電所への発電用水とすることが目的でした。豊平川に造られた取水用堰堤としては定山渓発電所の銚子の口取水口に次いで二番目で、大正六年に起工、大正九年に発電所とともに完成し、豊平川左岸に設けられたコンクリート製の樋により、簾舞まで送水していました。

 なだらかな堰堤を超えて落ちる水の流れは幅五〇メートル以上に及び、その壮観な姿は「黄金滝(おうごんたき)」と呼ばれ、昭和二五年、その滝を見下ろすように対岸へ架けられた吊り橋「黄金橋」とともにここが黄金湯ハイキングコースの入口となり、湯治客の散策路としてだけではなく多くのハイカーに利用されました。

 この黄金湯ハイキングコースは、豊平川左岸を遡ると堰堤によって生まれた貯水湖、おしどりの淵を眺めながらの山路が続き、百松沢の吊り橋より一の沢ハイキングコースへとつながっていました。一方で下流側へは簾舞発電所への送水樋に沿って遊歩道が整備され、八険山の裾野の崖上を通る路へと通じていました。余談ですが、当時はこの送水桶には蓋がされていなかったため転落事故が多かったのだそうです。その遭難者の霊を慰める目的で建立された慰霊碑が、簾舞発電所へ通じる道路沿い(現在は閉鎖)にあります。

 

 昭和三〇年代後半ともなると札幌の発展とともに電力需要が大きくなってきました。そのため、発電および上水道整備を含めた豊平川水利の統合開発計画が立てられ、簾舞発電所はより高出力の砥山発電所にとって代わることとなります。取水口だった砥山堰堤もこれにより堤高三〇メートルの新しいダムとして生まれ変わって昭和四七年に竣工。黄金滝の姿は永久に失われることとなりました。一方の黄金橋はこの砥山ダム竣工の後も近年まで残されていたようですが、現在は撤去されて小金湯ハイキングコースとともに消滅しています。

 

※カットは、渇水状態での堰堤全景で石積みの様子がわかる貴重なカット。右は黄金橋と黄金滝。下段左は黄金橋の基部で、右は現在の砥山ダム全景。黄金橋の橋台部は今でもそのまま痕跡が残されている。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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