定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その二五 「緑橋」】
定山渓温泉にはかつて、銚子の口、二見岩、白糸の滝、舞鶴の瀞など数多くの景勝地がありました。また、豊平川沿いにそれらを巡るように小路が続き、いくつもの橋が架けられていました。定山渓の橋といえばやはり月見橋がシンボルですが、川に張り出すように設けられた広い歩道を持つ現在の姿となったのは昭和五九年のことです。遡って鉄道開業後の大正時代の豊平川には、吊り橋だったこの月見橋をはじめ、高山温泉前の中の橋(高山橋)、玉川遊園の玉川橋、そして錦橋が架けられていました。
中でも大正三年に架けられた錦橋は別名「北海の猿橋」と呼ばれ、一の沢ダムができる前には険しい渓谷と激流を見下ろすことのできる名勝でもありました。その後大正一五年に一の沢ダムが竣工、その険しい渓谷は水に沈み舞鶴の瀞と呼ばれるダム湖が生まれるのですが、この時、錦橋の上流にもう一つの吊り橋が架けられました。それが緑橋です。
この緑橋については今のところいつ架けられ、いつなくなったのかが明確に記された資料をみつけられないのですが、当時発行された絵はがきなどの時代から推測して、舞鶴の瀞に玉川聚楽園の開業とほぼ同時期に架けられのではないかと思われます。位置的には錦橋と白糸の滝との中間、夕日岳の連なりが断崖となって豊平川に張り出す部分にあり、錦橋同様、水面からはかなり高い位置に渡されていました。したがって眺めがよく、玉川の舟遊びと並んで観光スポットとして人気を呼んでいたと思われます。この張り出し箇所、本願寺道路は崖の外側を、鉄道は崖を切通して建設され(後に切通しが拡幅されて道路も切り替わった)、いわば定山渓温泉の入口にあたる場所でした。街道筋にも対岸にも住む人が増え、生活道路としての役割も大きかったと思いますが、残念ながらあまり長続きはせず昭和一〇年代のどこかで緑橋は消滅していたようです。
緑橋からは、深い緑色に淀む眼下の舞鶴の瀞より遠く温泉街を望むことができました。当時の写真を見るたびに、定山渓温泉では屈指の眺望ポイントといっても過言ではなかっただろうと思います。今、橋の上から同じ景色を眺めることは不可能となりましたが、この緑橋が架かっていた証しが今でも民家のそばにひっそりと残さていました。この緑橋へ通じる道路はかつて本願寺道路と呼ばれた旧道沿いにあり、現国道の白糸トンネルが貫通するまではこの旧道もメインストリートでした。
もし仮に今この橋が再び架けられ、ぐるっと温泉街を周回する遊歩道が整備されたとしたら、より一層定山渓温泉の魅力が深まるのではないかと強く思います。
※カットは左より、昭和初期に本願寺道路(旧々道)上より撮られたと思われる舞鶴の瀞と緑橋。現在のほぼ同地点からの景色。緑橋の痕跡。そして、明治時代の本願寺道路の痕跡。このすぐ右側は崖。
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