定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その三一 「モ1200」】

 

 昭和四年一〇月より、新造電車モ100形四両の入線に始まって電化営業となった定山渓鉄道。昭和初期のレジャーブームに定山渓温泉へ訪れる客も増加。そこへさらに大型電車の珍しさも手伝って連日満員が続くこともあったのだそうです。それに対応して会社も昭和八年に同タイプのモ200形一両を新造するなど、その後続々と車両増備がなされていきます。定鉄電車の名が定山渓鉄道の代名詞となる下地はこのころにはすでに出来上がりつつありました。

 

 その定鉄電車の中で新造車両として最後に登場したのが、このモ1201+クハ1211でした。それまでの角ばった車体と重厚な前面三枚窓から、傾斜を持たせた半流線形の造形に斬新な大型二枚窓となり、そのスマートなスタイルから注目を浴びることとなりました。このデザインは国鉄80系電車(のちに「湘南形」と呼ばれた二次車)によく似ており、その後登場したモ100形からの改造車モ2100形にも受け継がれます。

 モ100形電車と比べると倍近い出力があり所要時間短縮に貢献したそうですが、蛍光灯照明、電動・空気併用のブレーキなど近代的な設備を持った、当時の私鉄車両としては最先端を行く高性能電車でした。基本的にはこの二両での運用が多かったものと思われますが、それぞれ非貫通の両運転台仕様であるためモ1201のみの単行運用も可能でした。また高出力車だったことから札幌乗り入れのための気動車(キハ7000形、キハ7500形)導入後は、東札幌から定山渓間でこの気動車をけん引する運用もしばしば見られました。定山渓鉄道を知る多くの人たちの記憶の中に残す、定鉄電車を代表する形式ではなかっただろうかと思います。

 

 そして昭和四四年一〇月三一日に定山渓鉄道はその営業を廃止、大半の車両が同時に廃車となり解体の運命をたどっていきますが、このモ1201とクハ1211は幸運にも十和田観光電鉄へ移籍が決まります。大きな改造をほとんど受けず右運転台のまま、翌年よりモハ1207+クハ1208として入線し平成二年に廃車となるまで第二の人生をここで走り続けました。ちなみに十和田観光電鉄の鉄道事業も平成二四年四月一日をもって営業廃止となっています。

 

※カットは、上段が定山渓鉄道時代(左)と十和田観光電鉄時代(右)の車両竣工図表。下段は左より、Nゲージモデルとして商品化されたキット(しもたか企画)、東札幌構内のモ1201+クハ1211(小熊米雄氏撮影)と、定山渓鉄道営業廃止時に発売された記念乗車券。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

 

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