定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その二七 「錦橋停車場」】

 

 錦橋とは、豊羽鉱山へ向かう路が開削された際に付近に架けられた橋の名前で、かつてから紅葉の季節になるとこの深い渓谷が錦に彩られる名勝であったことから名づけられたのだそうです。また、川からの高さがおよそ三〇メートルほどにもなるために橋脚を立てることができず、互いの崖より斜めに木柱を延して木造橋桁を支持する構造がとられました。当時としては珍しかったためか、大月の猿橋に見立てて「北海の猿橋」とも呼ばれ、激流ほとばしる豊平川の渓谷を真上から観賞できるとあって観光名所となりました。錦橋の竣工は大正三年三月。この時より、小樽内川流域の御料林から切り出される材木の運搬と、翌大正四年より操業が開始された豊羽鉱山の鉱石運搬が次第に活発になっていきました。

 

 大正七年一〇月、豊羽鉱山の鉱石輸送と定山渓周辺の材木輸送を担う定山渓鉄道が開業します。錦橋停車場は終着駅定山渓より約一.七キロほど手前、この錦橋の架かるすぐ近くの土場に位置していましたが、この時はまだ旅客扱いの停車場ではありませんでした。その理由を、鉄道が開業したころは付近に人家も少なかったからと想像していたのですが、実はそうではなかったようです。開業当初はこの土場に岐線が設けられていました。錦橋を渡って馬車で運ばれてくる、豊羽鉱山の鉱石と小樽内川流域から切り出される原木を貨車へ積み込むためでした。しかしその一方で豊羽鉱山の活況に乗じて定山渓に定住する人も増えていきます。この錦橋周辺にも、初めての定住者といわれる芦田そば屋が開店したころより次第に労働者のための住宅や温泉旅館などが建ちはじめて集落が形作られてゆきます。やがて大正一五年に一の沢発電所と取水のためのダムが竣工し、この錦橋の眼下の渓谷も水を湛えて舞鶴の瀞と呼ばれるようになると、貸しボートを行う玉川聚楽園も開業して定山渓へ訪れる行楽客も増えてきました。その利便や周辺住人の要望などもあって、この岐線をもつ錦橋の土場は、あらためて旅客取扱いを行う駅員配置の停車場として営業を始めます。駅が開業したのは翌年に全線電化を控えた昭和3年6月のこと。翌年に全線電化されると列車の本数も増えて、白糸の滝停留場が設けられる昭和八年一月まではこの錦橋停車場が玉川聚楽園への最寄駅であったことから、貨物が中心の駅でありながら乗降客も相当な数に上っていたのではないか思われます。

 その後、時の政治情勢により観光ブームに陰りが出て玉川聚楽園が廃業。その間に世界恐慌のあおりで豊羽鉱山の操業停止がありましたが、こちらは昭和一四年夏に操業を再開します。第二次世界大戦の勃発と軍需によって豊羽鉱山は急速に発展し、産出量の増大とともに輸送力を高めるために錦橋停車場より分岐して鉱山へのほぼ中間にあたる水松沢(オンコの沢)へ

鉱山専用線が敷かれました。同じく軍需による木材切り出し量も増えて、行楽客の減少とは裏腹に貨物量と貨物列車の本数は増え、束の間の鉱山景気に活気ある時代だったようです。しかしこの時も長くは続かず、豊羽鉱山は昭和一九年に起きた白井川の陥没による坑内水没のため再び操業停止の憂き目に遭ってしまいます。

 戦後の復興とともに昭和二五年には豊羽鉱山が操業再開し、その後、定山渓鉄道が電気機関車とディーゼル機関車を増備して貨物の輸送力を増強するのですが、昭和三〇年代に入ると並行する国道の整備がどんどん進み、木材も鉱石も小回りの利くトラック輸送に切り替わりはじめます。錦橋停車場での貨物取扱量は急速に減少。鉱石運搬が全面的にトラックとなった昭和三八年、錦橋~水松沢間の鉱山専用線はとうとう廃止となってしまいました。

 鉄道開業から貨物駅としての性格を持って生まれた錦橋停車場は、島式ホームの南側の本線のみを残して単線化。貨物積み込みのための岐線もすべて撤去され、停車場としての使命を終えて無人の停留場となり、ほどなく昭和四四年一〇月三一日の鉄道廃止の日を迎えることとなりました。

 土場は往時の面影もなく閑散とし、白糸トンネル開通と同時に国道も山側へ切り替わってしまうと人通りも減りました。駅構内西側に並んでいた住宅も消えて、草むらの中にわずかにその痕跡を残すだけとなっていますが、錦橋停車場駅舎の土台がそのまま残され、バス停前の花壇としてその名残を残しています。

 

※カットは、昭和三二年の駅構内平面図(上)と、鉱山専用線廃止後の停留場となった昭和四一年平面図(下)。錦橋停車場駅舎(中左)。バス停前の花壇として残されている駅舎の土台部分(中央)。そして、錦橋停車場構内へ入る豊羽鉱山の鉱石列車。右に見える線路は定山渓鉄道の本線。

 

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