定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その二  「石山坂」】

 

 大正七年一〇月一七日に白石~定山渓間、延長二九、九キロで開業した定山渓鉄道。

 標高が一五メートルそこそこの白石駅から終点定山渓の標高二九八メートルに至る路線は、平均こう配が約一〇パーミルであるものの、その途中にはいくつもの急こう配区間がありました。

 代表的なものが通称「石山坂」。

 真駒内と石切山の間、定山渓方面へ進むと真駒内川橋梁付近を頂点として石切山へ一気に下ります。石切山停車場から折り返してみると石山坂が始まる穴の沢川橋から石山陸橋(当時は切通し)を超えて真駒内川橋まではわずか四〇〇メートル足らず。緩勾配化された後の標高差でも約一一メートルで、この区間の最大勾配が三〇パーミル(一〇〇〇メートルで三〇メートル上る)あったのだから、当時はもっと標高があり、部分的にはさらに急こう配だったのかもしれません。開業当初に用いられたタンク式の小さな蒸気機関車が牽引する列車では、たくさんの客車に乗客荷物満載だとこの坂を上りきることができずに、あと一歩、というところで立ち往生することが多々あったのだそうです。

 

 

「このため、会社側では窮余の一策として、坂の終点、真駒内川鉄橋の左箇所に岐線を一本敷いて、ここにいったん貨車を留置できるようにした。石切山から貨車を二分して半分ずつ引き上げ、ここで連結する仕組みであった。」(HTBまめほんNo,4『定山渓鉄道 桐原酉次著』より引用)

 

 この岐線は真駒内川鉄橋の真駒内側にあったものと思われます。

 

 昭和四年に電化された際、モ100型という新造の電車が導入されました。この電車は本州方面の一般的な他の電車よりもギア比を高めていたのですが、もしかするとこの石山坂の教訓(?)がその理由のひとつだったのかもしれません。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。

 

石山の集落を見下ろして下ってゆく線路。開業当初は三〇パーミルを超えていたらしい。

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