定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その一一

   「形式1100 C型タンク式蒸気機関車」】

 

 大正六年四月六日にいよいよ建設工事の始まった定山渓鉄道。最初に免許を取得してから、実に四年の月日が流れてのことでした。この間にも度重なる路線変更があり財政難がさらに重くなって、取締役社長が交代(松田学→金子元三郎)するなど、社内も線路も文字通り紆余曲折しながらの建設でした。

 財政難はかなり深刻なものだったようで、そのため建設のための車両も軌条も当時の鉄道省からの払い下げ品ばかりでした。木製二軸無蓋貨車など貨物車が二〇両あまりと木製二軸客車四両。線路は二二.五kg/mの当時としてもすでに軽いもの。そして、その線路の上を、建設資材を運びながら走り回ったのは二両の小さな蒸気機関車。

 沿線住民をして「豆機関車」と呼ばれた小さなこの機関車は、1100型と呼ばれるC型タンク式蒸気機関車で、建設中は鉄道省から1112と1113の二両がレンタルされて活躍していました。もともとは山陽鉄道が明治二一年にアメリカ ナスミス・ウィルソン社から購入したもので、後に幌内鉄道を引き継いだ北海道炭砿鉄道へ譲渡された機関車でした。明治三九年の同鉄道の国有化後は大型機関車の登場などで出番が少なくなっていたため定山渓鉄道へレンタルされていましたが、大正七年一〇月一七日の開業に合わせて形式消滅。そのまま定山渓鉄道への譲渡となりました。

 しかしながら、あまりに勾配区間が連続する定山渓への道のりを貨客牽引するにはあまりに非力だったことから、建設中途より坂の途中で立ち往生することもしばしばあったのだそうです。そのためか開業当日の一番列車は、やはり鉄道省からレンタルした7200型テンダー式蒸気機関車(炭水車付)7224号を補機につけての運転でした。

 開業後すぐに定山渓温泉が人気を呼びます。利用客が増えて、材木や石材などの貨物量の増大とともに輸送力増強の必要に迫られました。そこで翌年九月、一番列車をけん引するためにレンタルしていた7224号を含む同型蒸気機関車三両を大正一二年までに鉄道省より払い下げを受けます。開業からわずか二年足らずの間に1100型は使用を休止されることになってしまったのです。

 結局、1113号は大正九年に富士製紙(のちの北日本製紙江別工場)へ譲渡され、昭和三九年に廃車。1112号は車籍を定山渓鉄道に置いたまま休車となりましたが、昭和一四年の豊羽鉱山専用線の開通とともに貨物列車牽引に使用されました。しかし昭和一九年の大出水による操業休止に伴って再び休車となり、昭和二一年には北海道炭砿鉄道美流渡鉱業所へ譲渡。三二年には廃車となっています。

 

 白石~定山渓間で人目に触れたのはわずかな期間でしたが、”坂を登れない豆機関車”として語り継がれる、定山渓鉄道を代表する名機関車だと思います。

 

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