定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その二〇「定山渓森林鉄道」】

 

 定山渓周辺には昔から、豊富な森林資源が広がっていました。東西約一五キロ、南北に約二〇キロに及び、その面積はおよそ二万ヘクタール以上。明治の開拓当初には樹齢二〇〇年以上を数えるエゾマツ、トドマツなどがナラやカバ、イタヤなどの広葉樹と混ざりあって密生していました。そして札幌本府が建設され人口が増えるに従い、それらの良質な木材が少しずつ札幌まで流送され、造材されて建築資材として、札幌軟石同様に札幌の発展に利用されたのです。

 大正七年一〇月一七日に定山渓鉄道が開通したのですが、それ以降、本格的に木材の産出が増加。営林署、定山渓停車場、そして錦橋など、温泉街に土場が出現しました。しかし切り出された木材はその土場まで馬車や馬橇に頼って運ぶしかなく、山中から土場までの新たな大量輸送の手段が必要となってきたのです。森林鉄道建設の機運が高まっていったのはそうした背景もあってのことでした。今回は木材を通して定山渓鉄道とも密接な関係にあった森林鉄道をご紹介します。

 

 定山渓森林鉄道は昭和一三年五月六日に第一期として、営林署から冷水までの延長四,〇三一メートルを軌間七六二ミリで起工。翌一四年から一六年にかけて六,七九三メートルの延長工事を加えながら、最終的には延べ八年に及ぶ工期を経て昭和二五年一二月に全線が竣工しました。線路は営林署前土場から豊平川沿い(本流線)に遡り、途中、豊平峡の険しい渓谷を縫うように進んで空沼入支線を分岐、その総延長距離は二二.四キロありました。工事に従事した一〇〇名を超える人夫はほとんど毎日、雑草や雑木の刈り払い、線路基盤の土盛りなどを人力で行いました。またその人夫も数多くのタコ部屋労働者が使役され、現在の豊平峡ダムの堤体より五〇〇メートルほど上流側には大きな宿舎が設けられていたといいます(現在はダム湖下に沈んでいる)。建設箇所には難所も多く、建設中に犠牲となった労働者も少なくなかったことから、その霊を祀るために昭和一四年には営林署敷地内に豊林神社が建てられました。

 全線通じて架けた橋の数が三六ヵ所、トンネルが二ヵ所。列車行き違い用の側線も四ヵ所つくられ、同時に、森林鉄道の起点となった営林署の土場から約六〇〇メートルほど下流になる定山渓停車場までは一〇六七ミリ(狭軌)の輸送用引き込み線が敷かれました(所有管理は定山渓営林署)。路線の途中には木材積み込みのために停車場が、冷水、炭酸水、本流苗圃、二股の計四ヵ所設けられ、昭和一五年に最初にできた炭酸水停車場付近から木材輸送が開始されました。

 車両は六トン木炭機関車および八トン蒸気機関車、特徴的な二枚窓の四.五トンのディーゼル機関車など五台、トロッコが一二〇台という陣容で、トロッコ二台がひと組になり一〇本から一五本ほどの丸太を積み、一度に七組から一〇組ほどが連なって運ばれていました。上りは空のトロッコがほとんどなので二〇台ほど引っ張って時速七キロ前後で駆け上っていくのですが、下りは丸太を満載した列車を、機関車のみならずトロッコのブレーキを二、三人で操作しながら、時速一五キロほどで渓谷の急カーブと急こう配を駆け下りていました。相当な重量で急坂を降りていくため運転手には熟練者があたり、まさに命がけの運行だったのだそうです。

 

 約二八年間、良質の木材を運び出し続けて戦後の高度経済成長と住宅ブームに貢献してきた森林鉄道ですが、昭和四三年三月三〇日をもって全線が廃止となりました。定山渓営林署の森林施業方針の転換から「森林路網整備計画」が策定され、森林鉄道から林道整備へと変わったためでした。また、時期を同じくしてかねてから計画が持ち上がっていた豊平峡ダム建設が始まり、線路の一部が水没することになることも廃止を決定づけました。そして建設が本格的に始まった最後の一年間はダム建設の資材運搬のためにこの鉄道が利用されました。線路撤去の式典はこの日、営林署保養所である豊林荘にて

ひっそりと行われ、豊林神社にて釘抜式が行われて、三〇年近く続いた定山渓森林鉄道の歴史に終止符が打たれたのです。

 

 鉄道跡の現在の様子ですが、豊平峡の入口付近にオープンした「札幌市定山渓自然の森」までのアクセス路に、森林鉄道の軌道敷を遊歩道として整備、利用されています。その先から豊平峡ダムの堤体直前のトンネル跡までは、かつて自然遊歩道の一部として利用されていたこともあって、痕跡が残されている可能性があります。しかし残念なことに、クマ出没を理由にかなり以前から立ち入りが禁止されています。

 

※監修は「豊平峡やまびこの里」小坂晋吾著。

※カットは左上から時計回りに、・二股鉄橋を渡るディーゼル機関車と材木列車。・建設中の定山渓森林鉄道。・初期の蒸気機関車。・自走式の集材機。そして・木材積み込み風景。(写真協力 小坂晋吾氏、札幌市公文書館)

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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