定山渓鉄道資料集
【定山渓鉄道沿線百話 その九 「豊滝停留場」】
定山渓鉄道において昭和四四年に営業廃止になるまでに設けられた駅は停車場一一、停留場八。これに国鉄共用駅だった白石、苗穂を含めると合計二一の駅がありました。今回はその中から定山渓鉄道随一の秘境駅と思われる豊滝停留場をご紹介します。
〈豊滝停留場〉
昭和二三年一月一一日に開駅。片面ホームと待合小屋だけの無人駅。
東札幌停車場起点より一九,五四〇メートルが豊滝停留場のホーム中心。
ホームは定山渓方左側一面で盛土、延長三六.二二メートル。簾舞からは曲折する豊平川に沿って走る、曲線と勾配が連続する沿線随一の難所区間です。
東札幌方延長”一九,四七三メートル九七”地点で終わる半径二〇一.一七メートルの曲線と、次の半径四〇二.三四メートルが始まる定山渓方”一九、五六九メートル〇五”との間のわずかな直線区間で、かつ背後に約三〇メートルほどの高さの斜面が張り出すわずかなスペースに、この停留所は設けられました。
この斜面の上より山手の奥が豊滝の集落(中の沢、盤の沢含む)でした。その住民による要望で停留所の設置につながるのですが、集落から相当の距離があることと丘陵とホームとを上り下りする急坂の踏み分け道は、決して楽ではなかったであろうと想像できます。特に冬季積雪期間はホームまでたどり着けないような気象状況に遭うことも少なくなかったのではないかと思います。
ところが実はこの停留場が開設された一方で、同年五月より札幌駅前から定山渓へのバス営業が再開(昭和七年より営業開始し、昭和一六年に休止)されていました。明治後期に、それまでの本願寺道路を大幅に改良して開通していた国道二三〇号線は、豊滝の集落の中心部を通っていました。バスの運行本数がどのくらいだったかは資料がないため想像するしかないのですが、少なくともこの五月以降は、電車よりもバス利用者の方が多かったかもしれません。事実、いくつかの時刻表を見る限り豊滝停留場にはすべての旅客電車が停まるわけでは
なかったようです。電車の営業がピークといわれた昭和三五年頃まではともかく、昭和四二年一〇月改正の時刻表を例に挙げると東札幌~定山渓間上下三七本の電車のうち、豊滝停留場へ停車するのは早朝二本と最終寄り二本の計四本だけになっていました。
ただ、この国道も昭和三〇年代半ばまではまだ未舗装路で、簾舞より先、この豊滝付近をも含めて通称「七曲り」と呼ばれる急こう配と急カーブの連なる悪路でした。冬期間、降雪時などはバスの通行ができなくなる状況も少なからずあったでしょうから、それまでは住民に
とって豊滝停留場の存在がとても重要だったことは間違いないと思います。
現在の豊滝停留場付近の様子を触れておきます。
昭和四九年頃まではまだ線路盛土がそのまま残されて徒歩移動が可能でしたが、すでにホームは撤去されていました。平成一二年頃の踏査では板割沢搆橋跡および盤の沢搆橋付近がすでに崩落しており。特に板割沢については元の盛土区間が原形をとどめていない状況でした。
豊滝停留場への古路ですが、同じ頃にはすでにヤブ化していて、さらに倒木なども激しいため冬期間以外は道
の特定が困難な状況です。
写真は、「七曲り」の板割沢付近から見た豊滝駅遠景(撮影・はせがわまさとし 昭和三〇年代)。ご覧のとおり、この頃は線路と豊平川とにはさまれた狭い土地に田んぼが広がっていました。樹木に覆われて川を見通すことができない現在の停留所跡からは想像もつかない景色です。
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