定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その二二

「ポートレート×定鉄沿線「舞鶴の瀞」】

 

 舞鶴の瀞の、時代を超えたふたつの情景。

 

〈過去〉

 何艘ものボートが行き交う、当時人気の遊園地。舞鶴の瀞。

 錦橋下に一の沢ダムが竣工して間もなく豊平川の水位が上がり、それまでの荒々しい渓谷に静かな紺碧の淀みが生まれました。この当時はまだ、玉川聚楽園の舟着き場の眼前には和尚岩がそびえるように立っていましたが、幾度かの大水でその形を崩し、貸しボートの営業を取りやめた昭和一四年ごろにはすでに消滅してしまっていたと思われます。

 また、消滅したのは和尚岩だけではありませんでした。写真上の方、舞鶴の瀞を見下ろすように渡されていた吊り橋、緑橋もいつの間にか姿を消していました。

 

〈現代〉

 穏やかな瀞のたたずまいは、多少川幅が狭く浅くなっていることを除けば今でも健在です。玉川聚楽園の舟着き場であったかのような痕跡を残す空間もあり、今でも当時の屋形船が浮かんでいても違和感はありません。しかし、当時の写真と見比べて崖の圧迫感をあまり受けない気がするのは、もしかすると堆砂とともに水位そのものも上がっているからかもしれないと、感じました。

撮影位置は右の昭和四年当時のものよりやや左で、当時は川の中だったのではないかと思われます。堆砂とともに川筋もかなり変化しているのかもしれません。

 緑橋は、今は右岸の崖上に土台の痕跡を残すだけ。左岸側は「白樺の湯」(現在は閉鎖)という日帰り入浴施設があったあたりに渡されていたはずですが、今は痕跡が見つけられません。

 ボートが行き来する情景がなくとも、今、緑橋が架かっていたなら定山渓温泉で一二を争う人気観光スポットになっていたのではないかと、強く思うのです。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

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