定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その一三 「吊籠の渡し」】
定山渓鉄道沿線には、豊平川に沿って風光明媚な景勝地がたくさんありました。一の沢川の鉄橋を渡るころより上流は一の沢渓谷と呼ばれ、また時期にはオレンジ色のツツジが両岸の崖に咲くことから”つつじ谷”とも称されました。現在その面影はかなり薄れていますが、バス停に今もその名を残しています。
そして、つつじ谷のバス停の先にある錦橋トンネルを超えた先に、名物「吊籠の渡し」がありました。
昭和二二年ごろ、豊平川左岸の御料地が国有林となり、その一部の払い下げを受けた松島、松林、虻川という三名が炭焼きを始めました。ところがこの時は下流の百松橋まで行かなければ豊平川を渡ることができず、木炭の運搬に不自由していました。そこで三人は、製炭場近くを流れる神威沢川を下った先の崖の上に、豊平川対岸との間にロープを渡し、荷物を吊り下げて運ぶことを考えたのです。高さ二〇メートルほどもある一の沢渓谷の上に鉄線を張り、それに畳一枚半くらいの大きさに丸太を組んで吊るし、ロープで手繰り寄せながら行き来するというものでした。
一度にたくさんの荷物を運べるようにと頑丈に作ったところ、思いのほか立派な”吊籠の渡し”ができたのです。それは、一回で五俵(約三〇〇キログラム)ほどの荷物を運ぶことができるほどで、木炭だけではもったいないと炭焼き小屋近くに住む三人の家族の生活用品や食料運搬にも利用するようになり、やがて子どもたちも定山渓小学校への通学にこの渡しを利用しはじめました。人も乗ることができるとあって定山渓温泉ではちょっとした名物になったのだそうです。
その噂が伝わったためかどうかわかりませんが、ほぼ同じころに定山渓鉄道株式会社が鉄道沿線で整備した、ハイキングコースのパンフレットに紹介されました。炭焼き小屋のある白樺の林を「憩いの森」と名付けるとともにこの”吊籠の渡し”も注目を集めることとなりました。
炭焼きはその後三年ほどでやめることになり、この”吊籠の渡し”もほどなくして消えてしまったのですが、ほんの短い間、切り立った深い渓谷の上を手すりもない床一枚の”吊籠”に乗り、自分の力でロープを引っ張りながら渡るスリルを味わおうと、多くのハイカーがここを訪れたのです。
~一の澤(いちのさわ) 深淵に臨んで發電所あり、この付近は「つつじ谷」と稱し對岸の絶壁に新緑を點綴するつつじ花の景趣はその奇觀名状し難い、渓畔にこの驛を起點とする散策道あり、風光美優れたハイキングコースとして有名である。
□名勝 つつじ谷、憩いの森、布引の瀧、吊籠の渡。
(定山渓鉄道パンフレット『国立公園 定山渓温泉』昭和25年発行 より引用)~
~一の沢ハイキングコース 一の沢駅より国道を定山渓の方へ約三〇〇米来ると、赤く彩られた鉄塔に吊られて美しく、しかも巨大な吊り橋が見える。これが百松橋で、このハイキングコースの入口となっている。この橋を渡りきったところで黄金湯ハイキングコースと一緒になっている。ここより左に道をとり、一の沢の渓谷を眼
下に望みながら、片くずしの道を通り抜けると、急に広々としたところに出る。ここが製炭所である。すぐ左手にはこんもりとした木が生い繁り、適当な日陰を作り、中には休み場も設けられ「憩いの森」と呼ばれている。製炭所を通り過ぎるとこのコースの最後を飾る「吊籠の渡し」である。ここより国道に出て約三〇〇米で錦橋へ出ることができる。(『郷土史 定山渓』昭和29年発行 より引用)~
写真左上は、今でも残されている基部。下段二枚はほぼ同じ位置から見た風景。渓谷の雰囲気は今も変わらない。(”吊籠の渡し”のカットは定山渓温泉観光協会より提供)
※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。