定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その一九 「チサ1」】
定山渓鉄道が開業した主たる目的のひとつに、定山渓周辺から切り出される豊富な木材資源の運搬がありました。鉄道の思い出話には、蒸気機関車や客車、電車などは華々しく登場するのですが、温泉客を乗せることがない貨車の存在も、定山渓鉄道に触れる上では重要なポイントです。今回はその貨車の中でも特色のあるチサ1形をご紹介します。
大正七年一〇月一七日の開業後、数多くの蒸気機関車や客車、貨車が入線しましたが、そのほとんどは鉄道省からの払い下げでした。特に貨車は、開業前に三両の有蓋緩急貨車(コワフ2501~2503 ブレーキ装置を設けた貨車)と一〇両の無蓋貨車(フト7606~7615)すべてが明治時代に製造されたもので、入線した時にはすでにかなり老朽化が進んでいた状況だったと思われます。
札幌周辺の人口増などに伴って建設資材需要が高まるにつれ、切り出される木材の輸送量も高まっていったものと想像できますが、そんな最中の昭和三年、チサ1形と呼ばれる無蓋長物用貨車が四両、一〇月竣工届で入線しました。
外観的な特徴は、それまでの二軸車輪に対して三軸であること。全長八.八メートルというそれまでの貨車からすればかなりの大型であることで、以後も定山渓鉄道所有の貨車としては最長のものになりました。最大二〇トンの木材が積み込み可能ということもあり輸送力増大に大きく貢献しました。
ですが実はこの貨車、旧国鉄が大正一三年から昭和二年にかけて北海道向けに製造した、チサ100形と呼ばれる貨車に外観が非常に酷似しており、基本構造は同じものであると思われます。ただし正確には台枠構造がそれまでのものとは異なり、床上までの高さがチサ100形より三五ミリ低くなっていました。
そしてもうひとつ、この形式は貨車の中では定山渓鉄道唯一の、自社発注の新造車両でした。また国鉄線直通使用の認可を受けた唯一の形式でもあり、定山渓で積み込まれた木材をそのまま国鉄線貨物ターミナルへ輸送することが可能な貨車でした。
その後のチサ1形四両ですが、次第に木材の輸送量が減って出番が少なくなり、さらに払い下げで入線していた他の貨車群が老朽化で次々と廃車になりその数を減らしていく中にあっても、鉄道廃止になるまで在籍し続けた幸運な貨車でもあったのです。
※監修は『RAILFAN』(鉄道友の会編)連載「私鉄貨車研究要説」の澤内一晃氏。
※カットはチサ1形の車両竣工図表(『定山渓鉄道資料集HP』より)。
※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。